尻で
どことなく濡れた瞳のおっさんを置き去りにして、俺は早々に宿に戻った。長時間にわたり密室でおっさんと2人きりだった。そんな状況でおっさんに汗を流させたことは俺の人生の汚点となるだろう。
急いでこの国を出る理由が出来てしまった。
皆と合流して和気あいあいと晩飯を食べ始めるが、おかずを食べていると、今頃おかずにされているんじゃないだろうかと気が気じゃなくて元気が出ない。
女の子って本当に大変なんだな。今までのおかずに謝りたい。でもお残しはしなかったからそこは自分のこと褒めてあげよう。
「食事が喉を通らない……」
武具は良かったけど後悔も大きい。
「それは恋なのです?」
「なっ……言っていいことと悪いことがあるんだぞ!」
「ぺっ」
「うぐっ!」
ていうね。なんで今ツバ吐かれたんだろ。まあ、アルマの唾はご褒美だからいいか。
「どうしたのかしら? 興味はないけど話題もないし話してみたら?」
ブレアは優し冷たい。生き生き殺人話術の使い手なのだ。ああ、ネーミングの調子が悪い。全部おっさんのせいだ。
「……実は聖騎士団長と会ったんだ」
「ああ、監視ね」
ん、まてよ。
「そっちの監視は?」
「6人よ。放置したわ」
そうか。メスブタあたりが反射で殺したりしてなくて良かった。肉をむしゃむしゃ食べ続けるメスブタを見てると獣としか思えない。
「そうか……俺の方は向こうから接触してきてな。手合わせする代わりに武具をもらったんだ」
「武具? 何のために?」
え、恥ずかしくて言えない。カッコつけたかったからとか言えない。
「いや、なんていうか、そう、珍しい物だって言うからさ。つい、ね。ロマン、そうロマンがあったんだ」
「見たいっ!」
へー、メスブタ武器とか興味あるんだ。装備しないのに。
「これだよ。カッコよくない?」
「スゴイぞっ! 殴り甲斐がありそうだっ!」
あ、それでね。壊す対象として見たいのね。名工ベルンドの防具に殴り甲斐というものがあったとしても高価なものだからやめてくれ。たぶん一撃だろうから本当にやめてくれ。
アルマはまじまじと品定めをし、ロマンを無に帰す言葉を言い放った。
「その装備、全部売るのです」
本当に金が好きだな、お前は。
「ロマンが詰まってんだぞ。金には変えられん」
聖騎士団長との戦いの末に勝ち取った装備なのだ。あんなに辛い思いをしたのだから大事にしたい。
女神のフィギュアがついた剣はともかく、雑誌の懸賞品として有名なベルンドの防具は昔からの憧れだったのだ。
「ロマンがあっても、使い道ないのです」
「確かに武具としてはいらないが……」
「あら、この剣……オリハルコンね」
ブレアが忌々しそうにそう言った。
「え」
「えっ!?」
「壊すのです!」
「なんでだよっ!」
オリハルコンと分かって売れとうるさくなるかと思いきや、斜め上で壊すに投票してきやがった。
「ちょっと見せて欲しいのです」
アルマは女神の剣を俺から奪い取り、まじまじと観察を始めた。
なんなんだ。
「……オリハルコンか。物質収束マナだったっけ?」
「ええ。大地母神が大嫌いなね」
ブレアさんは不満気だ。これは持ってると機嫌を損ねるか? ロマンなのにな。
「間違いなくオリハルコンなのです。大地母神が嫌いな物質収束マナなのです。このまま放っておくとLDM粒子になって大変なのです。壊すのです」
「なにそれ?」
「アルマのありがたいお勉強のお時間なのです。マナには二種類の状態があるのです。それは収束した状態と分散した状態なのです。収束した状態とはマナフィールドを形成する状態を指し、多くは知性を得た状態を意味するのです。この際、その知性とは神であろうが虫であろうか変わらないのです。迷って決断するか否か、つまり分岐に対してランダムに反応可能か否かが判断基準なのです。なお、その収束したマナも小さく分散と収束を繰り返しているのです。人が迷い分散し、決断によって収束するように、なのです。さて、そんな収束マナはさらに二種類に分かれるのです。空間で収束したマナか、物質に収束したマナか、なのです。空間収束マナが外部に対してマナフィールドを展開しているのに対し、物質収束マナはその核たる金属に対してのみマナフィールドを展開しているのです。状態としては『ゆらぎ』が極小化し、確定した物質となっているのです。通常よりも強固、つまり安定した状態なのです。普通より硬いのです。このオリハルコンは物質収束マナの一種なのです。他にもアダマンタイトやミスリルが有名なのです。これらは核となる元素の違いなのです。問題は先ほどのLDM粒子。これは物質収束マナのマナフィールドが消失した状態とも言えるのです。余剰次元方向に存在するマナが四次元時空間の顕現物質と完全結合する事で波動関数が消え、世界のマナフィールドの中心座標に向かって収束するのです」
