ヘソ問答
のんびり歩くこと一週間。魔境を抜けてゲッペルン平原へと足を踏み入れた。
のどかだった。まじのどか。
天気は良いし、魔境と違って火が吹き出さないし、吹雪かないし、ドラゴンが千切れるような竜巻もない。魔境で引きこもり気分だったのが馬鹿みたいだ。何をトチ狂っていたのだろう。これこそ引きこもるべき平原だ。
とめどなく湧き出てくるオーガがちょっと邪魔だが、魔境よりマシだし、そもそもメスブタが退治しちゃう。メスブタさえいれば安全も飯も確保されたようなもの。メスブタは謎の肉をどこかから仕入れてくるのだ。謎肉うまい。
本当に引きこもりたいところだが、目的地を決めた以上は留まることはせずに歩く俺は本当にえらい。昔では考えられない。
「何を得意げにしているのかしら?」
「歩みを止めないことを、ね」
「そう……ニト、なんだかあなた勇者みたいよ」
アバドンちゃんに殴られたかのような衝撃が頭を貫く。確かに勇者みたいだった。恥ずかしいし悔しい。あれってうつるのだろうか。気を付けよう。
へこみながら歩いていると街道が目に入った。魔境を突っ切って母国に帰るとは思わなかったな。
しばらく歩くと街が見えてきた。意外に人里が近かったようだ。
「お、あれはアレハドアだな。トローネ王国の最重要防衛拠点、この国の第二都市だな」
「村よね?」
ブレアは薄目で感想を述べる。我がトローネにひどい暴言とも思えるが、確かに村にも見えなくはないな。
「小さいのです」
アルマ君、ストレートな物言いはいかがなものかな。もう少し婉曲な表現でこちらに心構えをする時間をくれたまえ。
「パンはあるかっ!?」
関係ない。パンぐらいあるわ。お前はこの前からパンに固執し過ぎだ。
「パンはある。逆にパンがない街があるなら教えてくれ。規模については、そもそもトローネ王国自体が小さいからな。第二都市でもこんなもんさ」
「こうなるとニトの故郷の『ど田舎』の程度が気になるのです」
アルマ先生はメガネをクイっと一上げし、ごくりと生唾を飲み込む。飲み込むぐらいなら俺に吐き出せばいいのに。
「そうだな……『ド田舎』というよりは蛮族以上、開拓村未満と思ってもらえれば」
「それは軍のキャンプ程度かしら?」
「それだ」
ブレアの表現がすごくしっくりきた。あれは村ではなかったのだ。何かの軍のキャンプだったのかもしれない。おそらくトローネの秘密の作戦拠点だったのだ。引きこもっていた俺だけが知らなかったのか……ってね。
おかしな妄想で情緒不安定だ。ちょっと地元が近くて神経質になっているのかもしれない。だってこんな美女3人も連れて地元に変えるとか緊張する。『え、お前ゴブリンは?』みたいな感じになるじゃん、普通は。
◇ ◇ ◇
アレハドアで一泊した。村みたいな街だ。規模に応じて宿の質もお察しといったところだ。飯の味もそこそこだ。腕は悪くないが材料が悪い。ドラゴンを分けてあげたいが、騒ぎになるし、一過性の善意など悪意にも近いものがあるし、俺が食べたいから譲ることはしなかった。俺が食べたいから。
そして朝、街を出発して山道へと入る。
道中はアレハドアまでと同じくのんびりしたもので、登山をしながらゆっくり景色を楽しんだ。たまに目の端で赤いのがちらちら目に入ったが気にしないように心掛けた。
それは死にゆく山賊達だ。仕留めていたのはメスブタとアルマ。俺は景色を見ていた。慣れ親しんだ山からの景色を。いや、懐かしいな。
山賊からお宝を剥ぎつつ俺は故郷に辿りついた。実に5年ぶりの帰郷であった。
「ここが俺の地元、フルー村だ」
笑顔で振り向くと困惑顔が二つと興奮顔が一つあった。
「キャンプって聞いていたような……廃墟かしら……?」
「村……? 森なのです……」
はい、困惑顔が二つ。村ですよ。
「軍事演習かっ!」
はい、興奮顔が一つ。軍事演習じゃないよ。
