油断するものは...
――アリシアたちが、ディートリンデ砦に侵攻しようと決意した頃。
その砦では、少しばかりのトラブルが起きていた。
「今更、俺にディートリンデ砦の守りの指揮を取れだと?」
訝しげな顔で、疑問を投げかけたのはディアベル・フォスターという王国騎士団の指揮官の一人であった。
ディアベル・フォスターは、典型的な小者であった。
長い物には巻かれろは彼の座右の銘であり、弱きをくじき、強きにへつらう、そんな騎士としての風上にも置けない人間であった。王国内での権力争いにも長けており、王国騎士団の雑兵に過ぎなかった彼は、気がつけば500以上の人間を束ねる大隊長の立場に就いていた。
そんな彼だからこそ、手柄を立てるチャンスには人一倍敏感であり……、
「なんだって俺が?」
ディアベルは、突然降って湧いた命令を、じっくりと吟味する。
「ええ。ここでの戦いは、もう終わったと思うから」
鈴の鳴るような声で答えたのは、イルミナという少女だ。
その少女は、おおよそ戦場に似つかわしくない優雅な笑みを浮かべている。
ディアベルが仕えるヴァイス王国は、レジエンテと手を結ぶことになった。
レジエンテの王女であるイルミナは、驚くことに自ら軍を指揮して、戦場に降り立ったのだ。最初はイルミナをお飾りだと蔑んでいた王国軍の兵士たちだったが、またたく間にその認識は覆されることになる。
――こいつは、バケモノだ。
それが、今のディアベルの認識だった。
なにせディートリンデ砦を一晩で陥落させたのは、目の前の少女なのだ。奇襲であったとはいえ、わずか100名の兵力で強固な砦を混沌に陥れたのだ。
聞けば、死の泉と呼ばれる毒沼を突っ切って、警戒の外側から敵本隊を叩いたという。敵も馬鹿ではない――毒沼の中を直進するというのは、大抵の者であれば選択肢にもあげない無謀極まりない自殺行為なのだ。
にもかかわらず、この少女は一晩でそれを成し遂げた。
当たり前のような顔で。
「狙いはなんだ?」
ディートリンデ砦を落とした少女は、その後、動きを見せようとしなかった。
ちなみにディアベルは独断で、追撃戦を仕掛けたものの、それは見事に返り討ちにあっている。
イルミナという少女は、いったい何を考えているのだろう?
そんな疑問を持っていた矢先の命令であった。
「狙いなんて無いわ。ただ――ここは、退屈なのよ」
何てことない口調で呟くイルミナ。
「退屈だと?」
「ええ、とても」
怪訝な顔をするディアベルに、イルミナは物わかりの悪い人間を諭すように独自の理論を展開する。
「人生って、楽しまないと損だと思わない?」
「いったい何を――」
「私は王国に戻って次の標的を探して、その間にあなたは手柄を得る。ギブアンドテイクといきましょう?」
そんな言葉を聞いて、ディアベルの顔に笑みが広がっていく。
――この少女の本質は、紛うことなき戦闘狂。
隊長としていろいろな人を見てきたという自負がある彼は、イルミナのことを理解した気になっていた。
ディアベルは、戦地で血を見ることが生き甲斐となっている人間が一定数居ると知っている。快楽に生きる彼らにとって、それは自然な行動なのだろう。
「ふむ……、手柄か」
「ええ。ここには、これから裏切りの聖女が来るという――シュテイン王子を悩ませている頭痛の種。捕らえれば、さらなる地位も夢ではないんじゃない?」
更にイルミナは、そう嘯いた。
裏切りの聖女――魔女・アリシア。
ディアベルにとって、その名は記憶に新しい。
人の善意を信じて死んでいった愚かな人間の名前だ。
ディアベルの部隊は、一度、アリシア率いる特務隊に命を救われている。命令を無視した独断行動で、モンスターの群れと対峙する羽目になったとき、助けに入ったのが合同作戦に参加していたアリシアたちだったのだ。
「あの時の顔ったら、無かったなあ――」
誉れ高き王国騎士団が、あろうことか、どこの馬の骨とも知れない特務隊に救われたという事実。決して広めてはいけない――ディアベルは、保身に走った。すなわち嘘の報告をでっち上げたのだ。
広まったのは、勝手な行動をして危機に陥った愚かな特務隊を、王国騎士団が華麗に救い出したという美談。
もっともその程度の出来事は、ディアベルにとっては日常茶飯事であったのだけど。
「あの日の出来事は、傑作だったなあ」
数ヶ月前に起きた断罪パーティを思い出す。
ディアベルが今の地位にあるのは、シュテイン王子らによるアリシア事変の影響が大きい。
あの事件のため――ディアべルは王子に乞われて嘘の証言をしたのだ。
アリシアが、魔族らと共謀・内通していると証言し、偽の証拠を提示したのだ。無実を訴えるアリシアに対して、率先して残酷な取り調べも行った。無実であることを知りながら、万が一にも真実が明るみに出ることがないように、確実に処刑に追いやるために。
すべてはシュテイン王子に恩を売り、さらなる地位を求めるため。その行動を取ることは、ディアベルにとって至極当たり前のことだった。
「くっくっく、また手柄を運んできてもらおうか」
ディアベルは、にやりと笑みを浮かべる。
なにせ圧倒的な人数差があるのだ。滅ぼされた奴隷商会が、ずいぶんと錯乱したらしいが、少数の魔族にできることなどたかが知れている――まして相手は、あの弱々しい少女なのだ。
ディアベルのイメージしていたアリシアは、牢屋に力なく横たわる姿だった。そう、ディアベルは、アリシアにまつわる噂をこれっぽっちも知らなかったのだ。
――かくしてディートリンデ砦の守りは、ディアベルという小者に委ねられることになる。
「ふん。ちょろいものね」
イルミナが、皮算用を始めたディアベルに嘲るような笑みを向けていたが――誰も気がつくことはなかった。





