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私を穴に連れてって


 レイシャが聖女になった経緯を聞いた。



 レイシャとユリーネは家族ぐるみで仲が良かった。2人は同い年の幼馴染だ。レイシャの両親は神官であり、レイシャ自身もいつかは神官として働くつもりでいた。


 2人が13歳の頃、事件が起きた。2家族で聖都のメインストリートを歩いていたところ、暴走した馬車がユリーネの母を巻き込んで横転した。助かる見込みがないことは誰の目にも明らかだった。

 それでも、レイシャの両親は必死に回復魔法を唱えた。ユリーネも、その父も、そしてレイシャも必死に祈った。奇跡を。


 そして、それは叶わなかった。ユリーネの母は死んだ。


 皆が悲しむ中、不意にレイシャは立ち上がり、遺体の前にしゃがみ込んだ。その顔からは迷いを断ち切った強い決意が伺えた。


 訝しむ周囲をよそに彼女は蘇生の魔法──リバイブを唱えた。


 誰もが驚き、戸惑った。それはリバイブを使えるか否かということにではない。彼女がその魔法を唱える資格を持つ者か否かという点についてだ。


 神に認められた者でなければ、リバイブは死者を惑わす。詠唱して発動したとしても正しく蘇生するかは神に認められているかにかかっているのだ。

 認められぬ者が唱えれば、神の元へ還るべき魂が無理やり現世に留められ、行き場を失うのだ。みだりに唱えて良いものではない。


 聖王国では、死者に対して安らかな眠りを祈るのが常識であり、リバイブを唱えたレイシャは非常識極まりなかった。


 レイシャは悪ふざけでそんな事をする人間ではない。止めることも出来ずにあっけにとられる周囲を他所に、長い詠唱を終えると、ユリーネの母の遺体はたちまち復元されていった。


 蘇生したのだ。死んだ人間が生き返った。レイシャがその資格を有していると衆人に明らかにされた瞬間だった。



 実は、初めての蘇生はそれより1年前、レイシャが12歳の時だった。


 レイシャがよく遊んでいた野良猫が死に、我慢できずにリバイブの唱えてしまった。よくないことだとわかっていた。


 だが、その頃から神聖術の才能を開花させていたレイシャは抑えることができなかった。

 猫が復活するかもしれないという期待と、自分になら出来るかもしれないという期待を。


 もう少し大人だったら我慢しただろう。でもその時は無理だった。死んだ猫の魂を惑わしてでもエゴを通してしまった。子供だったのだ。


 猫は復活し、レイシャは倒れた。リバイブは精神をすり減らせる。一度使えば7日間は寝込むほどに術者のマナを分散させる。


 レイシャは怖くなって、猫の死と復活を自分だけの秘密にした。


 彼女は、その秘密を公にしてでもユリーネの母を復活させることを決意した。事故の時から既に人だかりができており、リバイブを唱える頃には衛兵も到着していた。


 多くの人々が新たな聖女の誕生を目撃してしまったのだ。


 それは聖王国には僥倖だった。だがレイシャ、そしてユリーネ達には不幸の始まりだった。


 リバイブの使い手は歴史を紐解いてもそう多くはない。聖者や聖女と呼ばれる者達だ。聖王国では彼等に自由を与えない。食事や睡眠、その活動はすべて管理される。


 聖女とは高価な国の奴隷であり、維持費がかかる喋る魔道具だ。国の要人が死んだ時に備え、ただ生きているだけの人生を送る。


 蘇生が可能なのは死んで数日以内。そして唱えれば7日間は寝込む。

 余計なことで勝手にリバイブを唱えられては肝心な時に使えない危険がある。だから、無駄な蘇生はさせずにひたすら国が管理するのだ。



「──レイシャはそれ以来、教会の箱庭で暮らしているのです。顔も知らない権力者を生き返らせるためのシステムとして、体調管理をするだけの毎日ですよ」


「へえ……」


 ユリーネはずっと語っていた。歩いている間ずっとだ。長話、辛いです。聞いてもいないのに突然の語りに戸惑うことばかり。変態はいつも唐突だ。


 そもそも、そういう話ってもっと仲良くなってからするものじゃない? 重い。


 ただ、いまの話からすると13歳から今日まで誘拐という例外を除いて閉じこもっているわけで、男の聖なる武器をその目にしたのは昨晩が初めてだったのだと思われる。

 あ、いや待て。外から男を呼びつけて日常的に写生している可能性もなきにしもあらず。そうなるとちょっと幻滅だ。


 俺に構わずユリーネは滔々と語り続けている。だんだん怖くなってきた。


「あんなに可愛いのに。もっと色々な場所で彼女を愛でる予定だったのに。あの箱庭から出ることを許されないのです……。公園で陽射しを浴びて輝く笑顔を見たい。2人で買い物に行ってお互いにプレゼントを選びあったりしたい。夕日が見える丘のベンチで日が沈むまで肩を寄せ合っていたい。お泊まり会したい。一緒にお風呂入りたい。パジャマでお互いの好きなところを伝え合いたい。好き好きレイシャ。好きなのよぉ……」