「エルフより森と同化してると話題になる村だ。爺さん婆さんばかりで掃除もままならなくてな」
そんな中、期待される若き労働力の一人として俺は引きこもっていたのである。レンタルエロ魔道具がバリエーション豊かで高性能だったばかりに。
「ニトの家はどこに…………家とかあるのです?」
「あるよ。流石に木のうろに住んでたりはしないさ。こっちだ」
自宅に向かう。両親には追い出されたので一人暮らしをしていた。狭いが4人は入ってお茶できるスペースもある。
しかし……人っ子一人いないな。え、本当に滅んでたりしないよな。ちょっと心配になってきた。
自宅は廃墟になっていた。これは廃墟だわ。天井とか穴が空いてしまっている。5年でここまでなるものだろうか。自然というのは恐ろしい。しかし空いた天井から巨木の緑が目に入るなかなか幻想的な光景だ。悪くないんじゃないか。汚い天井よりよほど良い。
「す、素敵なご自宅なのです」
目を素早い小魚のように泳がせながらアルマは俺の家をほめてくれた。無理しなくてもいいのに。
「ジャンプしやすいよなっ!」
だから何だというのだ。メスブタはいつもわからない。
「ボロね」
その通りです。ブレアは無理しなくていい。そこが良いところ。
「とにかく、座ってくれよ。ちょっと休憩しよう……ぜ」
誰かいるな。自宅で油断しきっていた。これは……これは……女の子だな。泣いている。俺がヒーローになる時が来たのか。いや、しかし何故かそこまで気持ちが盛り上がらない。んん……あー、なるほど。
「どうしたのです?」
「妹がいる。そっちの寝室の方だ」
「えっ! パンチ力はあるのかっ?」
『えっ、犯罪歴は?』とか『えっ、結局金なのか?』と同じぐらい変な質問だからな。女の子に一番初めに確認することじゃないからな。
「とにかく開けましょうよ」
「そうだな」
扉を開ける。
そこにはきれいに整えられた俺のベッドと、その横で泣き崩れる妹(18)がいた。妹は俺に気付く様子はなく、ただただ自分の世界に入っていた。昔からよくある光景だ。本当に懐かしい。懐かしいが…………セリフがおかしいぞ。呪いの言葉を吐き続けていた。俺をクルリアで置き去りにしたCランク探索者パーティ『闇鍋の舞』への呪詛を。
「クソが。闇鍋の舞のクソどもが。アタシのお兄ちゃんを置き去りにするなど万死に値する。ギルドマスターさえ止めなければ全員ネジりにネジってミサンガとして編み込んで売りさばいてやるものを。でもでもアタシももう少し頑張ればAランク探索者。そうすれば制限なく迷宮に潜れる。きっと生きてるはず。お兄ちゃんは生きてる。お兄ちゃんは生きてる。お兄ちゃんは生きてるんです。そうですよね? そうに決まってる。じゃなきゃおかしい。闇鍋の舞が生きているのにお兄ちゃんが、し、しし、死んでいるなんて……ひぃー、殺してやる。闇鍋の舞のクソどもめ。万年Cランクのミサンガめ。無事にお兄ちゃんを見つけたら殺してやる。編み込んでやる。無事に見つけなくても殺してやる。編み込んでやる。そうだ、明日。明日殺してやろう。明日はミサンガの特売日だ。このフルー村にミサンガ旋風が巻き起こる記念日だ。お兄ちゃん発見の願掛けでもして皆んなでミサンガをちぎろう。ぶちぶちぶちぶちと。でもCランクのミサンガで効果あるかな。もっと良いミサンガがあれば……ああ、そうだ。あの糞幼馴染もBランクになったらしいし、一緒に編み込もう。ぶちぶちぶちぶち、いひひひ。ぶちぶちぶちぶち────」
ドアを閉めた。
「この家はもう違う人が住んでいたみたいだ。悪いから出よう」
「なかなか面白かったわよ。続きが気になるわ」
なんてこと言うんだブレア。俺と結婚したらあれが妹になるんだぞ。今のうちに知らぬふりをしてなかったことにすべきじゃないか。結婚してくれるかはわからないけど。
と、背後でドアが開いた。邪悪なる意志のお出ましだ。
「お、お兄ちゃん?」
何を言う。誰がお兄ちゃんだ。俺はおニトちゃんだ。
