ひと目会いたくて【猛暑】
去年も今年も猛暑でした。
きっと猛暑が彼女を狂わせたのでしょう。
「アリス」
葬儀が終わって、私の元婚約者のカール様が声をかけてきました。
今日の葬儀は彼の妻、侯爵夫人フェイリュア様のものでした。
彼女は学園時代にカール様を誘惑して、私から奪い取ったのです。
「久しぶりだな」
「はい。お義姉様のご葬儀以来ですから一年ぶりでしょうか」
「……これから、ふたりきりで話せないだろうか」
もちろん首を横に振ります。
私は人妻なのです。
夫はカール様の叔父に当たるダニエル様です。ダニエル様は侯爵家とは絶縁して、学園時代に得た騎士爵で騎士団員となって独立しました。私も夫もこの家とは無関係なのです。
とはいえ、先々代侯爵の不義の子として生まれ、異母兄よりもその息子である甥のカール様とのほうが年齢の近いダニエル様は、そんな自分を家族として育ててくださった先々代侯爵夫人と異母兄夫婦に恩を感じていました。
ですので去年のお義母様とお義姉様のご葬儀には夫婦で出席いたしました。
今回参りましたのは、その際にお義母様とお義姉様にカール様のことを頼まれていたからです。
実の祖母と母君を喪い、妻までいなくなったカール様はひとりになってしまいました。
絶縁しているからといって、フェイリュア様の葬儀をカール様おひとりに任せるなんて無情な真似は出来なかったのです。
ダニエル様は優しい方です。生母の死後に迎え入れられた継母との折り合いが悪く、カール様に婚約を破棄されて行き場のなくなった私に求婚してくださったほどなのです。
「そんなことが出来るはずがないだろう、カール。私が一緒では話せないような内容なのか?」
ダニエル様に問われて、カール様は俯きました。
「いや、そういうわけじゃない。でも……叔父上はきっと怒るから……」
溜息をついて、ダニエル様は告げました。
「侯爵夫人の命を奪ったのが君だということは知っている。騎士団は貴族家で起こった事件について調べるのが仕事だからな。……使用人達の証言もある。君は襲いかかられて反撃しただけだということも知っているよ」
「そうか……」
手伝いに残った私と夫以外の参列者はもう帰宅しています。
私達は扉を閉ざしたばかりの霊廟の前に三人だけです。
フェイリュア様の棺は侯爵家の霊廟に納められたのです。騎士団は侯爵を殺害しようとした夫人の罪を明らかにするよう勧めたのですが、彼は家の名誉を考えて事故死と発表したのです。
霊廟の外壁に背中を預けて、カール様は溜息のように呟きました。
「……前に叔父上やアリスが言っていた通り、フェイリュアは侯爵家の財産目当てで僕を誘惑したのかな? 父上が亡くなってからずっと僕を支えてくれていた母上やお婆様も、財産を手に入れるために彼女が殺したんだろうか。だとしたら僕の、僕のせいで……」
私は夫を見つめました。ダニエル様が口を開きます。
「それは違うよ、カール。そうだったら、使用人達の目のある場所で君を襲うはずがない。大恩ある義母上と義姉上の死因に怪しいところがあったのに、私が黙っていると思うかい? おふたりの死は猛暑のせいだ。あの女……フェイリュア夫人が君を襲撃したのも、きっと猛暑のせいだ。暑さで朦朧として、君が別人に見えたのさ」
「そうかな?……だと良いなあ」
カール様に見つめられて、私は頷きました。
そうです、そういうことにしておいたほうが良いのです。
それに本当に猛暑のせいなのです。猛暑のせいでお義母様とお義姉様がお亡くなりにならなければ、フェイリュア様もカール様を襲撃することはなかったでしょう。
私達の言葉を受け入れても、最愛の妻が死んだことは変わりません。
話が聞こえない位置で待機していた使用人達に、猛暑と孤独で弱り切ったカール様を任せて、私達夫婦は帰路に就きました。
汗ばむほどの陽気なのに、ダニエル様が私の肩を抱いて引き寄せます。
「……君は優しいから、ひとりになったカールに同情しているんじゃないだろうね」
「そんなわけありませんわ。行き場のない私に求婚してくださった貴方に感謝はしていますけれど、それだけで結婚するはずがないじゃありませんか。貴方を愛しいと思ったから結婚したのです。貴方は違うのですか? 私への同情だけで結婚してくださったのですか?」
