第99話 身近に潜む様々な妖異達
「じゃあ、もうすぐ帰って来るんですね?」
碓氷雅樹が大江探偵事務所で電話をしている。彼のスマートフォンへ連絡を入れて来たのは、最近ずっと不在だった大江イブキだ。
『ああそうだよ。もう少しの間だけ、事務所を任せるね』
「はい、分かりました」
それからも暫く会話を交わした後、雅樹は通話を切った。彼がふと後ろを振り返ると、永野梓美がソファで寛いでいる。
少しだらしない格好をしており、スカートの中が見えそうになっている。視線を吸い寄せられそうになりつつ、どうにか雅樹は耐えた。
宇治で一条愛宕と出会ってから数日、探偵事務所は平和そのものだ。あれ以降は依頼も入らず、雅樹は雑用と事務仕事だけをやっている。
雅樹は少し掃除をしようと、応接テーブルの方へ向かう。梓美が飲んだジュースの空き缶を回収し、雅樹は台所で濯いでゴミ袋に入れた。
窓用の雑巾を絞り、商店街が見える通り側の窓を丁寧に拭いて行く。ちょうど探偵事務所の向かいでは、最近工事をやっている。
老朽化した空き家が数軒建っていたが、全て解体工事が行われている最中だ。新築でも建つのだろうかと、雅樹は予想していた。
「なあ雅樹君、暇やし何か話そうや~」
寝転がっていた梓美は、体を起こして雅樹へと話し掛ける。そう言われてもと、雅樹は会話のテーマを考える。
何か話したい事や、聞きたい事はないだろうか。暫く思案した雅樹は、妖異についての話題を振る事にした。最近思っている事だったから。
「最近色んな妖異を見たじゃないですか? 本当にこう、個性的なんですね」
異界で出会った妖異達、都市伝説が具現化した者達。異界という存在もまた、妖異と似ていた。自我があるかは微妙だったが。
その件で知り合った、良源という優しい滋賀の支配者。イブキと同じ鬼であり、歴史に名を残した僧侶でもある。
妖異対策課から届いた依頼で行った、兵庫県の支配者。妖狐である長壁姫は、自分で作った異界へ籠り暮らしていた。
助けてくれた人間の少女を想い、弔いを行った化け猫が居た。消え去る最後の瞬間まで、怪談としてあり続けた妖異を見た。
貴重な演奏を聴いた帰りに、宇治で知り合う事となった愛宕。橋姫と呼ばれている彼女は、妖異と人との間に生まれた鬼だ。
「そらなぁ~色んな奴がおるよホンマに」
「しかも思っていた以上に、身近に居るし」
雅樹が知らなかっただけで、驚く程近くに妖異達は居る。そういう意味では、目の前に居る梓美だってそうだった。
雅樹はただの可愛い先輩としか思っておらず、イブキの代理としてやって来るまで気付かなかった。普通の人間だと思い込んでいた。
初めて知った時は衝撃だったし、今でも普通の女子高生みたいに見える時がある。だけど彼女は、人間じゃない。
少し惹かれていた部分もあったので、今でも対応に困る事がある。感情を喰われる時なんて、その最たるものだろう。
梓美にとってはただの食事でも、雅樹からすればキスをされているのと同じ。それも学校で有名な、かなりの美少女が相手。
当然ドキドキはするし、同時に感情が無くなる感覚に襲われる。たまには精気も一緒に吸われるオマケ付き。本当に感情がかき乱される。
喰われていると、どうしても梓美も化け物なのだと、嫌でも思い知らされてしまう。今でも少しだけ、怖いと思ってしまう瞬間がある。
あまりにも美味しそうに、雅樹の感情を喰らう姿は雪女に相応しい。畏怖を感じるという意味では、イブキの時も同様だ。
「ウチら多くの妖異は、上手い事紛れ込んどるからなぁ」
「梓美先輩の真実を知った時は、本当にビックリしたんですから」
梓美やイブキだけではない。本当に多くの妖異達が、人間社会の中で暮らしている。雅樹はたった数ヶ月で、20種類以上の妖異と遭遇した。
滋賀から入った異界の影響も大きいが、そこで見た妖異達は現世にも存在している。あの中だけに居るのではないのだから。
