悲しくても笑う
非常階段を降る。広大な螺旋階段は幻想的だった。ぐるりと円形に降っていくが、どこまでも同じ景色が続く階段は本当に自分が進んでいるのかをわからなくさせる。
階段には手すりがあった。おそらく鉄製だろう。
一部を折って変質させ『手すりソード』を作成する。虫専用ソードだ。未知の虫を素手で叩きたくないから。
ブレアの話によると虫は大したスキルを持っていないとのことだが、神話レベルの虫だし変な病気を持っているかもしれない。
ブレアとのお楽しみまではキレイな身体でいなければならないのだ。
そして俺たちは進み始めた。俺が先頭だ。背後から感じる三人の気配。ああ、こんな探索がしたかった。美少女だけを集めたパーティで探索者をやりたかったのだ。念願が叶った。
人間界はもうすぐだ。
そう考えていると虫が飛んできた。難なく手すりソードで叩き斬る。うん、大丈夫そうだ。さすが神界の非常階段の手すり。創成期に作られたとは思えない安定感だ。
ふと、思う。この世界と同年齢の建造物を破壊してしまった。まあ、深く考えないことにしよう。誰も気付かないんだから壊れていないのと同じですよ理論だ。
改めて思うが、神界の無限牢獄から脱獄する人間は世界初だ。人類が適当に言っている世界初とは異なり、創世から数えて本当に世界初なのだ。ここまでのことを成し遂げる力量があれば人間界では敵なしだろう。
あの武装天使ちゃんでも、人間界に行けば無双間違いなしだ。彼女を倒せる存在は人間界にいない。たぶん。
人間界には戦いをお仕事にする人々がいるが、どのお仕事でも敵なしだろう。当然のことながら俺が元々やっていた探索者でも敵なしだ。
戦うお仕事はいくつかある。
まず、ダンジョンを探索する『探索者』だ。ダンジョンでは鉱物、特殊な植物、魔物の素材という資源が取れる。
ダンジョンは広大で危険だが、無理さえしなければある程度の収入は約束されている。
俺は無理したせいで、いま美少女を三人も引き連れて歩いている。むかし愛読していたエロ本の広告にあった幸運を呼ぶネックレスは買わなくても良かったのだ。5年前の俺に教えてあげたい。
他にも有名なところで『冒険者』という者達がいる。冒険者とは広大な大地や海を職場にしているクレイジーな人々だ。
どこに何があるかわからないのに『何があるかわからないから』と言って旅立っていくのだ。ちょっと真似できない。
だって街の中には女の子がいるじゃん。考えるまでもなく、何があるかわからない場所よりも街の中の方が女の子が多い。街の中には美味しいご飯も、落ち着く自宅も、レンタルのエロ魔道具屋もある。なんでも出来る。
何があるのか分からない場所のことは頭の中でどうにかすればいいよ。妖精の舞う伝説の泉、凶悪な魔獣だらけの孤島、海賊王の財宝のありか、裸の美女しかいない温泉隠れ里…………行きたい。行きたいです、その隠れ里。しまった、そういうことか。いまやっと気付いた。冒険者はすごい仕事だ。ひと段落したらやってみよう。
そんな俺の思考はとどまることを知らない。この世界の果てまで行ってみせるさ………というか今、この場所が一番の冒険だわ。創世以来誰も来ていないんだもの。
さて、話を戻そう。
『ハンター』という人々もいる。これはわかりやすい。動物や魔物をハントしているのだ。動物と魔物の違いは曖昧だが、マナの収束量が高く、それに応じて身体に変異が見られる場合は魔物となる。
魔物の始まりは変異した動物だ。今でも変異によって魔物が誕生する事はあるが、多くは魔物同士で交配していくことで地に満ちている。
いずれにせよ、食肉の確保や害獣駆除を生業としているのがハンターだ。
そして、騎士、兵士、軍人、剣闘士……対人的な戦闘を仕事にするさまざまな職がある。
そんな人たちに共通する世界標準が『ランク』だ。マナ総量という定量的でわかりやすい共通の基準がそれを可能にしている。
もちろん、それぞれの職業ではそれだけを見ているわけではない。
ハンターなら獣を狩る技術としての罠や気配の察知、遮断などが求められる。
探索者は価値ある物を見極める力や運搬に優れたスキル、狭い場所でも効果的に相手を仕留めるスキル、そして多様な魔物と罠に対応するスキルが求められる。
冒険者には第一に好奇心だ。それこそどこに行くのか、何をするのか分からない仕事だ。幅広い知識やスキル、戦闘力が求められる。というか、彼らに一番求められるのは生き残る力だ。
といっても大半は生きてるのか死んでるのかわからない。渡り鳥みたいな奴らだ。
このように職務遂行に必要な技術は異なる。しかし、マナ総量はある程度の目安になるのだ。
それぞれを運営する団体、たとえば探索者ギルドや冒険者ギルド、ハンターギルドでもマナ総量は昇格試験の受験資格の一つになっていたりする。あくまでも『受験資格の一つ』だが。
ランクとマナ総量、そして分布はこのようになる。
15歳(成人)の一般人:1千
※5年前の俺
──戦いを仕事にする人の壁──
Gランク:2千~5千……10%
Fランク:5千~1万……15%
──一人前の壁──
Eランク:1万~3万……20%
Dランク:3万~5万……30%
※多くの人がDランク止まり
Cランク:5万~8万……15%
──努力ではどうにもならない壁──
Bランク:8万~15万……7%
──一握りの天才の壁──
Aランク:15万~20万……3%
──神話の獣が絶対防衛する感じの壁──
Sランク:20万~40万……ごく僅か
※200年前のブレア
──異世界に転移する感じの壁──
魔王、龍王、剣聖、勇者、賢者、聖女……10匹ぐらい
※俺の中で勇者や聖女の単位は『匹』。
──セカイ系──
俺と三人の美少女
こんな感じだ。もはや俺は人間界のほとんど全てを凌駕している。これは越えられない壁だ。一つの完結したセカイ、世界を包括するセカイなのだ。
そう、繰り返すが、造作もないのだ。『神話の獣が絶対防衛する感じの壁』も越えられない者が倒せる程度の存在など小指で十分。
十分だと思っていた。
そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました。
一匹きた。全然よゆう。
二匹きた。全然よゆう。きもい。
四匹きた。全然よゆう。すごくきもい。
八匹きた。全然よゆう。おかしいな。
十六匹きた。全然よゆう。これはもしや。
三十二匹きた。よゆう。アルマ結界。
六十四匹きた。よゆう。アルマはやく!
