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豆狸2024読み切り短編集  作者: @豆狸
謎めいて(ミステリ風味)
30/85

彼女は殉じた。【心中】

「彼女は愛に殉じたんだ」


 元夫、伯爵家当主のホルヘ様は言いました。

 ここは我が家の応接室です。

 私と離縁した後で迎え入れた新しい妻のエスタトゥア様が、彼女の前の夫である侯爵と心中したのだそうです。


 侯爵は三年ほど前から事故で行方不明になっていて、半年前に見つかったときは事故当時の記憶を失っていました。

 どちらも私とは無関係な方々です。

 わざわざ報告に来てくださらなくても良かったのに。


「彼女が……エスタトゥアが愛していたのは、今も昔も彼ひとりだったんだよ。僕は彼を失った彼女の悲しみにつけ込んだだけの道化だったんだ」


 ホルヘ様が道化だというのは同意ですが、エスタトゥア様が昔から侯爵を愛していたという言葉には頷くことは出来ません。

 我が家の援助が無ければ伯爵家は没落寸前だと知るまでは、エスタトゥア様と一番仲が良いのはホルヘ様だったではないですか。

 私と婚約解消したホルヘ様がエスタトゥア様と新しく婚約しようとしたから、伯爵家の皆様が彼女に真実を教えたのです。


 エスタトゥア様は没落貴族家のご令嬢でした。

 裕福な貴族子息に近づいていたのは、ご家族から玉の輿に乗れと言われていたからだったのは想像に難くありません。

 でもそれで婚約者のいる高位貴族家の嫡男にだけ擦り寄っていたのは、彼女の薄汚い功名心からだったことも間違いのない事実でしょう。他人の想い人を奪って悦に浸りたい、そんな心の持ち主だったのです。私は今でも、婚約解消を告げるホルヘ様に寄り添って嘲笑を浮かべた彼女の顔を思い出せます。


 伯爵家の内情を知らされたエスタトゥア様は、すぐさま侯爵に乗り換えました。

 もちろん侯爵にも婚約者がいらっしゃいました。

 この王国の貴族子女が通う学園には裕福な平民も入学が許されていて、婚約者がいなくて貴族家と伝手を作りたいと思っている商家の息子もたくさんいたのですけれどね。


 私もそんな商家の娘です。

 実家は私とホルヘ様の婚姻と前後して叙爵されて子爵家となりましたが、学園時代の私は平民でした。

 だからこそエスタトゥア様はホルヘ様を(くみ)しやすいと見て擦り寄っていたところもあったのでしょう。ホルヘ様はご自分が貴族であることに誇りを持っていらっしゃいましたもの。


 それでもご自分の家の状況を知って、なによりエスタトゥア様に捨てられて、彼女に付き纏うなと学園時代の侯爵に罵られて、ホルヘ様は私との再構築をお望みになりました。

 愚かな平民の小娘は、婚約者だからと意地悪な貴族のご令嬢から自分を助けてくれた伯爵家のご子息を物語の英雄のように思っていました。

 ヘラルディナ、僕が悪かった。もうエスタトゥアのことなど見ない。君を大切にする──そんな言葉を信じて、私は再構築を受け入れてしまったのです。


 今にして思えば、私を愛するだなんて一言もおっしゃっていなかったのに。


 だけど侯爵が事故で行方不明になったとエスタトゥア様が泣きついてくるまでは、それなりに幸せな夫婦生活を送っていたのです。

 ホルヘ様がエスタトゥア様と再婚なさった後でお亡くなりになった先代伯爵ご夫妻は、義理の娘の私を可愛がってくださっていました。

 我が家の援助もあって伯爵家の業績は上向きになっていましたし、ホルヘ様も私に優しくしてくれていました。


 一方、前からの婚約を破棄して彼女を花嫁として迎え入れた侯爵家は、どんどんと落ちぶれていきました。

 それは当然のことでしょう。

 エスタトゥア様はホルヘ様と侯爵以外の婚約者のいる貴族子息にも粉をかけていました。弄ばれた殿方も、青春の一番輝かしい時期に愛する人を奪われていたご令嬢も、彼女を許すはずがありません。侯爵家の事業は少しずつ少しずつ取り引き先を失っていったのです。


 考えてみると、私が学園で貴族のご令嬢に意地悪をされていたのもその辺りに原因があったのかもしれません。

 伯爵家の実情を知るまでのエスタトゥア様の本命は明らかにホルヘ様だったのに、彼の瞳にはご自分以外の貴族子息とも親しくしている彼女の姿が映っていませんでした。

 婚約者であるお前が彼の瞳をこじ開けろ、言外にそう伝えられていたのかもしれません。でも無理だったのです。ホルヘ様は婚約者である私を助けてくださることはあっても、平民である私の言葉に耳を傾けてくれることはなかったのです。


「エスタトゥアは侯爵の記憶が戻らないかどうか、ふたりっきりで話し合ってみると言った」


 節穴な瞳に嫉妬の色を滲ませて、ホルヘ様は語り続けます。


「侍女も従僕も部屋に入れず扉の外で待たせていたんだ。いつまで経ってもふたりが出てこないので、怪しんで中に入るとどちらも死んでいた。エスタトゥアは自分の茶に入った毒で、侯爵は彼女に胸を刺されて。茶の毒はエスタトゥアが密かに購入していたものだった。……愛する人に自分を思い出してもらえなかった絶望で、無理心中を図ったのだろう」


 彼の瞳は今も閉じたままです。私は尋ねました。


「エスタトゥア様が毒を購入なさったのは侯爵が見つかってからですか?」

「いや、それよりずっと前だ。僕と結婚した直後くらいかな。侯爵を忘れて僕と幸せになることに罪悪感を抱いて、自害を考えていたのかもしれない」


 あんなにお元気だった先代伯爵ご夫妻は、どうしていきなりお亡くなりになったのでしょうね?

