52 ダイヤのネックレス
なぜか、ちょっと噴き出した。
「……何がおかしいんですの?」
「いや、何でもない。気にするな。リゼ、いい友達ができたようだな」
ディオール様が笑っている。
どうやら試し行為は終わって、アニエスさんは許されたみたい。
「は、はい!」
「どれ、私はどうやら邪魔をしているようだから、帰るとするか。愛しのリゼ、また夜に」
ディオール様はわたしのほっぺにわざとらしくちゅーをして、帰っていった。
……許されたんじゃなかったの?
いまいちディオール様の行動原理はよく分からない。
あとに残されたアニエスさんは、しばらく頬を膨らませていた。
「ま~嫌な男! ふしだらだわ無礼だわ、最低ね! あなた、なんであんな男と婚約しているの? 別れた方がいいわ!」
「ディ、ディオール様は、お優しい方なんですよぉ……」
「どこがなのかしら?」
「い、いつもいっぱいお菓子くれますしぃ……」
「私だってリゼにお菓子を買ってきてるわ」
「え……? はい、アニエスさんも優しいですよね、とっても」
アニエスさんは困ったように眉を下げた。
照れた表情がちょっとかわいい。
「もう、そうじゃないでしょう? お菓子をくれるごときでいい人だというのなら、世の中はいい人だらけよ!」
「そ、そんなことはありません! わたしがすごくおなかをすかせていても、お菓子なんてくれない人たちだっていました!」
わたしは両親や姉のことを思い出して、力強く反論した。
「だから、ディオール様もアニエスさんも、わたしにとっては神様みたいな人たちです!」
アニエスさんはぽかんとして――
少し笑ってくれた。
「まったく……リゼはしょうがない子ね」
口では悪く言いつつも、アニエスさんの声はとっても優しかった。
よく分からないけど、アニエスさんの機嫌が直ったので、わたしはいいことにしておいた。
アニエスさんは学園がお休みなのを利用して、その日だけで大半の仕事を片づけてくれた。
「とりあえず目につく案件は全部片づけたわ」
わたしは、おー、と拍手しておいた。
アニエスさんの仕事ぶりは本当にすごい。わたしが一か月かかっても片付けられなかった書類を五分くらいで処理してしまう。
「そしたらもう仕事はないので、今日はお店番を手伝ってもらえたら――」
「もちろんそれもするけれど、ひとついいかしら?」
アニエスさんは真剣な様子で切り出した。
「私、ずっと考えてたんだけど、商社を設立した方がいいと思うの」
「商社。……?」
「会社よ、会社」
「かいしゃ……?」
「あなたよくそれで今まで職人を……まあいいわ」
アニエスさんは手元にあったメモに、簡単な会社概要を書いてくれた。製作部門、販売部門、経理の三つに分けて、製作のところにわたしの名前と、販売・経理にアニエスさんの名前を並べている。
「リゼは職人として道具を作ればいいの。それ以外の部分、商品を売り買いして、帳簿につけたり、権利を保護したりするのが商社の人間の仕事」
「ほほー……? 商会みたいなものですか? それならもうあったような……?」
「詳細は省くけれど、どうやらそちらはご両親の名義だったもので、もう潰れているようだわ。だから、新しく必要なの」
「そうなんですね……?」
潰れてるなら作り直さないとだなぁ。
「あなたのところの過去の取引を調べさせてもらったけれど、どうやら国外とも取引があるようだし、王立魔道具師協会も今後は国際的な権利保護体制の確立を目指すと言っていたから、商社を作ってしまった方がいいと思うわ。旧リヴィエール商会の関係者が戻ってきても勝手に権利を主張できないように、ガチガチに固めておきましょう」
「おー……!」
パチパチパチと拍手をしておいた。
アニエスさんはやっぱり頼りになる……!
「とりあえず名前はリゼ・リヴィエール商社、もしくはリゼ・リヴィエール魔道具店でいいかしら? 好きな名前をつけていいのよ、何か入れたい屋号はあって?」
「急に言われても……」
「わたくしの父は弁護士時代に『ダイヤの弁護士』を屋号としていたわ。だからディアマン男爵なんてキラキラした称号をもらったのよ」
わたしは一応悩むふりをしてみた。
「特に何も思いつかないです……」
「では、商社リゼ・リヴィエールで行きましょう。社長もリゼで」
決まり、と書かれたメモを見ていたら、ふと疑問がわいた。
「アニエスさんのお名前は入れなくていいんですか?」
アニエスさんは驚いたようだった。釣り気味の目が丸く見開かれる。
「わ……私!? なぜ? あなたの魔道具店で、あなたが権利者なのよ?」
「でも、社長さんはアニエスさんにやってほしいです」
「……っ!」
アニエスさんは急に赤くなり始めた。「でも」とか「そんな」なんて、ごにょごにょつぶやいている。
やりたくないのかな?
でも、わたしだってやりたくない! なんか難しそう!!
なので、ここは強めに言っておくことにする。
「別に社長は女性がやったらいけないわけじゃないですよね? わたしを社長にしようとしているくらいなんですし」
「……ええ、特にそんな法律は……でも、舐められるわよ? 私の父は法服貴族で、庶民の経歴を石鹸で洗い流したものだし、私自身も父の経歴で人柄を見られる小娘に過ぎないわ」
「それは私が社長でも同じことではないですか?」
だからアニエスさんに面倒をみられたい……!
このしっかりしたお姉さんに全部お任せしたい……!
わたしは必死だった。
「わたしより、アニエスさんの方が向いてると思いますので、屋号にも『ディアマン』を入れましょう!」
アニエスさんは顔を真っ赤にしながら、小さく尋ねる。
「商社リヴィエール・ディアマン……でいい……のかしら?」
「はい!」
――こうして、女社長のアニエスさんが誕生したのだった。
***
アニエスは通算何十枚目かの申請書類を書きあげて、ペンを置いた。
最近、作成に慣れてきたので、書き文字の装飾部分にも凝る余裕がでてきた。
魔道具店の書類なので、書面からセンスよく行きたいものだ。
アニエスは不思議な充実感を覚えていた。
――楽しいわ。
学園の勉強との両立するのは大変かと思ったが、楽しみが増えたおかげか、集中力があがって、かえって成績があがったくらいだ。
こんなに充実するなんて思わなかった。
父の反対を押し切って始めてみて、本当によかった。
父には「女性に相応しい仕事を紹介するからやめなさい」と言われていたけれど、アニエスには父の気持ちがよく分からなかった。女性にふさわしい仕事ってなんなのだろうと思ってしまう。
もちろん、字義通りの意味は知っている。貴族の家庭教師あたりを想定しているのだろう。
でも、アニエスがそれで満足かと言われると、そうではないように思う。
――『お前がやりたい仕事を紹介する』と言ってくれたら、嬉しかったんだけどね。
とはいえ、アニエスは、父が特別に頭の固い人間なのだとは思わない。祖父と父が二代がかりで築き上げた地位を最高の形で受け継がせたいと思うからこその発言であることは理解していた。
キャメリア王国の女性の結婚率はおよそ三割ほど。実は結婚していない女性の方が多い。
未婚の女性が何をしているのかと言われれば、多くは家業を手伝っている。農民ならば農作業を、商人なら商売を。貴族であれば、同盟を結ぶためにしかるべき家へと嫁ぐ。
アニエスは、自分のことを男爵令嬢だとは思っていなかった。
代わりに、こう思っていた。
――私は、弁護士の娘なのよね。
彼女は弁護士家業を継いで暮らしたいのだ。




