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常在戦場、機会は逃さぬ


 非常階段の扉を確認する。他の部屋の扉よりは随分と安っぽく感じる。よくある木の扉だ。


 しかし、何らかの魔法が仕掛けられているのはわかる。

 なぜわかるのか。それは、マナ視スキルがなくともマナに組み込まれた意思を読み取ることができるよう変質神に叩き込まれたからだ。


 これが出来なければ俺のハジメテはドジョウが奪っていただろう。危なかった。離れた場所から変質神の持つ棒がドジョウに変質しつつあることを認識し、さらにそれが俺を求めていることを理解するのだ。


 それにあわせて俺はドジョウを元の棒に変質させるためのイメージを膨らませ、なおかつ『やめてくださいやめてくださいほんとうにやめてください』と熱い想いをぶつけるのだ。



 そうして貞操は守られた。



 マナで構成された魂から広がる精神、そしてそこから身体に満ちるマナ。その周囲に朧げにあるマナのフィールド。

 これが一つの生命が自身の意思を及ぼすことができる範囲だ。通常は身体から数センチといったところか。


 そして、変質神の訓練はそのフィールドを自在に変形させることを可能にした。縦に伸ばし、横に伸ばし、時にはハート型にしてみたり。

 嬉々としてマナ視スキルホルダーのブレアに見せに行ったけど特に表情は変わらなかった。というか無表情だった。何でだろう。おっきなハート型だったのに。


 ともかく、そんなわけで離れていても自身のマナのフィールドを伸ばし相手のマナに繋げることでそこに込められた意思を読み取れるわけだ。武装天使ちゃんのスキル解析もこれで出来た。俺の影響下にあるマナを繋げたのだ。


 扉に意識を向け、自身のマナを広げるようイメージする。扉はマナを弾くような意思を示していた。だがわかるのはそこまでだ。

 ブレアはマナを視て、神界流魔法陣の知識も合わせ解析する。この扉についてはブレアに任せるしかない。彼女は既に解析を始めていた。


 並行して、ピンクのパンツのアルマは神聖語で詠唱をしていた。


「セイクリッドフィールド、なのです」


 アルマによって俺たちの周囲には何者をも拒絶する不可視の結界がはられた。さすがピンクのパンツ。


 しかし……『なのです』っているのか。なんなんだ。例のアイツの趣味か。語尾に対するこだわり強すぎるだろ。

 製作者さんにはちょっと自重してほしい。悪くはないけどね。俺も好きだけどね。でも戦闘に支障をきたすから。

 一瞬の隙の『なのです』が命取りになったとか嫌だろ。死因『なのです』。



 気を取り直して俺は通路を警戒する。未だ気配はない。


 すると、横でメスブタがウズウズし始めた。なんだ? ついにトイレか?


「ニト、頼みがある」


 そう言ったメスブタの顔は真剣で、声は小さいものの何とも言えない凄みがあった。これは…………トイレか?


「なんだ? トイレか?」


「トイレじゃない、許可してほしいことがある」


 許可? なんか心配だな。トイレなら許可したんだけど。『いいぞ、ここでしろ』って。


「トイレ以外にどんな頼みがあるって言うんだ?」


「筋トレしたい」


 ふむ。


 え?


