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青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第3章
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epilogue2.変わるもの、変わらないもの

 


 街道のゴールは三条大橋。鴨川の向こう岸に渡れば、あの池田屋もある。



 琉菜が知っていた京都の街とは、少しだけ雰囲気が変わっていた。

 新選組隊士はもちろんのこと、「新政府」側の人間も、ほとんどが京都から引き上げていたことが影響しているのだろう。街の人々は、やっと平和が戻ってきたとでも言わんばかりに、のびのびした顔で通りを歩いている。





 それでも、琉菜はその町並みを見て「帰ってきた」と思った。



「すごい。たった半年くらい離れてただけなのに、すごく懐かしい」琉菜の中に、感慨深い気持ちがこみ上げてきた。終わったのだ。新選組は東北に向かっているが、琉菜の新選組での役割は、もうない。

「まさかこんな形でまた戻ってくることになるとはなあ」木内は疲れ切った顔で言ったが、急に神妙な面持ちになって「そうだ、あそこ」と橋の下・川べりを指さした。



「あそこに、近藤局長の首が晒されてた」



 示されたその場所にはもう立て札も何もなく、言われなければ新選組局長の首が晒されていた場所などとは誰にもわからない。



「ごめんね。せっかく、それで土方さんたちに合流しようとしてたのに、また京都に戻ってこさせることになっちゃって」琉菜は川原を見つめたまま言った。

「いいんだよ。ずっと気になってた中富の消息もわかったし、大収穫。明日にでも、大坂から海路で行けるか調整してみるさ。そういうわけだから、俺はここでお別れだ」



 それじゃあ元気でな、と、木内はあっさりした様子で踵を返した。



「木内」琉菜は背中に向かって声をかけた。



 ここで別れることは予定通りだった。だが、いざその時が来ると無性に寂しい。ここまで、ずっと旅路を共にしてきたのだから。



 わかってる。

 呼び止めたって、仕方がない。

 ここで寂しがったところで、いずれ別れは来るんだから。



「ありがとう。道中、楽しかった。ずっと黙ってたのは本当に申し訳なかったけど、それでも、友達として接してくれて、嬉しかった」



 木内は振り返り、にかっと笑った。



「おう。もうお前が中富でも琉菜さんでもどっちでもいいよ。どっちにしても、お前は俺の友達だかんな。達者でやれよ」

「うん、木内も、元気でね」



 そうして、二人は別れた。すぐにでもまた会えるかのような調子だったが、琉菜はこれが今生の別れになるということを知っていたし、おそらく木内もそう思っているだろうと、なんとなくわかっていた。





 でも、これでいいんだ。



 去り行く背中を見ながら、琉菜はもう一度心の中で呟いた。



 ありがとう。

 総司さんがいなくなってずっと悲しみのどん底みたいな感じだったけど、おかげでだいぶ気が紛れたよ。



 木内の消息はあまり歴史に残っていないけど、どうか、どうか長生きしてね。



 琉菜は祈りを込めて木内の姿が見えなくなるまでそこに立っていた。



 やがてただそこに立っているだけなのが往来の邪魔になってきたので、琉菜は「よし」と言って三条大橋を渡り切った。





 次に時の祠から未来への道が開くのがいつだかはわからない。

 だが、その日が来るまで、琉菜は中富屋で働きながら明治への移り変わりと見届けようと思っていた。





 ***







 琉菜は「中富屋」の前に立ち尽くし、ひとつ深呼吸をした。



 着いた。

 久しぶりすぎて緊張する。

 別にやましいことしてるわけじゃないけど、なんとなく勇気いるなあ。



 だが、心の準備をするまでもなかった。入り口の戸が、がらりと開いた。



 現れたのは、多代だった。



「琉菜ちゃん……?」

「お多代さん……お久しぶりです……」

「ほんまに久しぶりやないの!どないしたん?江戸におったはずやのに……」

「お多代さん……その、いろいろあって……新選組はもう、遠くに行っちゃったんです」



 そう口にすることで、改めて新選組はもう手の届かないところに行ってしまったという思いが、琉菜の中にこみ上げてきた。

 今にも泣き出しそうな顔をした琉菜を、多代は優しく抱きしめた。



「おかえりやす」





 これまでの顛末を聞いた中富屋の面々は、ここで働かせてほしいという琉菜の申し出を二つ返事で了承した。



 賄い方で培った炊事の力を存分に生かし、この時代としてはとっくにそう呼ぶにはふさわしくなかったというのに、「看板娘」と呼ばれて琉菜は客から親しまれた。




 そんな風に忙しく時が過ぎていくうちに元号は明治となり、時折新政府軍と旧幕府軍の様子も耳に入ってきた。やがて、土方が箱館の五稜郭で戦死し、旧幕府軍が新政府軍に降伏したという話も耳にした。



