私が二番目に好きな花【死者の遺したもの】
ねえ殿下! どこまで私を苦しめれば気が済むんですの?
この王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティで、公衆の面前で婚約破棄したくらいでは気が済まなかったとでもおっしゃるつもり?
王宮の貴方の部屋で、机に広げた紙に私の名前を綴ってお亡くなりになるなんて!
あんまりですわ!
おかげで私、近衛騎士団長に疑惑の目で見られてしまいましたのよ?
まあ幸い貴方の部屋は密室でしたし、最近記憶があやふやになってきた貴方が弟君に王太子の座をお譲りになったことを忘れて、ご自分が若き王太子だと思い込んでいらしたことも周知の事実でしたわ。
貴方の死は自然死、寿命として結論づけられました。
……ねえ殿下、便せんの宛名に私の名前を書いて、あのころ私が好きだった青い矢車菊の押し花を握って亡くなっていらっしゃったのはどうしてですの?
今さら婚約破棄の謝罪ではございませんでしょう?
ふふふ、もうとっくに謝っていただきましたものね。
貴方や私の兄達があの娘に魅了されていたことがわかって、教国の大聖堂から聖王猊下がいらっしゃって魅了を解いてくださったときに……でもそのときはもう、私は貴方以外の人の妻になっていましたわね。
もっとも、なんの関心もない相手に魅了されることはないという話ではありませんか。
貴方はあの娘に好意を抱いて、それでまんまと魅了されたのですわ。
あの娘を愛するあまり、婚約者の私を排除しようとしたのですわ。
魅了が解けたからといって、魅了されていた間になさったことが消えてしまうわけでもありませんしね。
貴方は結局独身のまま、弟君の治世を支え続けましたね。
おかげで私、とても迷惑いたしましたのよ。
あの娘に夢中になって実の妹を貶めた兄に見切りをつけた父が、私を跡取りにしたことは覚えていらっしゃるでしょう?
跡取りの配偶者として選ばれた私の夫は、前からずっと私を想っていてくれた男性でしたの。
あら、私は貴方とは違いますわ。貴方に婚約破棄されるまで、彼を男性として意識したことさえありませんでしたわ。
貴方が独身でいるのは、今も私を想っているからなのではないのか。
夫はずっとそう疑っていましたわ。
彼そっくりの息子に私が家督を譲って、彼も多忙な貴族家当主の配偶者から解放されて古巣の近衛騎士団で団長職に復帰して、やっと落ち着いたかと思ったら、貴方が思わせぶりな状況でお亡くなりになるのですもの。
やっぱり私達はずっと想い合っていたのではないかと、しばらく疑惑の目で見られて大変でしたのよ。
貴方は記憶があやふやになっていたから私がまだ婚約者だと思い込んでいらしたか、関係のない用事で私に手紙を書こうとしていただけだと、何度も言ってやっと笑顔になってもらえたんです。
そうは言っても……たぶんすべての疑いは消え去っていないのでしょうね。貴方自身のお考えはわからないままですもの。
夫は文句を言いながらも、陛下に掛け合って貴方の遺した便せんと青い矢車菊の押し花を私に持ち帰ってくれました。
私の一番好きな花が青い矢車菊だと覚えていらっしゃったのですか?
貴方の瞳と同じ色の花でした。
幼いころは家の庭師に、青い薔薇を咲かせて欲しいとせがんで困らせていたものですわ。
だって貴方のいらっしゃる王都と私の家の領地は離れていたのですもの。貴方の瞳は滅多に拝見出来なかったのですもの。
だけどね、申し訳ありませんけれど、実は今の私が一番好きな花は青い矢車菊ではありませんのよ。
黄色いタンポポなんです。
ふふふ、夫や息子達の金茶の髪と同じ色でしょう?
夫はすっかり白髪になって、タンポポの花よりも白い綿毛そっくりの頭になっていますが、それでも、だからこそタンポポが大好きなんですの。
ねえ殿下、私とても幸せな人生でしたわ。もちろん、これからも幸せに生きますわ。孫は可愛いし、ひ孫の顔も見たいですもの。
でも……青い矢車菊が嫌いになったわけではございませんわ。
青い矢車菊は今でも、私が二番目に好きな花です。
ねえ殿下、だからといって自惚れないでくださいませね。
私の最愛はヤキモチ妬きの可愛い夫ですから。
それでもきっと、これからもときどき心の中で貴方に語りかけると思いますわ。貴方は私の元婚約者で、私の初恋の人、私が二番目に好きな青い矢車菊と同じ色の瞳の王子様なのですもの。
<終>