「筋トレ? 筋力トレーニングのこと? 筋肉トイレじゃなくて?」


「ああ、筋肉トイレじゃなくて筋トレしたい。なんかもう、鍛えたくてしょうがない」


 そうか、機能固定から解放されたからか。数百年ぶりに肉体改造できるんだもんな。そりゃ嬉しいよな。だけどさ、


「え、いまなの?」


「ああ。音がしないやつにするからっ」


 音がしないやつってなんだ。いや、逆に音がする筋トレってなんだ。


「えっと、敵が来てもすぐに対応できる。かつ負荷は少なめ、音がしないなら許可する」


 ちょっとぐらいならいいか。ムキムキにはなるなよ。美を損なわない程度で。


「ありがとうっ」


 喜色満面。メスブタは音を立てずにスクワットを始めた。じっくりと、筋肉に負荷をかけているようだ。正しいフォームで繰り返し、繰り返しスクワットが続く。


 しばらくして、じわりと汗が滲んできた。ほのかに香るいつもとは違うメスブタの香り。


 舐めたらどんな味するんだろうか。


──……

『おい、そろそろ疲れたんじゃないか?』


『いやっ! 全然疲れてないぞっ!』


 ベロンッ。


『この味は! ウソをついてる味だぜ……疲れてるな?』


『っ!?』

……──


 妄想してる場合じゃないわ。


 ちょっと勢いがついてきてる。このままだと何かを壊しそうだ。壁とか床とか常識とか概念とか。


「メスブタとまれ。筋トレの続きは脱出後だ」


 そう言って肩を掴む。


「ああっ!」


 …………なるほど、肩はセーフか。覚えておこう。


 しっとりとしたメスブタの汗がおれの右手に残る。


 捨てられない大事なモンがまた出来ちまったな。この右手は洗えない。洗えないんだ。そして、握りしめることもできない。俺の汗が混ざっちまう。ったく、厄介だぜ。

 愛しさと切なさと悔しさが胸を締め付ける──


 って程じゃないわな。キャラ崩壊させてる暇はない。ま、いっか。また触ろう。もちろん不快にさせないように気をつけるつもりだ。下手したら消滅してしまうのだから。文句なく即死っ、そんな綱渡りだ。


「できたわ」


 ブレアは少し疲れを滲ませた表情で俺たちに声をかけた。


「大丈夫か? やはり機能固定がないとキツイか」


「ええ、久しぶりね、疲れるのも。悪くないわ…………すごくいい気分よ」


 『あとでベッドの上でもっと疲れさせてやるぜ。気分もうなぎ登りさ』というセリフは飲み込んだ。好感度が下がるのはわかっていたから。よく我慢した、俺。


「そうか。無理するなよ? ……俺が扉を開ける」


 何かしらの罠がある場合、あるいは可能性は限りなく低いが非常階段に敵がいる場合、扉を開ける者が最も危険にさらされる。

 物理的な危険を考えると適任者はメスブタだろう。何かあっても再生するから。何より反応速度も優れている。

 だが、それが魔法的な危険の場合はまずい。メスブタでは為すすべなくダメージを受ける可能性がある。


 では、俺がどうかと言えば、物理的な危険、魔法的な危険、どちらにも対応はできる。いずれもパーティで一番ではないが、臨機応変な対応力は俺が一番だ。



 そっとノブを回し、扉を開けた。



 階段が目に入る……螺旋階段だ。かなりの大きさだ。いや、螺旋階段と言うよりは穴だ。城の尖塔が二つ収まりそうな大きさの巨大な塔の内部を全て取っ払って穴にして、壁際に階段をつけただけのような構造だ。落ちたら早いかもな。試さないけど。

 さらに特徴的なのは灯だ。淡いピンク色のライトだった。とても良い。好感が持てるライトだ。


 一歩入り、上下左右を確認する。


「問題なさそうだ。入ってくれ」


 アルマ、ブレア、メスブタの順に階段に入る。扉を閉め、一拍おいてブレアは再び施錠作業を始めた。一度開けたので緊急時の解錠はさっきより早いだろう。脱獄の痕跡を残さないための念のための施錠だ。



 あ、しまった。これは……。


「…………何かいるな」


「いるなっ」


「虫、なのです」


 アルマは顔をしかめている。虫嫌いなのか。というか、生き物がいる想定はしていなかったが……


「創世以来、未使用の非常階段ですものね。虫ぐらい湧くんじゃないかしら?」


「早いな、施錠は終わったのか?」


「ええ、構造は理解したから。これから先も同じなら楽なのだけど」


「頼もしいよ」


 そう言って笑う。ブレアも微笑みを返してくれた。


「さて、虫か……ああ、アレだな」


 拳大の虫がちらほらと見えた。


「ステータスを見たけど認識阻害のスキルがあるわね。他に特徴的なスキルはないけど、すぐには気付かなくてもしょうがないわ。むしろ攻撃される前に気付けたのだから上出来よ」


「いや、俺のミスだ。すまない」


 どちらにせよ中に入る必要はあったが、先に気付いて注意を促すべきだった。虫ごときに気付けないとは。


「だけど大層な虫ね。マナ総量が20万ぐらいあるわ」


「20万!? 虫なのに?」


「創世以来、神界の非常階段を縄張りにしている虫よ。人間界の虫とは一線を画す虫でしょうね」


「そうか……ま、いまさらマナ総量20万じゃ雑魚だな」


 人間界なら一匹いただけで街がいくつか滅ぶかもしれない。Aランク探索者が死闘の末に討伐するであろう虫を片手間に払えるようになった自分に感慨を覚える。


 ふっ、虫か。今の俺に死角はない。どこからでも飛んでくるがいい。

 変質神の元でどんなラッキースケベも逃さぬように鍛えたのだ。俺は常にマナのフィールドを広げ、環境の変化を探っている。


 ブレアのパンチラチャンスを逃さぬよう集中し続けていることに比べれば、街をいくつか滅ぼす程度の虫の飛来を察知して払うなど雑作もないのだ。


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