第88話 一匹の化け猫
碓氷雅樹は永野梓美と共に、依頼された兵庫県の高校を訪れている。私立兵庫学園という結構大きな学校だ。
生徒数も多く在籍し、スポーツと勉学のどちらでも好成績を残している。本来なら優れた学校であった筈だった。
だがイジメ重大事態を見逃すという失態を犯してしまい、自殺者の出る大きな事件を起こしてしまった。
イジメ重大事態というのは、イジメ防止対策推進法という学校が守らねばならない、重要な法の中に含まれている項目である。
生徒の生命や心身、又は財産に関する重大な被害が発生した事案の事を指す。まさに今回のようなケースが該当するイジメだ。
「聞いていた通り、生徒が全く居ないですね」
「せやな。今敷地内におるんは、殆ど妖異対策課の人間やろうね」
予め聞いていた通り、生徒は校内におらず大人しか姿が無い。しかもその多くは、明らかに学校関係者ではない。
何やらお札らしき物を手にしていたり、錫杖を持っていたり。神職と思われる人間ばかりが巡回している。
恐らくは学校に蔓延している、化け猫の呪いを解いて回っているのだろう。全員がお経を唱えながら移動している様子だ。
「とりあえず誰か捕まえて、化け猫の居場所を聞こか」
「そうですね」
事件の要と思われる化け猫と会う為に、雅樹と梓美は巡回している僧侶に話し掛ける。
既に現場へ連絡は行っていたのか、怪しまれる事は無かった。見た目だけなら高校生の2人組だが、僧侶は詳細を話してくれた。
雅樹はお礼を言って梓美とその場を離れる。どうやら妖異対策課は、化け猫について知らないとの事。
報告書にも正体については書かれておらず、長壁姫も人間へ詳細を語っていない。人間と会いたがらないのだから当然か。
だから現状では、化け猫の居場所は分からない。校内に居るのか、校外に居るのかすらも。だが梓美は心配していない。
「多分やけど、ウチらがウロウロしてたら出て来るやろ。あからさまに余所者やし」
「俺、御守りを外しておきますね」
梓美も居るしまだ昼間だ。大丈夫だろうと判断した雅樹は、おびき寄せる為に御守りを梓美に預けた。
余所者の雪女と、美味そうな人間のペア。何かあると普通なら判断するだろう。向こうから接触を図って来る可能性は、十分考えられる。
いたずらに探し回るよりも、こちらからアピールをする。可能なら話し合いで解決し、無理ならば争いになる可能性もある。
ただどうも長壁姫の口ぶりでは、事情がある事も分かっている。いきなり戦闘は避けたいと、雅樹は内心で思っている。
妖異は確かに理不尽だが、全ての妖異が話の通じない相手ではない。大江イブキに那須草子達、そして隣に居る梓美。
善性の持ち主という意味では、先日会った良源もそうだ。妖異だからと言って、悪だとは限らない。
「ねぇ梓美先輩。化け猫って、どんな妖異ですか?」
「うーん……説明が難しいなぁ。化け猫言うても、色んなタイプがおるし」
化け猫とは長く生きた猫が、妖異へと進化した存在の事を指す。様々な種類がおり、これという決まった造形はない。
様々な土地で化け猫は生まれ、何らかの形で人間と関わっている。人間へ害をなす場合もあれば、幸運を齎す場合もある。
人に化けて恩返しをしたり、正体を隠して結ばれたり。逆に恨みを晴らす為に、人間を襲う事だってある。
兵庫県に限った話であれば、有馬の猫騒動という伝説が残っている。江戸時代の武将、有馬頼貴の屋敷で事件は起きた。
側室をしていた美しき女中『お滝の方』が、嫉妬した他の女中からイジメを受けて自殺をしてしまう。
このお滝の方は、玉という猫を大切に飼っていた。彼女の死後、玉は化け猫となり復讐を果たす。後に討伐されてしまうが、祟りを恐れて供養された。
「な、なるほど。まるで今回の件みたいですね」
「せやなぁ。兵庫県はそういう縁があるんかも知れへんね」
雅樹は梓美から化け猫の話を聞きながら、校内を歩いて行く。先ずは飛び降り自殺があった校舎へ向かっている。
可能性があるとするなら、そこが一番有り得ると考えて。弔いだというなら、最初に疑うべきは自殺した少女だ。
