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29.閑話 花達のコーヒーブレイク

「あんなのズルいわ!」


 カンカン照りの庭とも言えないようなところから場を移しても、ツボーネの癇癪は一向に治まる気配がなかった。使用人が手早く用意した、冷やしたコーヒーも目に入っていないようだ。

 一方のルビーアは魔道具まで使った手間に敬意を表して、遠慮なく手を伸ばす。銅製の器から伝わる冷気が指先に心地よい。

 ルビーアとツボーネは同じ年代。誰の花になるかを争った戦友兼悪友のような存在だ。結局お互い狙っていた男とは違う男の花となったので、花勝負は痛み分け。現在はルビーアの旦那がより出世したため、力関係はルビーアの方に軍配が上がる、と世間的には言えるだろう。

 ただし、ルビーア自身は共に花争いをした女達に、上だ下だなどと考えたことがないのだが。


「いい歳していつまでジタバタしてるんだか。それに、『ズルい』とはニュアンスが違うんじゃないかい?」


「ズルいものをズルいと言って何が悪いの!?」


 甘みの強い贅沢な味わいを愉しみながらゆったりと応じるルビーアに、ツボーネは昔のように感情むき出しでぶつかってくる。それがなんだか懐かしく、こっそりと若返ったような気持ちになった。

 だが、いつまでもそうしていては花の名折れというもの。ツボーネにも花らしさを取り戻してもらわねば。


「ズルい、じゃなくて、羨ましいのさ。アンタも、アタシもね」


「……あなたでも、そう思うワケ? その、羨ましいって……」


 ルビーアが素直な気持ちを吐露したせいか、ツボーネの勢いが幾分萎む。


「そりゃあ思うさ。時代がもう少し優しければ……いや、時代だけのせいにするのは卑怯かね。単にアタシらに制度だの世間様だのに逆らう勇気がなかったって話だろう」


「そ、それは……でも、だって、そんなの出来っこなかったわよ!」


 幼いころから花となるために育てられてきた。だからといって、その中で好きなモノ、やりたい事が生まれてこないわけもなく。

 けれど、それを言い出せる環境ではなかった。


「アンタの気持ちもわからなくはないよ。でもね、違和感はあっただろう? というか、違和感があったからこそのこの感情さね」


「そ、そんなわけないわ! ただ時代に恵まれただけのあんな貧相な小娘、羨ましくなんて……」


「確かに、ザハラはアタシらがやってきた『女の戦い』なんてのは勝負にもならないだろうねぇ。正直言って、同じ時代に花として競い合ったらアタシらの圧勝だ」


「そうよ、なのに……」


 まだツボーネの目には、ザハラは地味で冴えない、花争いで相手にもならない女性に見えているのだろう。

 しかし、花に相応しいかどうかで彼女を判断している時点で間違っているのだ。


「だからこそ、だ。もう、戦いの次元が違うんだよ。あっちは叩き込まれてきた花としての道を飛び出してってるんだから」


 言いながら、胸が痛みを訴える。

 今から思い返してみれば、花とならない道を歩むことができる転機というのもあったのかもしれない。ただし、それは当時の自分には道にすら見えず、砂嵐が吹き荒れる断崖絶壁にしか見えなかったのだろう。

 かくしてルビーアは諦めて踵を返し、目の前の見える道を進んで現在に至る。一方、ザハラはナプの手を取りながら覚束ない足取りでも一歩を踏み出した。次元が違うとしか言いようがない。


「そんなの認められないわ! 反則でしょ、そんなの!」


「反則って……アンタねぇ」


 ツボーネの剣幕にテーブルが揺れ、器の中のコーヒーに波が立つ。

 どうやら何としてでも勝敗をつけたいらしい。いかにも勝ち気な彼女らしいが、さてどう言ったものかとルビーアが頭を悩ませていると、ややあってポツリと声が零れてきた。


「……でも、それで私があの女に今後依頼を出さないとか、意地悪とかをしたら、それはそれで私の負けになってしまうのよ」


「あっはっは。流石。わかってるじゃないか!」


 ツボーネの依頼は誰が見ても意地の悪いものだった。それをザハラは百点満点を超える形で達成してのけた。この時点ですでに勝敗はついている。

 これ以上の見苦しい真似は、彼女の矜持が許さないというところなのだろう。

 とはいえ、頭で理解するのと気持ちが納得するのは、また別なわけで。


「大体あの小娘、生意気なのよ! 素直に謝罪してくれば許してやったのに。水だって別に綺麗なのをちゃんと用意してたのよ!」


「アタシら花の常識が、あの子に通用するもんかい」


「なんであなたはそんなに達観してるのよ! 悔しくないの!?」


「複雑な気持ちはあったさ。なんで、とも思った」


「なら……!」


「でもねぇ、アタシらが我慢したからって下の世代も我慢しろっていうのはアタシはイヤだね。あまりにもカッコ悪いじゃないさ。いい歳こいて『アンタらも苦労しなきゃヤダヤダ』なんて駄々こねるなんてさ」


