魅了が解けた王子様は追放令嬢を愛せない。
その日、魔女が死んだ。
魅了の力を持つ魔女だった。
その国の王子と王子のふたりの側近を魅了し、王子の本来の婚約者を追放させて妃になろうとしていた魔女だった。彼女はすべての魔力を使い果たし、枯れ木のような姿で死んでいた。
★ ★ ★ ★ ★
その日、追放された私が暮らす家に王子がふたりの側近と一緒にやって来た。
幼いころから十年以上婚約していたが、通っていた学園の卒業パーティで私を断罪して婚約を破棄し、国外追放を命じた王子だ。
私との婚約を破棄したのは魔女に魅了されていたかららしい。せっかく邪魔者の私を追い出したのに、魔女は一年ほど前に死んでしまったのだという。それらのことは、風の噂で聞いていた。
「なんのご用ですの? 一国の王子ともあろうお方がこんな国境沿いの森にふたりの側近だけ連れておいでになるなんて、危険極まりないですわよ」
「心配してくれるのだね、ありがとう。だが魅了が解けた今、どうしても愛する君に会いたくて居ても立っても居られなくなってしまったんだ」
「……はあ?」
私は王子のふたりの側近達を見た。
騎士団長の息子と魔術師団長の息子だ。
私の友達と婚約していたふたりもまた、魔女に魅了されて婚約者との婚約を破棄していた。私の友達は国外追放まではされなかったけれど、王子の側近との婚約を破棄された令嬢では貰い手がないと国を出て、隣国の貴族に嫁いでいる。
「こちらのおふたりが、私の友達でもあった婚約者のご令嬢を愛していたのは知っています。一年ほど前に魅了が解けたとき、元婚約者がすでにほかの男性に嫁いでいると聞いて自害しようとなさったことも」
「そうだよ。主人として、彼らのことは気の毒に思っている。しかし、相手が結婚してしまっていたのだから仕方がない。君がほかの男と結婚していなくて良かったよ。さあ、私と一緒に帰ろう」
「どうして帰らなくてはいけないのですか?」
「私が君を愛しているからだよ。冤罪は晴らした。君が国へ帰ることを邪魔するものはだれもいない」
そもそも冤罪を着せたのはあなたでしょう、と思いながら口を開く。
「どうしてそんな嘘をおつきになるのですか? 学園であの魔女に魅了をかけられる前から、あなたは私を愛していなかったではないですか」
「素直になれなかっただけだよ。本当は、最初から君を愛していた」
「愛していた? 初めてお会いしたときからあなたを愛して、子どもながらも必死に尽くしていた私を、気持ち悪い近寄るな、とひと言で切り捨てたあなたが?」
「照れていたんだよ」
「婚約者の誕生日プレゼント選びも従者任せで、一度もご自分でお選びになったことのないあなたが?」
「公務で忙しかったんだ」
「夜会で一曲踊れば役目は済んだと距離を置き、お茶会でも不機嫌な顔のままだったあなたが?」
「君が好き過ぎて緊張していただけなんだ」
「はあ……」
溜息をついて、私は王子を見つめた。
自分で言った通り、私は初めて会ったときから彼のことを愛していた。
王国のただひとりの王子、未来の国王である彼の隣に立ちたくて、王妃教育に打ち込んだ。それだけでなく淑女としても自分を磨き、彼に尽くしてきた。でも愛すれば愛するほど、彼の心は遠ざかっていった。
「わかりました」
「わかってくれたかい!」
「あなたは魅了にかけられているのですね」
「魅了は解けたよ。もう一年も前にね」
「そうです。魔女があなたにかけた魅了はもう一年も前に解けているのです。なのに、あなたが私を迎えに来たのは今日です。愛しているのなら、どうして一年前に迎えに来られなかったのですか?」
ふっと、王子の瞳から光が消えた。
この家に訪ねてきてからの、私の知らない暑苦しい姿ではなく、どんなに愛しても応えてくれなかった本当の王子の姿が垣間見えた気がした。
やっぱり……彼は私を愛してなどいない。
「……忙しかったから。それに、君がどこにいるのかもわからなかったんだ」
「そうですか。魅了が解けたというのなら、もう一度魅了を解く魔法をかけても問題はありませんね」
「魅了を解く魔法?」
「はい。あの魔女を苛めたという罪で追放された私は、あの魔女の魅了を打ち砕くために魔女になったのです。この森の古代遺跡に残る資料を集め、独学で修業を積んで」
「あ」
魔術師団長の息子が声を上げた。
魔術師の使う魔術と魔女の使う魔法は違う。
魔法は古くて不規則で使用者を選び、ときとして暴走する。
「隣国の皇帝にかけられた呪いを解いた魔女というのは、もしかして」
「私です。死に至る呪いに比べたら、魅了などものの数にも入りません。魅了にかかってらっしゃらなかったとしても、代わりに二度と魅了にかからない守護の魔法をかけて差し上げますわ」
王子が私を見つめる。