 大好きな聖女ちゃんの事となると歯止めがきかないのだろうか。表情をくるくると変えながら語り続ける。吟遊詩人でももう少し控えめだぞ。変態め、自重しろ。


「ユリーネ様が聖騎士になったのも聖女様のためなのですか?」


 そう聞くと変態は喜色満面で答えた。


「そう! そうなのです! 必死に鍛えました。レイシャの護衛を見知らぬ男なんかに任す事は出来ないと。ベッドやお風呂やトイレを守るのは私の仕事です。13歳までずっとそうしていたのですから。そう、彼女の睡眠と洗浄と排泄を守るのです。私はただその一心で……ふふ、ふふふふふふ」


 なんと醜い。これが性欲を隠さない人間の姿か。ブレア達が俺を見る目が厳しい理由がわかった。これからは気をつけよう。


「そうですか……この建物が?」


「ええ、教会本部です。どうぞ、こちらです」


 案内されたのは城の近くにある大きな教会だった。警備の人数は多く見えたが、俺もすんなり通してもらえた。


「何の確認もせずに通れてしまいましたが良いのでしょうか?」


「事前に教皇様の承認を得ています」


「あ、そうですか。興味本位での質問で恐縮ですが教皇様には何とお伝えしたのですか?」


 何をもって俺を通して良しと判断したのか理解に苦しむ。


「1人通しますと書面でやり取りしただけですね。もっとも本当に教皇様ご本人が内容を確認して承認したかなんてわかりませんがね。ははは」


 笑ってる場合じゃねぇぞ。聖女の警備ザルじゃねぇか。警備の人数が多ければいいってもんじゃないだろう。

 これはもはや亡国といっても過言ではないかもしれない。この国は終わった。今日の昼にクーデターが起きて王権が簒奪されても『遅かったな』としか言えないだろう。


 さて、教会本部の内部は凄まじかった。豪華絢爛。華美を極めた教会内はスラムで暮らす教会信者が見れば発狂するかもしれないレベルだった。


 高い天井に圧倒されつつ長い廊下を進むと中庭が見えてきた。


 美しい庭園だ。木々が生い茂り、色とりどりの花々が植えられている。鳥や蝶が舞うその中庭は嘘臭さを感じるほどの『聖女の箱庭』だった。


 そう、中央部にはテーブルがあり聖女が腰掛けていた。中庭には他に誰もいないが、囲んでいる建物の窓からこちらの様子を伺う気配がいくつもある。

 なるほどね、ザルってほどザルでもないのか。まあ、昨日の今日で得体の知れない俺のような奴を通している時点でお察しだが。


 しかし相変わらずの爆乳様だ。拝んだ方がいいのだろうか。拝む価値のある乳だと思う。


 ユリーネが聖女に声をかける。


「聖女様、お連れしました。ニト様です」


「昨夜は名乗れずご無礼をお許しください。ニトと申します。旅をしており、昨日この聖都に参りました。祈りを捧げてもよろしいでしょうか? その爆乳に」


「ええ、構いませんよ。どうぞ祈りを……え、爆乳に?」


「爆乳神様、爆乳神様。貧乳神様とどうか末永く仲良く、世のバストの天秤が傾かぬようお護りください…………ありがとうございます」


 正式な祈りの作法は知らないが、みんな幸せになるといいなって思う。それだけを願った。サイズの均衡を維持することが趣味嗜好を守ることに繋がるのだ。多様性は大事だ。


「えっと…………え?」


 どうしたのだろう。聖女様は戸惑っているようだ。聖女なのに祈られるのに慣れていないのだろうか。

 ユリーネは満足げに頷いていた。なんだこいつ。


「聖女様、まずは御礼を」


 ユリーネに促され、聖女は居住まいを正した。


「あ、そうでした。えっと、ゴホン。ニト様、昨夜はありがとうございました。貴方がいなければどうなっていたことか。心より御礼申し上げます」


「とんでもないです。俺も現地妻発掘活動の一環でたまたま助けたのが聖女様だったわけでして、大したことは何も」


「えっと…………え?」


 戸惑ってばかりだな聖女様。確かに俺の説明不足もあるが、箱庭育ちだから外のことはあまり知らないのかも知れない。


「聖女様、本題の方に」


 再びユリーネが促す。本題か……まあ確かにこの誘拐未遂直後に怪しい男をお礼のためだけに呼ぶわけないか。


 そして聖女から聞かされた本題は予想外のものだった。



「ニト様には私を誘拐して欲しいのです」



 誘拐犯からせっかく助けたのに誘拐して欲しいと…………。もしかして誘拐されかかった事で変な性癖に目覚めちゃったのだろうか。たくさんの男に乱暴されたい願望でも抱いたのか。

 どうしよう。行為ならできるが分身はできない。困ったな。ニーズを満たす自信がない。



「残念ながら私には難しそうですが……」


「私はっ! ……私は、自由に生きたいのです。人として生きたいのです。日の出とともに起き、畑を耕し、日没とともに寝る。結婚し、子を産み、育て、死ぬ。自由に歩き、自由に見たい。誰に強制される事なく私が選んだ人生を私は生きたい」