他の誰かという可能性も残っているが、知っている情報の中で最も可能性が高いのは自殺現場だ。
雅樹は校舎に近付くにつれて、鋭い視線を感じ始めた。どうやら当たりだったのだろうと、化け猫の姿を探す。
「あそこや、雅樹君」
梓美が校舎の屋上を指差す。時計が掲げられている更に上、3年生が使う校舎の天辺。小さな黒猫の姿がそこにはあった。
「あれが……」
見た目は普通の猫にしか見えない。だが雅樹から見ても、どこか異質な存在に見える。妖異を知っているからこそ、感じ取れる違和感。
イブキ達強力な妖異程の圧はないが、嫌な空気が漂っている。いつも妖異と対峙する時、雅樹の第六感が働く感覚。
刺すような視線が、雅樹と梓美に向けられている。自身の存在を隠す気など、毛頭ないらしい。堂々と上から見下ろしている。
更に校舎へ近付くと、黒猫は器用に地上へと降りて来た。まるでとある場所を守るかのように、制止を訴えた。
「そこで止まれ。貴女達は、何をしに来た?」
黒猫はしっかりとした言葉で、雅樹と梓美に目的を問うた。いきなり襲い掛かる気はないらしい。冷静な対応を見せている。
「アンタに用があるんや。ウチは梓美、この子は雅樹君。アンタは?」
「俺に名前などない。貴女みたいに、名を名乗れる程の力がない」
黒猫は特に名前を持っていない。元々ただの野良猫で、生まれた土地もここではない。兵庫に流れついた野良の妖異だと言う。
梓美に勝てないと分かっているから、攻撃を仕掛ける事は無かった。この前入った異界の妖異達とは違う。
現世における妖異の掟を理解しており、力の差を理解出来ない異端者ではない。話は通じそうで雅樹は安堵した。
「君はどうして、学校を呪っている?」
「許せないからだ。ここに居る人間達が。自殺した少女は、俺の命の恩人だからだ」
野良の妖異は立場が弱い。支配者の軍門に大人しく下るか、細々と暮らして行くしかない。特に孤独な者程、自由は少ない。
人間を喰らうにも注意せねばならず、支配圏を荒らしたと判断されれば、最悪殺されてしまう。それが野良妖異の悲しき宿命。
黒猫はかつて暮らしていた土地で縄張り争いに敗れ、重症を負いながら兵庫県へ流れ着いた。だがそこで、意識を失ってしまう。
目が覚めた頃には、人間の家で保護されていた。彼を拾ったのは、真央という名の大人しい少女だ。
喋る猫に驚きながらも、真央は彼の看病を続けた。感情を少しずつ分けて貰いながら、彼は回復して行った。
完治した彼は真央にお礼を告げて、彼女の家を出て行った。弱い妖異が側に居ても、何のメリットもない。
むしろ雑魚妖異から奪ってやれと、襲われてしまう可能性がある。だから彼は真央から離れて、たまに遠くから見守る程度に留めた。
ただこのままでは、恩返しもまともに出来ない。彼は長壁姫を頼り、特別に配下へ入れて貰った。雑魚の野良ながら、受け入れて貰えた。
中々流れの野良妖異など、今更配下に加わるのは難しい。長壁姫の恩情に感謝しつつ、兵庫県で生活を始めた。
真央への恩返しに何をしようかと、考えていた時だった。イジメを苦に、真央が飛び降りるのを目にしたのは。
「俺は何があったのか調べた。そして俺は決めた、真央の復讐をしてやるのだと」
「アンタでもそれ、長壁姫に怒られへんのか?」
梓美が疑問に思うのは当然だ。元野良の妖異が、支配圏の人間を呪うなんて行為は普通なら許されない。
だがどうやら、特別に許可を貰ったらしい。長壁姫もかつて似た経験があり、同情しているというのだ。
かつて助けてくれた人間を、人間達が殺してしまった。だから長壁姫は、人間をあまり信用していない。
「そういう事だ。邪魔はしないで貰おうか」
「いや……でも……」
「ちょっと待ち雅樹君、一旦帰ろうか。これは難しいで」
長壁姫が許可している以上、今ここで解決するのは難しい。一旦ここは引いて、対策を考える事となった。
長壁姫が人間を嫌っている理由については捏造です。狐の妖怪だったという説から想像しただけのものです。