都市伝説や怪談から生まれ、今もどこかで妖異として生きている。ただ雅樹が、まだこちらで遭遇していないだけで。
こうして助手を続けていれば、いつかまた出会う可能性は十分ある。実際に雅樹は、口裂け女と会った事があるのだから。
自分達人間が、どれだけ世界の真実を分かっていないか良く分かった。本当に恐ろしい話だと、雅樹は思っている。
「今まで俺、本当に守られていたんだなって」
生まれ故郷では那須草子達3姉妹が、京都に来てからはイブキと梓美が。妖異の危険から、雅樹の事を守ってくれていた。
草子達に至っては、生まれた時からずっとだ。他の妖異達から隔離して、徹底的に守護されていたのだ。今思えば本当に有難いと雅樹は思う。
もし違う土地に生まれていたら、まだ生きていたか分からない。引っ越した先が京都でなければ、既に死んでいたかも知れない。
今こうして生きているから、怖い話だと思う事が出来る。そんな余裕すら与えられないまま、死んでいた可能性は非常に高い。
「まあイブキ様が居る限り、雅樹君が死ぬ事はないで」
「本当に、実感しますよ。もちろん梓美先輩にも、感謝していますよ」
異界での探索では、梓美が居なければ雅樹は死んでいる。そもそも梓美が居なければ、探索に行く事すら出来なかった。
依頼者である瀬能舞花が、涙を流しながらお礼を言っていた姿を、雅樹は鮮明に覚えている。彼は依頼を達成出来て、本当に良かったと思えた。
肝心の探索対象、名塚昌平は帰らぬ人となってしまったが。しかしそれでも、親族の下へ帰れたのは大きかったと言える。
他のご遺体についても、世界中の家族の下へ帰って行った。結果妖異対策課を通して、雅樹へ感謝の手紙が沢山届く。
梓美に翻訳して貰い、全ての手紙に書かれた内容を知れた。雅樹にとって、大きな転換点になった事件かも知れない。
自分に救える人間なんて少ないと、彼は改めて思い知り悩んでいた。両親の死についても、完全に吹っ切れてはいなかった。
だけど自分の行いで、救われる人達だって居る。完璧な解決ではなくとも、決して無意味では無いと思える切っ掛けとなった。
人間達の身近に迫る妖異の影。どこにでも居る危険な存在で、簡単に人々の生命を奪ってしまえる。本当に恐ろしい脅威である。
「感謝ついでに、ウチの事を早く好きになってな」
雪女としての妖艶な空気を滲ませながら、梓美が雅樹を見ている。ゾクリとした感覚を覚えた雅樹だったが、来客があったのでどうにか切り抜ける。
慌ててドアへと向かい、来客への対応を開始。今度はどんな依頼だろうかと、雅樹はドアを開ける。しかし、そこに居たのは……。
「御機嫌よう、雅樹様。遊びに来ましたわ」
「あ、愛宕さん!?」
和服を着た美しい女性が、ドアの前に立っていた。今日は以前とまた違った柄の和服で、水色の生地にピンクの睡蓮が描かれている。
とても清楚な印象を受ける姿で、ニコリと雅樹に微笑んでいる。しかも今日は髪をアップにしていて、前回よりも色気がある。
化粧もしっかり施されており、明らかに余所行きの気合が入った格好だ。雅樹の好感度を稼ぎに来ているのだろう。
「はぁ!? アンタ何しに来たんや!?」
「梓美に用はないから、お気になさらず」
気にするわ! と叫びながら梓美は、ツカツカと玄関へと向かっていく。またしても雅樹を巡った争いが始まってしまった。
どうしてこうなったのかと、雅樹は頭を抱えるしかない。喧嘩を止めるようにと、両者の間に割って入る雅樹。
今からデートに行こうと雅樹を誘う愛宕と、絶対にデートをさせたくない梓美。両者の間でバチバチと火花が散っている。
またしても丁度良い落としどころを探るしかない雅樹は、梓美と愛宕の両方と出掛ける折衷案を提示した。
両者がそれで渋々了承したので、何とかなったかと雅樹は安堵する。本当にこう、妖異は身近過ぎるなと思いながら。
イブキが早く帰って来ないかなと願いながら、雅樹は雪女と鬼を連れてショッピングへと向かった。