「そんなわけがない!……ただ、カールが君を呼び捨てにしていたのに怒らなかったから」
「貴方も怒らなかったじゃないですか。今日はお葬式だったのですよ? そんなことで言い争いをするような状況ではなかったでしょう。それに……もう二度と会わない方ですもの」
「……そうだな。次に侯爵家に来るのはカールの葬儀のときだろう」
私がカール様に婚約を破棄されるようなことがなかったら、ダニエル様はだれとも結婚しなかったとおっしゃいます。
実際学園時代も、お義母様とお義姉様が持ち込む縁談を断り続けて婚約しないでいらっしゃいましたもの。
先々代侯爵とその愛人の子どもであることはダニエル様の罪ではありません。でもダニエル様はお義母様と異母兄の先代侯爵を苦しめた父と母が、その不義の子である自分が許せなかったのです。
ダニエル様は美しい方です。
文武にも秀でていて、学園中の令嬢の憧れの的でした。
私やご自身の婚約者を愛する令嬢を除いて、の話ですけれど。
フェイリュア様もダニエル様に憧れていました。
憧れるだけでなく、狂おしいほどに愛していらっしゃったのです。
恋慕の想いは自分自身でもどうにも出来ません。フェイリュア様は生涯独身を宣言するダニエル様とのつながりを求めて、彼の甥だったカール様を誘惑したのです。カール様に捨てられた私を、ダニエル様がお求めになるなんて思いもせずに。
つながりを求めてカール様を誘惑したということは、フェイリュア様自身がダニエル様に告げたことです。
ダニエル様はその残酷な真実をカール様に教えることは出来ませんでした。
それで財産目当てだと言ったのです。恥ずかしながらそのときは、私もダニエル様の尻馬に乗ってフェイリュア様を罵りました。本当のことなどなにも知らなかったのに。
「ダニエル様」
「なんだい?」
「私の名前を呼んでくださいませ。たとえカール様に呼び捨てにされても、貴方に呼んでいただけただけで、彼の声など忘れてしまいます」
「……アリス」
「はい」
「アリス。私のアリス」
「はい、旦那様」
年齢の近い叔父と甥、おふたりの声はよく似ています。
それでも今の私には夫の声のほうが心地良く聞こえます。
夫が私を愛してくれているからです。私が夫を愛しているからです。
ダニエル様は婚約者のカール様を一途に慕う私に、婚約破棄の前から想いを寄せてくださっていたそうです。
でも甥の婚約者を想うなんて不義でしかありません。
だからずっとその気持ちは秘めていてくださったのです。
去年も今年も猛暑でした。
きっと猛暑がフェイリュア様を狂わせたのでしょう。
彼女の真意を薄々察していたお義母様とお義姉様がダニエル様との絶縁を受け入れてくださってからは、夫と私が侯爵家を訪ねることはありませんでした。だからといって大恩あるおふたりのご葬儀に出席しないという選択肢は選べませんでした。
去年の葬儀で、ダニエル様は喪主であるカール様とは会話しましたが、フェイリュア様には一瞥も与えませんでした。
それでも彼女は満足だったのでしょう。
去年の夏は二回もダニエル様を見られたのに、今年は一度も会えないことが耐えられなかったのでしょう。カール様の葬儀なら、ダニエル様も欠席するわけにはいきません。喪主になるだろうフェイリュア様にひと言もないはずもありません。
彼女はダニエル様に会いたかったのです。
ひと目で良いから会いたかったのでしょう。
……結婚相手のカール様を殺しても。
今の私は、少しだけ彼女の気持ちがわかります。
なにかでダニエル様と引き離されてしまったら、ほかに彼と会える方法がなかったら、私も罪を犯してしまうかもしれません。
それぐらい彼を愛するようになったのです。
「アリス」
「はい」
「……君も私の名前を呼んでくれないか」
「ふふふ。……はい、ダニエル様」
いいえ、私は彼女のようにはなりません。
だってダニエル様は私を愛してくださっているのですもの。
愛する夫を守るためにも、私は罪を犯す道を選ぶことはないでしょう。つながりが欲しいからと他人の婚約者を奪うことを選択した時点で、フェイリュア様の末路は決まっていたのかもしれません。それともやはり、やはり猛暑のせいだったのかしら。
<終>




