愛が貴方を殺しても
一生忘れないよ。
そうおっしゃった王太子殿下は、今夜の夜会でも私を見てくださいません。
王太子ウングリュック殿下はこの王国の国王陛下の一粒種。
生まれると同時に母君である王妃様を喪った王子殿下で、侯爵令嬢である私エーヴェの幼いころからの婚約者です。
私が婚約者になる前から、殿下には想う方がいらっしゃいました。
伯爵令嬢のロイエ様。
殿下の乳姉弟ということになるのでしょうか。殿下よりみっつ年上の彼女の母親が、王妃様を喪った殿下の乳母だったのです。ロイエ様が殿下と同い年の弟、伯爵夫人がふたり目の息子を喪ったことで乳母に選出されたのです。
赤みがかった金の髪。
光を浴びて色を変える緑色の瞳。
ロイエ様は、銀髪で紫色の瞳の私とはまるで違いました。
ウングリュック殿下のお心は、この王国の貴族子女が通う学園を卒業してすぐ辺境伯家へ嫁いだロイエ様が流行り病でお亡くなりになった今も、彼女のものです。
白いカスミソウを模した髪飾りをつけた私には目もくれず、殿下はロイエ様の遠縁に当たる男爵令嬢へと視線を捧げているのです。ロイエ様と同じ赤みがかった金の髪、光を浴びて色を変える緑色の瞳を持つ男爵令嬢へ。
婚約者との義務である最初のダンスを終えて、殿下はおっしゃいました。
「エーヴェ。僕は王太子として、ほかのご令嬢とも踊ってこようと思う。君もさまざまな方々と交流を深めてくれ」
「……はい」
ダンスの間も私を瞳に映さなかった殿下は、そのまま男爵令嬢のところへ行くのです。
このまま婚約を続けていても、殿下に見つめられることはないでしょう。
いずれ学園を卒業して、私が殿下の妃になったとしても、ずっと──父である侯爵は以前からこの婚約に反対していました。私が言えば、すぐにでも婚約を白紙撤回してくれることでしょう。
幸せそうに男爵令嬢と踊るウングリュック殿下と、自慢げな視線を私に投げかけてくる男爵令嬢を見つめながら、私は髪飾りを外しました。
★ ★ ★ ★ ★
「どうしてです! どうして彼女を殺さなくてはいけなかったのですか!」
侯爵令嬢エーヴェとの婚約が白紙撤回された王太子ウングリュックは、男爵令嬢と婚約をして先日結婚した。
男爵令嬢のままでは身分が低過ぎるので、彼女の実家は結婚前に伯爵家へ陞爵されている。
数ヶ月の新婚生活ののち、ウングリュックは妃から妊娠を告げられた。幸せの絶頂だったのに、妃は亡くなってしまった。
父である国王の命令で殺されてしまったのだ。
対外的には病死ということになっている。
納得出来なくて、ウングリュックは父王にかみついていた。
「彼女は僕の子どもを身籠っていたのですよ!」
「そなたの子どもではない」
「……え?」
「そなたには子種がない」
「父上、なにを……」
「学園へ入学する直前に、そなたはあのロイエとかいう伯爵令嬢と関係を持ったであろう?」
「ご存じだったのですか」
「この王宮でおこなわれたことはすべて私の耳に入る。それにあの女はそのことを大々的に触れ回っていた。いずれ、そなたの種と称した子どもを連れてきて王位を簒奪するためにな」
「そんな……こと……」
絶望の表情を浮かべる息子を見て、父王は溜息を漏らした。
「その上でそなたに子種がなくなる熱病をうつしたのだ。正式な婚約者である侯爵家のエーヴェ嬢と結婚しても子どもが出来ないように」
「もしかしてロイエが嫁ぎ先の辺境伯家で亡くなったのは……」
「……辺境伯家は国境だけでなく、この国すべてを守ってくれているのだ」
父王は苦渋の表情を浮かべていた。
忠義の家臣に汚れ仕事を押し付ける罪悪感は重い。
彼は言葉を続けた。
「そなたの妃が身籠ったのが結婚して数年後なら私も対処法に悩んだ。子どもが出来ないことを悩んだ末の愚行だっただろうからな。しかし結婚して数ヶ月でほかの男の子を身籠るということは、最初からそなたに子種がないと知っていて嫁いで来たとしか思えない」
