あの子はいない。
──ラウラ、君の愛はニセモノだ。真実の愛は私と男爵令嬢の間にある。
婚約者であるホルヘ殿下は、私にそうおっしゃいました。
そうなのかもしれません。自分でも今はわからないのです。
女神様の愛し子である私のこの想いが自分のものなのか、それともホルヘ殿下にそっくりだったと言われる建国王陛下を慕う女神様のものなのか、が。
人間と神の寿命の違い、そしてなにより建国王陛下には王妃様がいらっしゃいました。
女神様は恋を諦め、この王国を守護することを誓ってくださいましたが、諦めたからといって恋心が消えるわけではありません。
王家に建国王陛下そっくりな王子殿下がお生まれになると、女神様の愛し子である聖女が生まれ、殿下と結ばれるのが常でした。
今の時代の聖女は私です。
平民の出ですが神託を受け、神殿で守られ王宮で教育を受けています。もちろんちゃんと家族に会いたいときは会わせてもらえます。
婚約者であるホルヘ殿下に嫌われていることを除けば、幸せな暮らしだと言えるでしょう。
王太子であるホルヘ殿下は、聖女の役目を果たすことで忙しい私が通っていない学園で、男爵令嬢とお会いになられました。
そして寵愛なさるようになったのです。
その日、王宮の中庭で、妃教育を終えた私は殿下とご学友の方々と顔を合わせました。
「お久しぶりです、ホルヘ王太子殿下」
「ああ、そうだね」
「今日はご学友の方々と散策なさってらっしゃるのですか?」
「そうだ」
「……あの子はいないのですか?」
「そうだ、あの子はいない」
女神様は建国王陛下そっくりだと言われるホルヘ殿下を溺愛していらっしゃいます。
愛し子である私よりも遥かに。
だからその御力で、殿下のお言葉はすべて真実になるのです。
ご学友の方々が怪訝そうなお顔で花壇から離れました。
彼らが私から隠そうとしていた男爵令嬢……今度のあの子はアルマとかいう名前だったでしょうか……は、そこにはいません。
ホルヘ殿下のお言葉はすべて真実なのですもの。
私は皆様方にお辞儀をして、お付きの人々とともにその場を去りました。
背中に殿下の視線を感じたような気がしましたが、たぶん気のせいでしょう。
私の愛はニセモノなのです。
★ ★ ★ ★ ★
『ホルヘ様? ねえホルヘ様ってば!』
男爵令嬢アルマがどんなに叫んでも、王太子ホルヘとその学友達は振り返らなかった。
それだけでなく、自分の声が聞こえなかった。
耳がおかしくなったのではない。王太子達の会話や逆方向へ去っていく聖女一行の足音は聞こえてくる。さっきまでアルマが見つめていた花壇の花が風に揺れる音も。
『どういうことなの?』
呟いたつもりの言葉も聞こえない。
とにかくホルヘ達を追いかけようと、アルマは足を踏み出した。
そして気づいた。前は気づかなかった影。ホルヘは無数の影に取り囲まれている。
ひとつの影が振り向く。
『殿下がいないと言ったなら、それが真実になるの。アタシ達はアンタと同じ、いないと言われて女神様に消された男爵令嬢よ』
聞こえないはずの声がアルマに届く。
『だれにも見えない気づかれない。聖女でさえ、いないと言われたアタシ達が消されたこと以外はいずれ忘れてしまうわ』
『嘘よ。アタシはここにいるわ。アンタ達とは違う、影なんかじゃない』
『アンタもいずれ影になるわ』
そう言った影に、アルマはだれかの面影を見た。
(ホルヘ王太子の恋人。羨ましい。同じ男爵令嬢ならアタシだって……)
蘇った感情に狼狽える。
(アタシはあの影を知っていたの? アタシもあの影を忘れたの? アタシも忘れられて影になるの?)
違う、違う、違う、とアルマは自分に言い聞かせる。
自分だけは違う、特別だ。
もしあの影達がホルヘに愛され、彼の言葉で消えてしまった男爵令嬢達であったとしても、アルマだけは影にはならない。きっといつか元に戻れる。だってアルマとホルヘにあるのは真実の愛なのだから、と。
実体のないアルマはゆらゆらと揺れながら、影達と一緒にホルヘを囲む。
真実の愛の相手であるホルヘならわかってくれる、気づいてくれる、思い出してくれる。
女神に溺愛されているホルヘが望んだなら、きっとアルマは元に戻れる。そう信じて。
★ ★ ★ ★ ★
その日、王宮の中庭で、私は殿下とご学友の方々と顔を合わせました。
「お久しぶりです、ホルヘ王太子殿下」
「ああ、そうだね」
「本日私と殿下の婚約が解消されました。私は神殿で聖女としての役目に専念いたします。もう王宮へ参ることはございません」
「……どういうことだ?」
「私に宿っていた女神様が神の国へお還りになられたのです」
「どうして」
「殿下がそれをお尋ねになりますか? 私の愛がニセモノだとおっしゃったのは貴方様ではありませんか」
殿下の顔色が変わりました。
「違う、それは違う! 私は初めて会ったときから君を愛している。だから……だからこそ……君の想いが女神様に由来するものだと思うと耐えられなくて……」
私は殿下のお言葉が真実であるとわかっていました。
女神様は神の国へお還りになられました。
もう殿下のお言葉を真実に変えることはありません。
ずっと前から知っていました。
殿下は女神様の影響で自分を愛している聖女を嫌っていましたが、私ラウラ自身は愛してくださっていたのです。
だからこそ私の本心を、嫉妬を引きずり出したくて、あの子達を寵愛していたのです。
「私も初めてお会いしたときから殿下をお慕いしていました。生まれたときから女神様の愛し子の聖女でありましたけれど、女神様の恋心が宿ったのは殿下との婚約が結ばれてからです。そもそも女神様は、私と殿下が婚姻すれば神の国へお還りになられる予定でした」
「だったら!」
「殿下。人を試してはいけません。貴方様がほかの女性と親しくなさるたびに、女神様と私の恋心は擦り減っていきました。私は今も殿下をお慕いしています。でも私の心に残る想い出は、あの子達といる貴方様の姿だけなのです」
「すまない! すまなかった、ラウラ!」
「謝罪はあの子達にしてあげてくださいませ」
「なに……うわ!」
ずっと殿下の周囲にいたのでしょう。
かつて男爵令嬢だった影達が姿を現して、殿下を取り囲んでいます。
女神様であってもご自身の御力で消え去ったものを元に戻すことは出来ません。彼女達が姿を現したのは、殿下が女神様の溺愛を失ったからでしょう。女神様はいかなる邪悪からも殿下を守っていらっしゃいましたから。
ほかの人間を試すために利用され、くだらない嘘で消し去られた彼女達が邪悪な存在になるのは当然のことでしょう。
いいえ、だれにも認識されない状態で彼女達が完全に消え去らなかったのは真実の愛に守られていたからです。
私は今も殿下を愛しています。でも私の愛はニセモノなのです。
ニセモノの愛しかない聖女は真実の愛に守られたあの子達にはなにも出来ません。
あの子達も真実の愛のお相手である殿下を害するような真似はしないでしょう。
これまでのようにただ側にいる……側にいたいだけなのです。
殿下が私を試したりせず、女神様とは違う私の恋心に気づいてくださっていたら、私のニセモノの愛も真実の愛になれたのでしょうか──無理ですね。私はあの子達が消えてしまうとわかっていて殿下に、いない、と言わせていた悪い女なのですもの。
<終>