「うっ……それは、そうだけど」


「それにねぇ。あの子を応援することが、頑張れなかった過去のアタシへのせめてもの償い、みたいに思ってるところもあるんだよ。過去は変えられないからね」


「うぐ……」


「そんなに意固地になっちまってると乗り遅れるよ。きっとザハラはこれからでかい嵐の中心になるはずだ」


「そんなこと、わかってるわよ! でも、でも、このまま負けっぱなしはイヤなのよ! 絶対あの娘をギャフンと言わせてやるわ!」


「……まだ、何かしようってのかい?」


 ツボーネの心情もわかるだけに負け惜しみめいた言い分に付き合っていたが、流石にこれは聞き流せない。

 警戒の目を向けるルビーアに、ツボーネは胸を張って答えてくる。


「あの小娘、土地を探してるって言ったわよね? だったら、旦那様に掛け合ってくるわ!」


「まあ、アンタの旦那様ならできるだろうけれど……」


 ツボーネの旦那は、代々この辺りの地主をやっている。売買、賃貸、何でもござれだ。


「ふぅん、アンタがそんなことを言い出すとはねぇ。どういう風の吹き回しだい?」


「先行投資よ。あの娘が嵐の中心になるっていうなら、何倍にもなって返ってくるはずよね。あの娘を使って儲けてやったら、実質私が勝ったようなものじゃないの」


「そういうもんかねぇ」


「そうよ。それに私が骨を折ってやったらあの小娘だって「認めてもらわなくていい」なんて生意気な口、二度と叩けなくなるでしょう? 完全に私の勝ちってことよね」


「……まぁそういう見方もあるかねぇ」


 あくまで勝負に拘るツボーネに、ルビーアはこっそり苦笑を漏らす。

 裏を返せばザハラの発言がそれだけショックだったというわけだ。気位が高くて気難しいところはあるが、悪い人間ではない。この先顔を合わせることになっても嫌味の一つや二つは必ず言うだろうが、今のザハラならきっと受け流すことができるはずだ。そもそも勝ち負けなど考えてもいないに違いない。

 ザハラにとって益になると判断して、ルビーアは温めていた話をツボーネにも持ちかけることに決めた。


「ところで、今アタシらはザハラの後援会でも作ろうかって動いてるんだ。まだ皆旦那様の許可待ち状態だが……アンタも入るだろう?」


 連名のうちの一人ということであれば、ツボーネも入りやすかろう。逆に、目立つ役職に就きたいとでも言い出すだろうか。どちらにせよ旦那の許可が出なければ何もできないのが、花の歯がゆいところだ。


「……仕方ないから入ってあげるわよ。でもいい? あなたの顔を立てて、だからね。あんな小娘、気に入ってなんかないんだから。それに、後援会なんて作ったとしても、土地の名義はどうするのよ?」


 念入りに「嫌々ながら」の空気を作り出しておいて、すぐに具体的な話に入るツボーネが可笑しいやら、頼もしいやら。

 勿論そんな気持ちなど表に出すはずもないルビーアは、渡りに船と話を続ける。


「そうだね、そこが一番の問題なのさ。資金は今もある程度貯めてるだろうし、後援会がきちんと発足できれば、問題はなくなるはず。しかし、土地を手に入れるための名義だけはアタシらじゃあどうにもならん」


「だったら、後援会なんて作る意味ないじゃないの」


「まあ、先に動いておくに越したことはないだろう。機を見ることができなければ、花は務まらんからね」


「花にならないあの小娘には過ぎたものだと思うけどね」


 ツボーネはフンッと鼻を鳴らしながら、初めてコーヒーに手を伸ばした。いくら銅製の器とはいえもうすっかり温くなっているだろうに、文句も言わず口を付ける彼女に、ルビーアはまたこっそり苦笑を漏らすのだった。

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