 不思議と、涙は出なかった。有名なあの写真、ちゃんと撮ったかな。なぜだかそんなことを考えてしまう琉菜であった。





 時代は確実に変わっていった。

 街にはちらほらと洋装の人が現れ、牛鍋を出す店もオープンし、西洋風の煉瓦造りの建物もいくつか建ち始めた。



 時の祠は、三年間開かなかった。



 今までの経緯からして、二年に一度くらいは開くものだと思っていたが、こうまで長いとさすがに琉菜は不安になってきた。



 中富屋の女中もすっかり板につき、明治に入って周囲が西洋風になっていくのを見るのは面白かったが、このまま一生帰れないとなると、話は違う。琉菜は毎月満月になると、風が吹きますように、と祈るようになっていた。





 明治四年、そんな琉菜のもとに一人の客人が現れた。

 小さな客室に琉菜がお茶を持って入ると、驚きのあまりお茶をこぼしそうになった。



「斎藤さん!」



 少しやつれたようだったが、まぎれもない、元三番隊隊長の斎藤一がそこにいた。相変わらずクールに、何を考えているのかわからないような顔をして。

 琉菜は懐かしさと安堵感に涙が出そうになった。



「どうしてここに?」

「土方さんから話は聞いていた。落ち着いたら顔を出そうと思っていたのだが、随分かかってしまった。今日は別件で近くまで来たからな」

「すぐ、帰ってしまうんですか?」

「ああ、昨日着いたばかりだが、明日には出立する」



 忙しいんですね、と言いながらも、琉菜は涙を抑えるのに必死だった。



 齋藤さんに、また会えた……

 まだ、新選組はここにいる……



「一言言いたくてな。新選組の生き残りとして、みんなを代表して、礼を言う」



 齋藤は深くお辞儀をした。



「今まで、世話になった。ありがとう」



 琉菜ははっと我に返り、慌ててお辞儀した。



「そ、そんな、わざわざ斎藤さんにお礼を言われるようなことは……こちらこそ、本当にありがとうございました。あたし、皆さんと一緒に過ごせて、本当によかったと思ってます。新選組で過ごした時のことは、一生忘れません」



 齋藤の滞在時間は僅か三十分程度だった。互いに簡単に近況報告をすると、斎藤はそそくさと立ち上がって部屋を出てしまった。琉菜は玄関先まで追いかけ、「体に気を付けてくださいね」と月並みな言葉を送った。斎藤の今後を知っているから、琉菜は悲しくも、怖くもなかった。



「琉菜さん」

「はい」

「この先、日本はどうなりますか」



 琉菜は目を丸くした。久しぶりに聞かれた質問だった。だが、琉菜の答えはもう決まっていた。



「斎藤さんは、自分の目で確かめてください。それが、一番です」



 齋藤は、「そうか」と言って微笑んだ。そんな笑顔を、琉菜は初めて見た気がした。









 一週間後、満月の夜、強い風が吹いたのがわかった。

 もう帰る時間だ、とでも言うように、その風は吹き荒れた。



 齋藤さんにもお別れできたし、もしかしたら、それまで待ってくれていたのかも。



 結局、三度目の幕末滞在はは約五年間にも及んだ。その半分以上を過ごした中富屋では、盛大な別れの宴が開かれた。急ごしらえのはずなのに、なぜか高級な食材が所狭しと並んでいた。中でも、牛鍋屋から買い付けてきたという牛肉には、琉菜は涙ぐむほど感激した。肉を食べたのは、タイムスリップしてから初めてだった。







 そして翌日。琉菜は中富屋の前で、世話になった多代たちに深々とお辞儀をした。



「兵右衛門さん、お多代さん、紋太郎さん、本当にありがとうございました」

「元気でな。琉菜ちゃんのこと、ずっと忘れへんよ」多代が力強く言った。

「またいつでも来たらええ」兵右衛門はにこりと微笑んだ。

「お元気で。これ、ありがとうございます」紋太郎は琉菜が置いていったボールペンを手にして笑顔を見せた。



 琉菜はそんな三人をじっと見つめ、静かに涙を流した。



「みなさんも、お元気で。それじゃあ……さようなら」



 琉菜はえいや、と踵を返した。



 惜しめば惜しむ程、別れが辛くなる。ここは振り返らずに歩こう。

 これで本当に、「お別れ」は最後だ。



 ありがとう。

 あたしの、もう一つの家。

 あたしの、もう一つの家族。

 一生忘れません。

 ……さようなら。



***



 琉菜は、帰る前に寄ろうと決めていた場所があった。

 新選組の、旧屯所である。

 最後に、この目で見ておきたい。その思いだけだった。


 まずは、不動堂村の屯所。

 大きな建物がまるごと空き家になっており、取り壊されるのも時間の問題という話を聞いたことがある。がらんと静かに佇むその場所は、なんだか不気味な気配さえ漂っていた。


 中に入ると、薩長の残党に荒らされたであろう痕跡があった。

 琉菜は特に片付けもせず、誰もいない、屯所だった場所をぐるぐると歩いた。

 総司の部屋にも行った。


 ――琉菜さん、稽古に行ってきますね。

 ――駄目ですよ。今朝熱があったでしょう?


