だれのものでもない彼女【惚れ薬】
「公爵令嬢スサナ! 王太子である私ナタンは、今日この場をもって君との婚約を破棄する! 我が最愛の男爵令嬢クルエルダを虐めた君を許すことは出来ないッ」
この王国の貴族子女が通う学園の卒業パーティ。
隣で叫んでいる青年の腕に掴まって、クルエルダは俯いていた。
顔を上げるわけにはいかない。クルエルダは公爵令嬢スサナに虐められたことで傷ついているのだから。計画が上手く行って、ほくそ笑んでいる顔を見られてはいけないのだ。
クルエルダは男爵令嬢だ。
実家はあまり裕福でなく、学園に入学しても婚約は決まっていなかった。
両親に玉の輿に乗れと言われていたこともあるが、クルエルダは自分の意思で身分と財力を持つ青年達に擦り寄った。もちろん見た目も重要だ。並んだときに自慢出来るような青年でなければ口説く価値もない。
身分と財力を持つ青年達に婚約者がいないわけがなかった。
それでもクルエルダはやり遂げた。
緩む顔を上げないように気をつけながら、視線だけ動かして周囲を見る。
クルエルダに腕を貸し与えているのは、この王国の王太子ナタン。
ナタンと逆方向の隣に立つのは近衛騎士団長の息子で、王太子の側近アントニオ。
そっと背後に控えているのは宰相の息子で、やはり王太子の側近カルロスだ。
学園の図書館で偶然を装ってカルロスと出会い、知性を褒め称えて懐に潜り込んだ。
同じ王太子の側近アントニオを紹介されて、武力を煽て上げてクルエルダを護ると誓わせた。多少誘導したものの、自主的にである。
最終的に彼らの主君王太子ナタンと邂逅して、婚約者の公爵令嬢スサナから略奪することに成功したのが今晩。主君に続いて、アントニオとカルロスも婚約者達に破棄を告げている。
(ああ、良かった。これでアタシの未来は薔薇色だわ。王太子妃になってもアタシは自由よ。もちろんアントニオやカルロスのものにもならないわ。あはははは、三人がアタシのものなのよ)
本当に良かったと、クルエルダはナタンの腕に隠れて溜息をつく。
何度も何度も要求したのに、三人が婚約者に別れを告げてくれたのは学園生活最後の今日だった。
一時は婚約者達への当てつけに利用されているだけではないかと心配したものだ。
(三人ともアタシに夢中なのよね。……そうよ、あんなのただの偶然よ)
卒業が近づいても、なかなか三人が婚約者達と別れようとしないので、クルエルダは強硬手段を取った。父の男爵と取り引きしていた怪しげな商人から惚れ薬を購入して、三人に飲ませたのである。
(商人の冗談だったに決まってるわ。あれは果実酒だったのよ。惚れ薬のせいじゃなくて、アタシの魅力で三人を虜にしたんだわ!)
あれから姿を見ないし、父に尋ねても怪訝そうな顔をされるが、あの商人が人間でなく妖精や悪魔のたぐいだったとは思わない。
父はクルエルダをからかっているのだろう。
惚れ薬なんてあるはずがないのだ。
実際のところ、飲ませても三人の態度は変わらなかった。
むしろ一時は前よりも壁が出来たように感じたくらいだ。
それでも諦めずに婚約破棄を要求していたクルエルダの勝利だ。クルエルダは小刻みに震えた。顔は上げていないから、パーティ会場にいる人間には公爵令嬢スサナに虐められたことを思い出して、恐怖で泣き出したように見えているはずだ。
★ ★ ★ ★ ★
「……結局彼女は、だれのものにもならなかったのね」
学園を卒業後、私は王都の公爵邸で催したお茶会の席で呟きました。
私と同じように卒業パーティで婚約破棄された親友達が、男爵令嬢の末路を教えてくれたのです。
彼女は──
宰相の息子カルロス様に毒を飲まされ、
近衛騎士団長の息子アントニオ様に剣で斬られ、
元王太子のナタン殿下に首を絞められて、
最終的に部屋の窓から飛び降りて亡くなったと言います。
三人のうちだれも、彼女を殺すことは出来なかったのです。
彼女を殺せたものが、彼女のただひとりの恋人として心中する権利を得られるはずだったらしいのですけれど、だれも殺せなかったので三人は今も生きています。殺人未遂で罰せられるとは思いますが、処刑まではされないでしょう。そうでなくても彼ら三人の人生は終わったようなものですし。
今の王家には求心力はありません。
ナタン殿下が卒業パーティで愚行を晒したからだけではなく、もとから軽い旗印だったのです。
国王陛下はそれを憂い、この王国一の権威を誇る我が公爵家と繋がりを持とうとなさいました。父である公爵が愛娘とナタン殿下の婚約を受け入れたのは、王家の権威を増すためではなく、これまで以上に王家の首根っこを捉えるためだったと思いますけれど、そういうことには気づかない振りするのが賢い人間というものです。
今日のお茶会に来てくださった私の親友でもあるご令嬢達も、同じような理由でアントニオ様やカルロス様と婚約をしていました。
王家の力が弱ければ、王家を担ぐ派閥も強くはなれませんものね。
あの三人は心底からの莫迦ではありませんでした。自分達の婚約の意味をわかっていたはずです。だから、婚約を破棄するほど男爵令嬢に夢中になっているとは思ってもみなかったのですが……
「お三方は、ご自分達が男爵令嬢に惚れ薬を飲まされたのだとおっしゃっているのですわ」
「私も聞きましたわ。私どもと婚約破棄してまで彼女を求めるつもりなどなかったのに、あるときからどうしても男爵令嬢が欲しくてたまらなくなったのだと」
おふたりとも元婚約者に再構築を求められたようです。
私にもナタン殿下から手紙でも来ていたのかもしれません。
でもきっと権力を欲して政略結婚は受け入れたものの、それはそれとして身内への情が厚い父公爵が私の目に入る前に処分したのでしょう。私との婚約を破棄したことで廃太子となったナタン殿下と再婚約しても、なんの旨味もありませんし。
「ふふふ。惚れ薬だなんて、あるはずございませんのにね」
「ええ、まったくですわ」
「当然すぐにお断りしたのですけれど侍女に手紙を捨てさせるのを忘れていて、新しい婚約者に見つかって嫉妬されてしまいましたわ。まったく困ってしまいますわ」
「困ると言いながら嬉しそうでしてよ」
「うふふ」
だれしも本気で恋をしたら、相手に自分だけを見てもらいたいと思うものです。
彼女はだれのものにもなりませんでした。
三人の男性にひとりの女性だったのですもの。これはなるべくしてなった結末だったに違いありません。
恋というものは、自分では制御出来ないものです。
婚約者の威を借るご自分達の劣等感を紛らわせるために男爵令嬢と一緒にいるうちに、三人は本当の恋に目覚めてしまったのでしょう。
惚れ薬だなんておとぎ話の中にしか出てきませんものね。
男爵令嬢と当てつけに付き合って卒業と同時に捨ててしまうよりも誠実なおこないをなさったと思いますよ。
殺人未遂はいけませんし、私もおふたりと同じで手紙をいただいていたとしても再構築はごめん被りますが。
<終>