 おふたりは最後までホルヘ様とエスタトゥア様の再婚に反対していらしたと聞きます。離縁を許したのは、これ以上ホルヘ様と一緒にいても私が不幸になるだけだと思ったからだと言ってらっしゃいました。

 エスタトゥア様との結婚を強行したホルヘ様を絶縁して、遠縁の人間に伯爵家を継がせるとおっしゃっていたご夫妻は、どうしてお亡くなりになられたのでしょうね?


 私は疑問を飲み込んで、ホルヘ様に教えました。


「先日、王宮へ召喚されました。侯爵は記憶喪失を装っていらしただけで、本当は姿を現した時点で記憶は戻っていたのだと聞きました。侯爵はご自身が記憶を失うことになった前後のことについて、王宮へ手紙を送っていたのです」

「え?」

「侯爵が行方不明になった馬車の事故は偽装でした。侯爵家の事業失敗で抱えた借金から逃げるためにエスタトゥア様と計画なさったのです」

「そうか……彼女は罪を犯してまで侯爵を……」


 なにやら納得しているようですが、そんなお綺麗な話ではありません。


「ですがエスタトゥア様との待ち合わせ場所で、当座の資金や必要な身の回り品を待っていた侯爵のところへ現れたのは殺意に満ちた覆面男でした。殺されかけた侯爵は必死で抵抗しているうちに頭を打ち、()()うの(てい)で逃げ出した後から姿を現すまでの記憶は無いそうです」


 私はホルヘ様を見つめて言いました。


「侯爵は手紙でその覆面男がホルヘ様だったのではないかと疑っていらっしゃいました。それで私が呼ばれたのです。侯爵が行方不明になってからの数日間、貴方がどうしていたかと聞かれました。あのときはまだ夫婦でしたものね」


 事故の報告を受けてエスタトゥア様に泣きつかれてから、ホルヘ様はしばらく侯爵邸で過ごしていました。彼の顔から色が抜けていきます。


「ヘラルディナ、君は……なんと……?」

「あのときホルヘ様にお聞きした通り、正直に。昼間はつきっきりでエスタトゥア様を慰めていたけれど、夜はべつべつに休んでいたようです、とお答えしましたよ。侯爵が襲われたのは夜だったらしいです」

「それじゃあ僕の疑いは晴れない。違う、違うんだ。あのときは夜も……」


 ええ、わかっています。

 当時のホルヘ様は(ヘラルディナ)という妻がありながら、()()()()エスタトゥア様を慰めていたのでしょう?

 私がそれを指摘したときは邪推をするなと怒られましたね。


 でも正直に言っていたとしても疑いは晴れませんよ。

 あのときのエスタトゥア様は侯爵夫人でしたもの。

 ご自分が不貞をしていただなんて認めるはずがありません。そもそも今の彼女は亡くなっていますし、生きていたとしても……たぶん最初からなにかあったときに罪を着せるためにホルヘ様に泣きついたのだと思いますし。


 心中にしたって、ホルヘ様が思っていらっしゃるようなことではなかったのでしょう。

 記憶があってエスタトゥア様を信じていなかった侯爵が互いの茶碗を入れ替えて、ご自分が毒を飲んだことに気づいた彼女がいざというときに備えて隠し持っていた刃物で前の夫を刺し殺した、それだけのことだったのではないでしょうか。

 ホルヘ様と再婚したことだって、伯爵家が裕福になったからというよりも、学園時代に親しくしていたほかの貴族子息には相手にされなかったから仕方なく、だったのだと思いますわ。


 白くなっていたホルヘ様の顔が赤く染まりました。やっと瞳が開いたのでしょう。


「べ、べつの男だ! エスタトゥアはべつの男に侯爵を始末させようとしたんだ。あの淫売にはべつの男がいたんだ!」


 ええ、そうですよ。学園のころからずっと彼女はそんな女性でした。殿方にチヤホヤされて、彼らの婚約者の嫉妬の視線を浴びることで愉悦を感じているような方でした。


 とはいえ、今はもうどうでも良いことです。

 私とホルヘ様は離縁しているので、彼が罪に落とされても我が家に累が及ぶことはありません。

 お墓の中の先代伯爵ご夫妻が悲しむこともありません。……ないことを祈ります。


「ホルヘ様。そろそろご自宅へお戻りになられたほうがよろしいですわ。たぶん王宮からの使者がいらしてます。私が先に呼ばれていたのは貴方と口裏を合わせないようにでしょうね。侯爵家を没落させて当主を殺害するという、とんでもない陰謀なのですもの。王国に反逆するようなものです。王家も慎重に捜査していますわ」

「違う、僕は……僕は……」


 あのときエスタトゥア様と夜通し一緒だったことを証明出来たとしても、共犯のふたりが覆面男を雇ったとでも思われるだけでしょう。


「ねえホルヘ様。私、新しい縁談がありますの。相手に誤解されては困りますので、今後は我が家へ来ないでくださいませね」


 私はエスタトゥア様と違って一途な女なのです。

 新しい縁談の相手を愛したなら、絶対に裏切るような真似はいたしません。

 ホルヘ様は小刻みに震えています。エスタトゥア様はご自分の薄汚い欲望に殉じたのですから、貴方も不貞の愛に殉じたらいかがかしら?


<終>

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