第87話 姫路城に住まう姫
大江イブキの代行を行う事になった永野梓美は、助手として碓氷雅樹を連れて兵庫県に来ている。
今回問題となった高校があるのは兵庫県だった。状況を把握する意味も含めて、梓美は雅樹を連れて姫路城に向かう。
そこには兵庫県を支配する支配者が暮らしている。日本で初の世界文化遺産になった城が、妖異の住処であった。
この真実を人間達が知ったなら、大層驚く事になるだろう。何せ観光地として有名な城なのだから。
姫路城は1346年に赤松貞範によって作られたとされており、現在まで複数回の改修工事を受けて現代にも残っている。
そこまでして維持されて来たのは、何も歴史的価値だけが理由ではない。姫路城へ住む事になった、とある妖異が一番重要だからだ。
「どんな妖異なんですか?」
雅樹は梓美から説明を受けている最中だ。彼は一度全都道府県の支配者を、イブキに聞こうとした事がある。
ただ一気に教えられても、覚え切る自信を持てなかった。なのでその都度聞く事に決めた。今回はイブキではなく梓美からだが。
「綺麗な姫さんやで。長壁姫様言うてな。エエ方なんやけど、あんまり人間と会うのが好きやないねん」
「え……それ、俺も行って大丈夫ですか?」
長壁姫は妖異の中では珍しく、あまり人間と会おうとしない。それ故に偽名を名乗らず、妖異としての名をそのまま名乗っている。
人間社会に溶け込む気が無ければ、怖がられても問題はない。彼女は元々姫山と呼ばれていた土地で、土地神として信仰されていた。
そんな彼女を讃える為に作ったのが、姫路城だと言われている。従えている妖異と共に、天守閣でずっと生活して来た。
喰らう為の人間は部下達に調達させて、長壁姫が城から出て行く事は無い。彼女と会った事のある人間はごく僅かだ。
「雅樹君はむしろ、会っといた方がエエ。イブキ様の助手やからな」
「は、はぁ……だったら良いんですけど」
電車とバスを乗り継いで、雅樹と梓美は姫路城へ到着した。普通に入場料を払って中に入るのかと雅樹は思っていた。
だが梓美は、城の入り口から遠ざかっていく。敷地の端の方まで移動した梓美は、何も無い空間へ雅樹を引っ張る。
「え? 梓美先輩? 何を――」
「ええからこっちや」
次の瞬間には、雅樹は人の気配が全くない空間に立っていた。先程までの姫路城とは、随分と雰囲気が違っている。
大体の配置は変わっていないように見えるが、細部が少しずつ違う。唐突に間違い探しが始まったみたいだと、雅樹は内心思った。
そして雅樹は、今自分がどこに居るのか理解した。最近になってからやたらと縁のある空間。現実世界とはまた違う世界。
「ここって、異界……ですよね?」
現世とは違う空間。都市伝説などを信じた人間の意識が生み出す世界。だがここは、今までの異界と少し雰囲気が違っていた。
雅樹が感じているのは、邪悪な気配や嫌な雰囲気ではない。むしろ真逆の、とても神聖な空気が漂っている。
まるで雅樹が暮らしていた若藻村にあった、若藻神社みたいだと彼の直感が訴えていた。
「せやで。長壁姫様が隔離した本当の姫路城や」
「本当の……だから少し違うのか」
何度も改修工事を受けて、今も維持している現世の姫路城とは違う。一度も焼け落ちなかった、不落の城はこちらの方。
今も一般公開をされている方は、この城を復元したレプリカである。本物はこの異界で、長壁姫の住処として利用されている。
雅樹が若藻神社と似ていると感じたのは、長壁姫が元は狐の妖異だからだ。永き時を生き老いた狐が、妖異へと進化した存在。
人間が生まれる遥か昔から、妖異としてこの地に住んでいた、長老とも呼ぶべき妖異。イブキと匹敵する力を持つ大妖怪。
土地神として信仰されている狐達は、良く似た神聖な土地を生む傾向がある。この清浄な空気が、彼ら彼女らを神だと思わせる理由だ。
ありもしない偶像ではないので、神の末端となる事は無い。あくまで妖異として、信仰心というエネルギーを受け取っている。
神ではなく妖異として、信仰心を集めている妖異は大きな力を持っている。長壁姫は酒吞童子や玉藻前と同様に、とても有名な存在だ。