百二十八匹きた。アルマーーー! はやく! はやく!
二百五十六匹きた。『なのです』じゃねぇよっ! おいっ! 詠唱はよっ!
「ふう、危なかったのです。虫はお断りなのです」
ならばはやく結界を張って欲しかった。詠唱の合間に『なのです』を挟まないでほしかった。
「はぁはぁ、ああ。精神的にやばかった。なんというかビビった。虫が群れをなしてくるって精神的に良くない」
「本当ね。助かるわ。お疲れ様」
ブレアは特に何もしていなかった。ブレアの収束魔法でギュッとやっても良かったが、大事な魔法錠担当なのだ。こんな雑魚で疲弊するわけにはいかない。
「…………!! …………!!」
そして、メスブタも何もしていなかった。殴りたいのに殴れない歯がゆさが彼女を変な顔にさせていた。何だその顔。臭いもの嗅いだ猫みたいな顔だな。
殴らないのが意外といえば意外だが、武器がなかったのだ。虫を殴ってベチョってなるのが嫌だったのだ。
どうせ消滅させるのだから関係ないんじゃないかとも考えたのだが、悲しそうな顔をしていたので俺が止めた。
俺1人で何とかなるのに無理をさせる理由はない。俺自身も、メスブタにあの虫を触らせたくない。
というわけで俺の仕事になった。そしてこのザマだ。どうしよ。
「さて、結界をとけばこの視界に入れたくない感じのたくさんの虫が一斉に俺たちに抱擁を求めるだろう。中には抱擁ですまないような奴もいるかもしれない。ちょっと許容できない」
「魔法で殲滅してもいいけど何匹いるかわからないものね。コレが寄ってこない方法ないかしら」
「そうだな……こいつら何で寄ってきたんだ?」
「父さまによく聞いてた話だと、こういう時の王道は体液なのです。その手すりソードを捨てるべきと進言するのです」
どんな話をしていたんだ。父親が娘に対して虫の体液による危機の話なんてすることあるのか?
「まあ、確かにありえそうだな。体液が原因だという前提で考えるか。だが手すりソードを捨てたとしても、ここまで虫が集まってしまった後で効果があるかは疑問だ」
「やっぱり収束させた方がいいんじゃないかしら? この大量の虫とその手すりソード、まとめてギュッとやって穴にポイっとしちゃえばいいんじゃない?」
「うーん。暫定対処だな。それで解決したとして、その後にまた『一匹目』が来たらどうする? 毎回毎回収束魔法だと魔法錠を解く暇がない」
「…………!! …………!!」
メスブタか何かを言いたそうにしている。なんだ、難しい話の仲間に加われなくて悲しいのか?
「どうした、メスブタ?」
「…………!! …………!!」
メスブタが悲しそうな顔で弱々しく拳を繰り出す。ああ、そういうことか。
「なるほど、確かにお前の拳なら体液も残らないか。消滅させてるから病気とかも気にしなくて良さそうだし…………あ、そうだ」
結界内の手すりを折り変質させる。剣は構造が単純だからいいが……ちょっと難しいな。俺の変質者レベルじゃ時間がかかりそうだ。
苦戦しつつも、出来上がったのは簡易なナックルだ。これで少しでも拳をガードできれば気分も違うだろう。
「…………。…………。」
メスブタは辛そうに、そして申し訳なさそうに首を振った。
「メテオちゃんの拳は生身じゃないと意味がないのです?」
アルマの問いに頷くメスブタ。なるほど、そうだったのか。武器装備不可とはとんだ縛りプレイだな。
「なら生身の拳で行くしかないか…………。よし、手すりソードを投げて結界の外の虫を収束ポイする。そして、それ以降の『一匹目』はメスブタが担当する。万が一撃ち漏らしがあれば俺が手すりシールドを作ってガードし、体液が付いていたら穴に投げ捨てる。コレで行こう」
「…………!! …………!!」
本当に虫を殴りたくないんだな。かつて見たことがないほどに悲しそうな顔で、任せろとばかりに無い胸をドンと拳で叩いた。任せられる要素が一つもなかったが致し方あるまい。
「メスブタ、すまない。頼む」
メスブタは悲しそうな顔のまま笑った。しかし何でこいつ喋らないんだ? そんなに悲しいのか? ブレアに目線で訴えると彼女はため息をついてメスブタに言った。
「メテオ、喋ったからって虫が貴女に寄って来たりしないわ」
「そうなのかっ!? 群がらないのかっ!?」
「群がらないわ」
「それはそうだけど……でも、お前これから虫を殴るんだからな」
「…………!! …………!!」
メスブタは再び悲しそうな顔をして黙った。そして口だけで笑顔を作った。結界内にはなんとも言えない悲壮感が漂っていた。