「ごめん、長かったし聞かなかったことにする」
「驚きなのです。ここまで話させておいてそれだけで終わらせるとは…………なのです」
俺が言うなってセリフだが、お前が言うな。昼間、頑張ってバイト代の試算をしてくれた司祭の前で同じこと言えるのだろうか。言えるだろうな。
「まあ、売った方が無難か?」
「売りたいけどオリハルコンは発見したらなるべく壊して細かく砕き、分散を促すのが神界の常識なのです」
そんな常識があるから希少なんだろうか。しかし、細かく砕くってのが難しいな。オリハルコンだし。
アルマの言葉に思案していると声が出て聞こえてきた。
『こわ……こわ……壊さないで、壊さないで欲しいのですぅ』
「剣がしゃべった!」
え、喋ったよね? 喋ったよね? と周りを見るとみんなも頷いてくれた。よかった、かわいいフィギュアからくる幻聴かと思った。
「インテリジェンスソードだったのね」
物質収束とはいえ、それが収束したマナである以上、意思を待つこともあるのだ。知性を持った剣──インテリジェンスソードだ。
「キャラ被ってるのです」
「語尾だけだよ。そんなこと気にするなよ」
『気にすることないのですぅ』
いや、なんかややこしいな。やはりウザイかもしれない。壊すか?
「とりあえず、ちょっと黙っててくれないか?」
『わかったのですぅ』
「壊すのです」
アルマが壊す一択だ。元々壊したい上にキャラが被るのでは壊したくもなるだろう。納得だ。
「まあでも、壊す必要ないだろ。オリハルコンなんて世の中に沢山あるだろ。これだけ壊したってしょうがないし、コイツ意志もっちゃってるじゃん。壊すと後味悪いって」
「もはや存在を許すことはないのです」
ここまで強硬な態度をとるとは珍しい。
「とりあえず話を聞こう。ええーと、女神の剣ちゃん? 初めまして。俺が君のご主人様だ」
デフォルメされているとは言え、穴の女神っぽいヤツにこの台詞はなかなか来るものがある。実に良い。俺が主人なのだ。
『お断りなのですぅ』
「なんでだよっ!!」
まさか剣に断られるとは……っ! 壊すしかないのか。自ら死を選ぶのか、剣よ。
『ベタベタした手で柄を握られたくないのですぅ。あと、視線が卑猥なのですぅ』
「あ、それはごめん……」
さっき自分が嫌な思いして反省したばっかりなのにな。人間ってそうそう変わらない。だから、まあいっか。そのままの俺でいれば良いよ。しょうがない。
「壊すのかっ!? 殴るかっ?」
オリハルコンを殴ってみたいのだろう。メスブタは鼻息を荒く素振りを繰り返している。
どうしよう。変質者スキルでどうにかできないものか。でも下手すると大地母神くるのか?
悩ましいな。うーん…………
「ディバインハンマーなのです!」
あ、コイツ! やりやがった。アルマが突き出した拳から放たれた光は女神の剣を直撃し、真っ二つにした。
ていうか、すげぇ! 折れるんだなオリハルコン。アルマの攻撃力が思ったよりも高い。
「ソウルコンバージェンス!」
ブレアが魔法を唱えた。俺のトラウマを無理やり修復させていたお馴染みの魔法だ。分散した魂を収束させる効果がある。
剣は直らないが、オリハルコンから分散したマナを再び収束させることならできるかもしれない、ということか? …………どうなるんだ?
砕けた女神の剣の周囲に徐々に光が集まり始める。マナ視が無くても見えるほどに濃密なマナだ。
そして、それは女神の剣のフィギュア部分と同じ姿を淡い光で形作り、宙に浮いた。
「ありがとなー! なんやようわからへんけど精霊なったわ。ウチ旅出るわー。ほななー」
さっきと同一マナなのだろうか。完全に別人だったが。何かが死に、何かが生まれ、そして去っていった。
「……何だったんだ?」
ブレアもアルマも答えられなかった。答えたのはメスブタだった。
「なあ、この残りのオリハルコンっ! 粉々にして良いかっ?」
「良いけど……全部、尻で砕けよ」
なんかもうどうでも良くなった。尻で砕けば良いよ。メスブタのぷりぷりのお尻でさ。
「えぇっ! しししし尻でっ? いや、でも、そそそうか! まあ、うんっ! やるっ!」
やるのか。かわいいな。がんばって。