「人違いですよ」
振り向かずに声色を目いっぱい高くして答える。声色アゲアゲだ。
「お、お兄ちゃーん! 会いたかったよぉ!」
わんわんと大泣きしながら背後から抱きしめられた。体に回された手をそっと撫でる。大きくなったな…………おっぱい……。
て、違う違う。人違いの方向で進めねば。
「人違いですよぉ!」
さっきよりもアゲアゲで答える。ここまでかん高ければ過ちに気付くだろう。
「え、でもなんで? まだミサンガ編んでないのに……」
そこなのか? ミサンガはそんなに効果を発揮するものなのか。
なんにせよ怖すぎ。これが俺の家族の1匹目だ。5年前は反抗期で怖かったが今はなんか違う方向で怖い。
「えっとお、聞こえませんかねぇ? 人違いなんですよぉ!」
するりと前に回り込む妹。顔をまじまじと見られる。あ、しまった。本当に油断続きだ。バレたか……。
「やっぱり間違いないよ! そのねっとりと絡みつくような体を弄られる嫌悪感溢れる視線。妹ですら家の中で常に性的に見る気持ち悪さ。お兄ちゃんしかないじゃない!」
顔じゃなくて視線で確信されるとは。
「お兄ちゃんのことは知らんがそんなに嫌いなら放っておいてやれよ。てか初対面で失礼ですよ」
本当に人違いだったらどうするんだ。とんでもなく失礼だぞ。
「嫌いじゃないよ。癖になっちゃう気持ち悪さなんだよ! いや、でも……こんな美女を3人も連れて歩いてるわけない。なんか見た目も行方不明になった時と変わらないぐらい若いし……やっぱ人違い?」
その判定基準も悲しいが。
「ええ、私はお兄ちゃんじゃありません」
君子、危ない妹に近寄らず、だ。
「そうか、ニトの妹じゃなかったかっ!」
朗らかなメスブタの空気を読まない一言に思わず笑みをこぼすブレア嬢。随分お楽しみのご様子。
メスブタめ。余計なことを。
「え! ニト? やっぱお兄ちゃん? なんでそんなに若いの?」
面倒くさい。もう認めよう。
「ああ、お兄ちゃんはお兄ちゃんだ。実はな────」
俺はクルリアで裏ルートを発見して以降の5年間を妹に話した。その間、妹はボディタッチが激しく、正直危なかった。
◇ ◇ ◇
「で、魔境を抜けてここまで来たんだ」
魔境を抜けるとかすごいな。妹は戸惑っていた。いまだにブレア達に挨拶もせず、俺のことだけを見つめ、戸惑っていた。
「何言ってるのお兄ちゃん? 頭おかしくなっちゃったの?」
やはり信じられないか。実力も見せてないしな。
「まあ、魂は壊れてるけど」
「えっ大変……っ! 魂が壊れただなんて…………そうだ!」
「ん?」
「アタシのおヘソを吸いなよ!」
妹以外の俺達全員の空気が止まった。何言いだしたんだこいつ。
「ん? なんだって?」
「あ、ごめん。聞き取りにくかった? アタシの、おヘソを、吸いなよ!」
「え、え? 何を誰が?」
「んもーっ! お兄ちゃんが、アタシのおヘソを吸いなよ!」
両手をばしばしとたたきながら妹が謎のセリフを繰り返す。
「何回聞いても理解が追いつかない。ちょっと整理させてくれ。魂が壊れた時にすべきことと言えば?」
「アタシのおヘソを吸いなよ!」
魂トラブルのソリューション=妹のおヘソを吸う。
そんなん普通思いつかないじゃん。何がどうなってそうなったの? 俺がいない間にこいつに何があったんだ?
「お前のおヘソはいいや。なんか嫌な思い出になりそうだし」
「え、ひどい」
「だって兄妹だし……いや、兄妹である事が問題ではなく、顔は似てないのにおヘソだけ似てたらやじゃん」
妹は割とカワイイ方だ。だが万が一、おヘソだけでも俺と似てたらトラウマになる。
「ひどい!」
「今後誰かのおヘソを見るたびに自分のおヘソに似た妹のおヘソを連想するとか嫌じゃん」
「ひどい!! 吸ってよ! おヘソを強く、吸引力を全開にしてさぁっ!」
妹は立派な変態になっていた。デレッデレの変態に。