神への信仰は科学の進歩と共に減っているが、それでも集まるエネルギーは多い。頻繫に人間を喰らう必要が無いのも当然のこと。
「ちゅーわけや。だから長壁姫様も、怒らせたらアカンで。あの方の力はイブキ様と同等や」
「……緊張して来た」
梓美は雅樹を連れて、城の方へ歩いていく。衛兵などは特におらず、あっさりと入城する事が出来た。
そのまま天守閣まで登って行くと、真っ白な大蛇が待ち受けていた。蛇女アカギの所に居た邪悪な大蛇と違って、神々しいオーラを纏っている。
「安心してエエで。お迎えやから」
「は、はい……」
チロチロと赤い舌が大蛇の口から出入りしている。金色の眼で大蛇が雅樹を見ていたが、同行を許されたのか大蛇は背を見せて進み始める。
大蛇の後を着いて行くと、豪華な装飾の襖が見えて来た。その前で大蛇が停止し、襖が勝手に開く。大蛇はそこから動かない。
「ほな行こか」
「し、失礼します」
雅樹は梓美の後を追い、長壁姫が居ると思われる部屋へと足を進める。室内には時代劇で見るような、華やかな装飾がなされていた。
配下の妖異と思われる者達が、既に正座で待機していた。雅樹は梓美の真似をして、畳の上で正座をする。
暫くすると長壁姫が来ると告げられて、梓美と共に雅樹は頭を下げる。昔時代劇で見た知識を総動員し、許可が出るまで頭をあげないようにしていた。
「面をあげよ」
鈴の鳴るような声を聞き、雅樹は頭を上げる。城主が座る一段高くなった御座の間には、真紅の袴と十二単を着た美しい女性が座っている。
見た目は20代だが、実年齢は全く違う。白粉を綺麗に塗り、真っ赤な口紅と眦が妖艶な雰囲気を演出している。
大昔の姫をそのまま連れて来たかのよう。イブキや那須草子とはまた違った、完成された美しさがある。
そして思わずひれ伏しそうになる、高貴で圧倒的な雰囲気もあった。人間社会に紛れない彼女は、自身の力を隠す必要がない。
かつてイブキが力の一部を解放した時以上に、妖異という存在の偉大さを雅樹は思い知らされた。
「お久しぶりです長壁姫様。今回はイブキ様の代行として参りました」
同じ妖異である梓美が、代表して長壁姫と会話を進める。妖異対策課から聞いた話と、長壁姫が把握している事の摺り合わせを行う。
雅樹はただ聞く事だけに徹している。とても口を挟めるような空気ではないから。無礼が無いようにという理由もある。
蛇女アカギと対峙した時よりも、雅樹は恐ろしいと感じた。目の前にいる見目麗しいお姫様の事が。
アカギも支配者をやっているだけの力があった。だが明らかに長壁姫は、それ以上だと雅樹は理解させられた。
「あの件は仕方ないのです。人間達の不始末が起こした結果。彼を説得したければ、好きになさい」
「説得って、言わはりました? 正体が何者かご存知なんです?」
長壁姫は既に、呪いの正体と事情まで知っているらしい。梓美はそこまで知らなかったので、ここで聞いておく事にした。
「化け猫があの高校で呪いを撒いているのです。彼なりの弔いなのですよ」
「化け猫? 弔いやって、どういう事です?」
何やら理由があるらしい。弔いというのなら、最初に自殺した少女の為だろうか。それとも別の何者か。
だが長壁姫は全て語る気がないらしく、自分達で会って来いとだけ告げた。それなら仕方ないと、梓美はこれ以上聞くのを止めた。
話が途切れたところで、長壁姫はその切れ長の目で雅樹の方を見ている。何だろうと、雅樹は緊張する。
「そなたがイブキの選んだ男か……相変わらずよのう」
「え? あの、どういう意味でしょう?」
雅樹は思わず尋ねたが、そなたは知る必要がないと言われてしまった。話はこれで終わりだと、長壁姫は退室して行く。
これ以上ここに居ても意味が無いので、梓美は雅樹を連れて姫路城を出る。異界を出て現世へと帰還した雅樹と梓美は、問題の高校へ向かう事にする。
長壁姫の言う仕方ないとはどういう意味か、化け猫の弔いとは何か。新たな謎を解明する為、雅樹は梓美と共にバスへ乗った。