 強い意志を宿した目だった。


 ここで聖女として生きることは間違いなくこの国のためになるだろう。個人を見れば奴隷だが、大局的に見れば国を無用な混乱から守る大事な仕事だ。しかも代わりになるものはいない。


 だが、その仕事をするかしないかを選択する権利は彼女にもあっていいだろう。


 衣食住に不自由ない、贅沢ともとれる環境でワガママなという気持ちも無くはない。しかし閉じ込められていることに変わりはないし、閉じ込められる辛さはよくわかる。


 言いたいことはわかった。


 その上で、俺自身思うところはやはり『子を産み』という発言だ。そこに意識が集中してしまう。そうなると、どうしてもおっぱいに目がいってしまう。目を離せない。魅了の魔法がかかっているのかと思うほどだ。おっぱいが本体かと錯覚するほどに、だ。

 よし。子を産む手伝いなら出来るだろう。何から始めようか。そうだな…………そんなの決まってるか。



「わかりました。では写生から?」


「えっと…………え?」


 また戸惑った。まいったな。


「ニト様、聖女様は写生は未経験なのです」


 あ、そうなんだ。日常茶飯事じゃなくて一安心。


「あの、写生とは?」


「ご存知ないのですか? ありのままを写し取ることです。貴女の手で、ありのままを」


「言葉の意味は存じていますが…………ユリーネ?」


「ニト様のいう通りの意味ですよ。写生のお誘いです。機会はあらためて設けましょう」


 ユリーネは俺に向かって笑いかける。俺も笑顔で返す。


 子作りを希望している聖女に写生させることを報酬に働いてもいいかもしれない。だけどブレア達がな…………。ダンジョンのこともあるし。簡単に返事はできない。しかし聞いた以上、後戻りもできない気がする。


「……俺にこんな話をするということは俺の実力を理解していると思って良いでしょうか? そして、少なくとも俺がこの国の権力者の関係者でないことも調べが付いているということですか?」


 昨日の今日で仕事が早い。性騎士にできるとは思えないが。


 疑問に答えてくれたのは聖女だった。


「まず、私は低レベルながらマナ視スキルを持っています」


 おっとヤバイ。


「どこまで見えるのですか?」


「マナ総量がとてつもないということぐらいですが……」


 なるほど、レベルが低いとそんなもんなのか。具体的な数字もスキルもわからない、と。

 しかしそれもそうか。ブレアのアレはマナ配分読解スキルも合わせたものだからな。さすがに称号やスキルまで見れる人は稀か。


「実力についての判断理由はわかりました。そもそも昨夜、実践していますしね。では、私の素性についてはどうお考えですか?」


「まず、昨日の賊は犯罪ギルド『黒蛇』の者たちです。実力者ぞろいの集団ですが、それをものともしなかった貴方の素性を洗うのに教会の中枢と王侯貴族が躍起になっています。だから安心なのです」


 まじか。めんどくさいことになってるな。


「なるほど。お偉方の誰も俺を知っている気配がないと」


「ええ、上層部が慌ただしすぎるのです」


 単純に俺を知らないふりをしている、という可能性も考えてはいるだろう。俺が何者かの依頼で動いたとして、昨日の誘拐を防ぐ理由はいくらでもある。その上でなぜ俺にこんな話ができるのか。


 ……いや、わかった。そういうことか。権力者に関係あろうがなかろうがどうでもいいのか。


 自由に生きたい聖女と支援する聖騎士。

 聖女を使いたい権力者たち。

 誘拐犯とその依頼人。


 この中で最も関わりたくないのは3つ目の奴らだ。最悪は殺されることで、権力者たちには捕まっても殺されることはないが誘拐犯には何をされるかわからない。おそらくは犯罪ギルドで今と同じ仕事を強要されるのだろうが、それは希望的観測というものだ。死ぬ可能性もある。

 下手な逃げ方をして命の危機に瀕するのが一番まずい。誘拐を防いだ俺は少なくとも聖女か権力者の側だ。誰が誘拐犯の背後にいるかわからない現状で、安全保障という面では俺が適任なのだろう。


 このような教会の中庭で見せびらかすように会話しているのもその辺の狙いあってのことか。

 つまり、聖女はこの得体の知れない強者とパスを作ったぞと。暗殺者とその背後にいる何者かへの牽制にされているわけだ。


 しまったな。ブレア達にきつくお叱りを受けることになりそうだ。


「2つ確認します。俺が誘拐したとして、どちらへお連れすれば良いでしょうか。当てはありますか? ユリーネ様はもちろんですが、他にご一緒される方はいますか?」


 この性騎士が着いてこないわけないしな。他の余計な誰かの同行を許す気もしないが。本当は2人で逃げたいんだろうな。


「ダンジョン『グルガン』へ連れて行ってください。当てがありますが、ここから見つからずに街を出て、さらにダンジョン入口の見張りの目を盗んで侵入する手段を私たちは持っていません。どうしても気付かれずに入りたいのです。同行はユリーネだけです」


 ここで意外にも俺の目的地と合致するのだった。


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