「妃はロイエの遠縁でした。一族全員による陰謀だったのでしょうか」
「そうとも限らない。そなたがロイエとかいう伯爵令嬢にうつされた熱病が、男の子種を奪う可能性の強いものだということは知られている。エーヴェ嬢の父親である侯爵もそれを疑っていた」
「エーヴェは僕に子種がないと知っていたから婚約を白紙撤回したのですか」
「いいや、彼女は今も知らないだろう。知ってしまえばそなたを憐れんで、絶対に結婚していたはずだ。私はそれを期待していた。そなたにはなんの傷もつかず、エーヴェ嬢がひとりで泥を被ってくれることを……彼女はそなたを愛していたからな」
「ロイエは僕を愛していなかったのでしょうか」
「そなたを愛する身持ちの固い娘なら、実家を侯爵家に陞爵させて婚約者に据えていた。そうでなくても伯爵家なら王家に嫁ぐことが出来る家柄だ」
「……見舞いに来てくれたんです」
ウングリュックは光を失った瞳で呟くように言う。
「あの熱病で苦しんでいたときに真っ白な花を持って。家の花壇で僕の幸せを願いながら育てた花だと言って。だからきっと僕を守ってくれると。僕は一生忘れないと誓って、乾燥させたその花をお守りに……」
「そなたはそんな誤解をしていたのか?」
「え?」
「今さら教えても仕方のないことだが、白い花を持って見舞いに来たのはエーヴェ嬢だ」
「……」
ウングリュックは、婚約者として出席した最後の夜会で侯爵令嬢エーヴェがつけていた、白い花を模した髪飾りを思い出した。
彼女の白銀の髪にとてもよく似合っていた。
★ ★ ★ ★ ★
「エーヴェお嬢様」
「なんですか、グレゴリー」
私は今、実家の侯爵領にある工房で働いています。
ウングリュック殿下の婚約者として出席した最後の夜会でつけていた、白いカスミソウの髪飾りを作ってくれた工房です。
実はあの髪飾りは私の意匠だったのですが、作ってくれた職人のグレゴリーが気に入ってくれて、もっと作ってみないかと誘ってくださったのです。周囲には貴族令嬢のお遊びだと思われているかもしれませんけれど、私は本気で頑張っています。大陸中の夜会で私の意匠の装身具が使われていたら素敵ではありませんか。
「新作の試作品出来ましたよ、スミレのやつです」
「まあ!」
私はさっそくグレゴリーに見せてもらいました。
「技術的に無理だったところもありますが、ほぼエーヴェお嬢様の意匠通りに作れたと思います」
「ええ、本当に素敵です。……ふふ、実はこの前貴方にもらったスミレの砂糖漬けを参考にしたんですよ」
「そうだったんですか! 俺なんかの差し入れがエーヴェお嬢様のお役に立てたなら光栄です」
グレゴリーはまだ若く独身で、体の大きな逞しい男性です。
手も大きくて指も太いのに、とても繊細な細工をする方です。
ウングリュック殿下とはまるで違うのに、彼といるとときどき胸がときめきます。
「あ」
「どうされました?」
「スミレの砂糖漬けはとても美味しかったですけれど、私、そんなに食いしん坊というわけではないのですよ?」
「はは、そうですか。じゃあ今日俺が持ってきた焼き菓子はお食べになりませんか?」
「……食べます」
お妃様を喪ったウングリュック殿下は、生涯再婚しないことを誓いました。
王位は養子にした公爵家の令息に継がせると聞いています。
ロイエ様に続いてお妃様まで喪ってしまった殿下は、きっと心がお亡くなりになってしまったのでしょう。
愛が殿下を殺してしまったのです。
それでも王太子殿下として、未来の国王陛下としてお励みになるのでしょう。
もうお会いすることはありませんが、私はウングリュック殿下のご多幸をお祈りしています。愛に殺されてしまった殿下に、私が出来ることはほかにないのです。
<終>