 そんな会話をしたなあ、ということが昨日のことのように思い出される。亡くなってから随分経ったというのに、なんだかまだ総司の匂いや温かみが残っているような気がした。


 琉菜は大きく溜め息をついてもう二度と戻ってくることなどないその屯所をあとにした。




 続いて西本願寺にも寄った。

 ここは人の気配があった。平和の訪れにほっとしたように、境内を歩いている僧侶たちが目に入ってきた。

 彼らが掃き掃除をしているその場所は、かつて新選組が大砲の訓練をしていた場所。

 本当にもう、そこは新選組のものではないのだと、彼らはいなくなってしまったのだと、琉菜はしみじみと感じた。




 そして、最後。新選組の隊士として、賄い方として、琉菜が最も長く滞在した場所。

 同時に、新選組の原点ともいえる場所。

 壬生である。


 見慣れた景色が視界に入ってくると、琉菜は早足になった。

 そしてやっとその場所にたどり着き、立ち止まって壬生寺の鳥居を見上げた。


 寺の佇まいは相変わらずで、境内には楽しそうにかけ回る子供たちがいた。

 琉菜はなんだか、その中で一緒に笑う沖田の声が聞こえた気がした。


 ――琉菜さんも一緒にどうです?

 ――はい、ぜひ!


 そんなふうに、一緒に遊んだこともあったっけ。


 琉菜は目頭が熱くなるのがわかった。

 涙があふれてしまう前にと、前川邸へと向かった。


 ああ、壬生の屯所だ。


 琉菜は門をじっと見た。

 男として入隊しようとした時、中に入れようとしない門番に食ってかかったのを思い出した。

 すると、すぐそこで庭いじりをしていた前川家の女中が怪訝そうな顔をしてやってきた。

 前川家の人々は、家が新選組の屯所になる際、別のところに引っ越していたが、新選組がいなくなると戻ってきて住みはじめていたのである。


「うちに、何か用どすか?」女中は不思議そうな顔で琉菜を見た。

「すいません。あたし、昔新選組で賄いをやっていた者です。今度遠くに引っ越すので、行く前にもう一度見たいと思って……」

「少し、待っとってください」


 女中から家の主人に話を通してもらうと、奥方が現れて「好きに見はって構しまへん」と言ってくれた。


 その言葉に甘え、琉菜は家の中をあちこち見て歩いた。


 局長室になっていた部屋、副長室になっていた部屋。

 本当にまだ近藤や土方がそこにいるような、そんな気がした。


 ――琉菜さん、お疲れ様です。朝餉の味噌汁、おいしかったですよ。

 ――琉菜!てめぇこんなとこフラフラしてねえで仕事しろ!


 琉菜はくすっと笑った。


 他の助勤たちの部屋、伊東らのいた離れ、男装時代に寝泊まりした大部屋、仕事場だった台所……どれもこれも懐かしいところばかりだ。


 そして、琉菜が寝起きしていた部屋。

 近藤や土方に初めて会ったのもこの部屋だ。

 ここには、いろいろな思い出がある。

 夜遅くまで鈴としゃべったり、沖田が遊びに来て一緒にひなたぼっこをしたり。


 ――琉菜さん、お団子食べません?巡察の帰りに買ってきたんです。


 琉菜は部屋の真ん中に座ってみた。

 懐かしい思い出が、頭の中に溢れた。

 それと同時に、今はもういない人々のことが浮かんできて、琉菜はさめざめと泣き始めた。


 みーんな、いなくなっちゃった……

 でも、この場所にはまだ、新選組がいたときの暖かさが残ってる。

 みんなは、確かにいたんだよね。

 この動乱の時代を、精一杯に生きたんだよね。


 もう、二度と会えないけど。

 いつかあたしが死んだら、天国でまた会えるよね。

 明日だか五十年後だか知らないけど、それまで気長に待っててね。


 琉菜は立ち上がって、部屋を出た。



 ***


 さようなら、幕末。新選組のみんな。

 生き残った人たち、もう、これ以上、血を流さないで。元気で、生きていて。


 時の祠の前に立った琉菜は、鳥居に向かって手を合わせてそんなことを祈った。


 総司さん、あたし、未来に帰っても、絶対忘れないからね。


 琉菜は懐からあの集合写真を取り出した。山崎の遺品から抜いたものと、近藤から預かったもの、沖田の荷物からもらったもの、そして、自分の分。その四枚しか、手元にはない。


「未来で見つかっちゃったら、なんとかしなきゃな」


 呟いて、琉菜は写真に微笑みかけた。


「みんな、ありがとう」


 琉菜は、鳥居をくぐった。

 強い風が、吹き荒れた。



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