心なしかその顔は、さっきよりも青褪めているように思えた。
彼が絞り出したような声を上げる。
「やめてくれっ! 私には魅了などかかっていない! 君が嫌なら連れて帰ったりしない。だからこの、君を愛する気持ちを奪わないでくれ」
「本当の気持ちなら魔女に奪うことは出来ません。本当の気持ちを魔法で作り出すことも出来ません。魔女に出来るのはニセモノの気持ちを作るか、ニセモノの気持ちを消すことだけですわ」
「……わかった、白状しよう。確かに私には魅了がかかっている。自分でかけたんだ」
「「殿下?」」
騎士団長の息子と魔術師団長が、驚きの表情で王子を見つめる。
王子は側近達に視線を返した。
「魅了が解けて、君達が失った婚約者を想って自害までしようとしていたのを見て……羨ましかったんだ。魅了が消えた私の心にはなにもなかった。空っぽだったんだ。私は自分がだれよりも優れた人間だと思っていた。優れた人間である自分が、普通の人間を愛することなどないと思っていた。愛を口にする人々を見下していた。でも……魔女に魅了をかけられていたとき、私は幸せだったんだ。ニセモノの愛は優しくて温かくて、私の空っぽの心を満たしてくれた。あの魔女が魔力を使い果たして死んだのは、私の心が空っぽ過ぎたからだろう」
「……あなたの心を満たすことの出来ない婚約者で申し訳ありませんでしたわ」
「違う! 君が悪いんじゃない。私が君を愛せば良かったんだ。私を愛する君を蔑んで見下して、自分が優れていると思い込むことを選んだ私が愚かだったんだ」
王子はわざわざ他人を見下さなくても、だれもが認める優秀な人間だった。婚約者に冤罪を着せて追放しても、魔女に魅了されていたとわかっても廃嫡されたりしないくらいに。
だからこそ自分から孤高を求め、その孤独な頂点から降りられなくなってしまったのだろう。
優秀な彼は、私と同じく独学で一年かけて魔法を学び、自分自身に魅了をかけた。
「君を愛するこの心がニセモノだとわかっていても、私は失いたくない。君が好きなんだ。君のことを考えると心の中が温かくなる。不安や嫉妬に苛まれることもあるけれど、それすらも心を満たしてくれる大切な感情だ。遠く離れたところから、君のことを想わせてくれ」
「嫌です。あなたが愛しているのは、他人を愛せないお可哀相なご自分だけではありませんか」
私は心の中で呪文を詠唱しながら、両手を動かして魔法円を描いた。
王子の顔が引きつった。
「やめてくれ、やめてくれ、やめてくれーっ!」
魅了を解いて、もう二度と魅了にかかることがなくなる守護の魔法を王子にかけた。
王子は優秀だ。どんなに王妃教育を頑張っても、私は見劣りのする婚約者だった。
だけど、魔法の腕では負ける気はない。王子には魔女のかけた守護の魔法は解けない。
「空っぽ……空っぽだ。また空っぽに戻ってしまった」
虚ろな顔で王子が呟く。
「守護の魔法が封じるのは魅了だけです。本当にだれかを愛することならお出来になりますよ」
「本当にだれかを愛することなど……」
「殿下、帰りましょう」
「帰りましょう。僕達は間違ってしまったのです」
魅了にかかっていても、すべての意思が無くなるわけではない。
魅了されて魔女を愛したからと言って、彼女の言葉すべてに従うようにされていたわけではない。本当の恋人同士だって、意見が対立し喧嘩することもある。
私や友達と婚約を破棄したのは彼らが望んだことなのだ。魔女の言う通りにして、魔女に気に入られたいと望んだのだ。
「もうお会いすることはありませんね」
学園の卒業パーティの日、王子に言われた言葉を逆に返す。
「……」
彼の虚ろな瞳が私を映した。
あの日の私は、涙に濡れた瞳で王子を見つめていたっけ。
魔女が王子を魅了していることは明らかだった。それまでの彼とは違い過ぎた。恋に浮かれているというだけでは説明がつかなかった。魅了でニセモノの恋心を詰め込まれた王子は、ニセモノになってしまったのだ。それでも、彼女を想う部分以外の判断は元の彼がしていた。
私を断罪して追放したのは彼の意思だ。
魅了さえ解ければ、と魔女の修業を始めて、さほど日も経たないうちに私は気づいた。魅了を解いたからといって、彼に愛されるわけではないのだと。
山賊や人攫い、悪党どもが身を潜めている危険な国境沿いの森に私を捨てると決めたのは彼なのだと。
王子とふたりの側近達が危険な森へと去っていく。
他人を愛せない王子と、今も彼を愛し続けている私のどちらが不幸なのだろうか。
自分の気持ちだけでいいから、魔女が本当の気持ちも消せたらいいのに。
そんなことを思いながら涙を拭って、私は魔法の研究に戻った。いつか新しいだれかを愛する日を夢見ながら。──もちろん愛した人に魅了をかけるつもりはない。
<終>




