しらゆきひめ
ねえ、どうして白いの。肌の色が。髪の色が。
そんな質問にあと何回答えればいいのだろう。
鎮目家にいた頃、まだ小学生で十朱市にはいなかった頃、困っている私をいつも助けてくれたのは、鏡花さんだった。鏡花さんは、正道さんとみなもさんの実の娘で、私を含む里子たちのまとめ役をしてくれていた。けれど、私がそんな質問をされているときだけは、あまり助けてくれなかった。
年を取って、どこに行ったって、この質問からは逃れられない。だから、今のうちに自分が何者かを説明することに慣れておいた方がいいと、鏡花さんは言っていた。
私のように、生まれつき肌が白く、髪も白や金色だったりする人をアルビノという。今でこそ、その存在は知られている。私も、自分と同じ症状の人がいることを、鏡花さんから聞いて初めて知った。けれど、アルビノが知られていなかった頃、それは得体の知れない、普通じゃないものだったはずだ。
でも、私は──。
アルビノはメラニン色素が少ないから他人より白い、少ないから目も悪い、そういうことだって説明できる。したくてもできなかった人たちが、昔はいたのだ。その人たちを思えば、私は恵まれている。そう──思おうとしていた。
人と話すときは目を合わせなさいと怒られる。紫外線に弱いから、眩しいから、顔を上げられないだけなのに。だから、足許ばかり見ていた。鏡花さんと一緒に歩くときは、いつも黒い靴を追いかけていた。
どうせ──わかりっこない。
いつしか、そう眩しくなくても、前を見なくなった。
目が悪いから、レジで小銭を選ぶのも難しくて、小銭入れごと落としてしまったとき、後ろに並んでいたおばあさんが、拾うのを手伝ってくれた。そんな優しい人の顔さえ、よく見えなかったのがつらかった。
ある日、玲市兄さんに整体に興味があるのって訊かれた。待合室で、そんな本を開いていたんだから、訊かれるのは当たり前だろう。その頃、玲市兄さんは正道さんが営む接骨院の患者さんで、病気のせいで青くなった白目を隠すために、いつもグラスの青みがかったサングラスをかけていた。
このとき、私は鎮目家が里親という個人からファミリーホームと呼ばれる事業に移ろうとしていたことを知らなかったし、玲市兄さんがそこの職員さん候補だったことも知らなかった。
ましてや、この人がのちにお養父さんになる人だなんて思ってもいなかった。
──目が悪い人はこういう仕事に就くから、今のうちに知っておこうかなって。
──将来のことを今から考えるのは立派だと思うけど、僕なら、まず歩いてみるかな。
──歩くだけ?
──うん、歩くと考えが広がりやすいし、遠くまで行けたら達成感がある。
自分の足で歩けてるって、実感することは自信になる。
だから、歩いてみた。
知らないことをしてみようと思った。
この家には、どんな人たちが暮らしているんだろう。どんな仕事をしているんだろう。この家の小学生も自分と同じ学校なのか、そうじゃないのか。歩いて、歩いて。怖そうな犬を飼っている家の前はこっそりと。祠やお地蔵さんに足を止めて。
やがて、湖に着いた。
眩しい。それは、本で見る景色だって、白いページが光を反射するから同じこと。
けど、この眩しさは。全身で感じられる。
こんな素敵な場所に、自分の足で。
これが──達成感なのかな。
木陰にリュックを下ろし、振り向いて、目に入ったのは──。
最初は、綿飴に見えた。薄く薄く、向こう側が透けて見えるくらい引き延ばされた綿飴。それは、ちょうど私一人が通れるくらいの大きさで。簾みたいに、どこからか見えない糸で吊るされていた。
簾越しに見る湖は、何だか赤い。びっしりと赤い藻のようなものが浮かんでいる。どうも向こうは雪らしい。降っている。きらきらしている。それは。
──ほんとうに、ゆき?
肩が、びくりと跳ねた。いつの間にか、簾に触れるくらい近付いていたことに気付いた。いや、すでに指先が当たってしまったような。誰か。足がもつれて尻餅をつく。
もう──簾はなかった。ただ、何の変哲もない湖が広がる。
家に着いたのは夜だった。初めて、みなもさんに怒られた。叱られたのではなく、あれは──怒ってくれていたと思う。玲一兄さんは、私が勝手にやったことなのにわざわざ謝りに来てくれた。
アルビノだってこと以外で、他人の気を引けたことが、実はちょっとだけ嬉しくて。
でも、あの簾は──。
気になりはしたけれど、眠れないほどではなかった。
散歩が唯一の趣味になって、鏡花さんや里子の娘たちがそれに付き合ってくれて、みんなそれぞれに悩みがあって、悩んでるのは私だけじゃないんだってわかった、そんなある日。
かくれんぼに誘われた。よく知らない娘たちだった。かくれんぼをして遊ぶふうではなかった。それでも、ついて行ったのは、いつも私を守ってくれる鎮目のみんなの顔が、頭に浮かんだから。ここで断ったら、迷惑がかかる。
季節は夏。山道を歩き回って、開けたところで鬼役を押し付けられる。顔を伏せて、数を数えて、途中で止めた。文句は聞こえなかった。
ああ、やっぱり。
女の子たちはいなかった。
そして、日傘がなかった。
何度も転んだ。足許が見えにくいだけが理由じゃない。酷い目眩がしていた。
気温が高くなっている気がする。
肌が真っ赤になっている。
アルビノについてよく知らなかった頃、日傘を持たず、半袖で外へ出たことがあった。日に焼ければ、少しはまともになるんじゃないかって思ったからだ。
あの時は、何ヶ月も包帯を外せない目に遭ったけれど。
これは水ぶくれで済むのかな。みんなのところに帰れるのかな。
涙が浮かんで、また転んだ。
地面の感触が、ちくちくしていた。
一面──金属の削りカスみたいなもので埋め尽くされていた。
赤い苔のようだった。
木まで赤く染まっている──と思って。幹の後ろから、何かがぞろりと現れた。
怪我をしているのだろうか。弱ったふうな足取りだった。ボロボロのポンチョみたいな衣装、有刺鉄線で縛られた両腕、頭は──狐だった。鋭い歯がむき出した口に、壊れそうな口輪を着けている。目は白く濁っているけれど。確実に、私を嗅ぎ付けている。
逃げないと。
何とか走り出して、すぐ──何かを踏んでしまう。網? 放り上げられる身体。頭を過ぎったのは、足をロープに引っかけて宙ぶらりんにする罠。けど、違う。これは、獲物を空高くはね上げて、ただ地面に落とすことを目的とした罠。
鈍い、音がした。かかと。踵から、何か出ている。
叫び声がする。ああ、これは。叫んでいるのは、私か。
くちゃくちゃと厭な音がする。
手が、足が失くなっていく。
どこまで食べられたのかなって、見ようにも頭が動かない。
首が折れているのだろうか。
いや、折れたら死んじゃうって聞いたことがある。
なら、まだ折れていないのか。
それとも、実はもう。
空から降る苔は、まだ止みそうにない。




