第85話 人間の悪意
人間という生命は、妖異が感情を摂取する為に造られた生命だ。肉体性能は低く、その分感情が豊かである。
設計思想そのものは良かったが、人間が進化していく過程で予想だにしない事態が起こった。
感情というエネルギーが様々な影響を現世に及ぼした。本来地球固有の生命でないのに、霊魂が幽霊へと進化した。
半妖として作った事が、想定外の結果へと繋がっていく。都市伝説や噂から生まれる新たな妖異。異界という別世界の出現。
まともな文明が無かった頃は、人間は牛や豚と変わらない存在だった。ただの妖異の劣化コピーでしかなかった。
だが進化を重ねて人間は変わっていき、遂には大きな文明を生み始めた。ただし初期の頃は、今ほどの現象は起きていない。
最初人間達は妖異を神だと思い込み、崇め奉り反抗もせずに喰われていた。それが当たり前の事だった。
どんどん人間の知性は高くなっていき、しまいには妖異と変わらないだけの知能を身に着け始めた。
そこから文明は大きく発展していく。車を作り、鉄道を作り、飛行機まで作った。色んな物品を作り、文明が進歩していく。
たった1000年ぐらいの間に、人間は大きく変わって行った。結果今のように、予想していなかった事が急激に増えた。
今更人間を造り直すには面倒で、半妖が妖異へと進化する事を認めた。かなり地位は低いが、仲間として受け入れた。
人間の認識が生み出す妖異も、掟に従うなら妖異として受け入れる。こちらもまた地位が低い。
やはり元から妖異として生まれていた者達と、地球の生命から妖異へと至った者達が最も偉い。それがこの星における絶対のルール。
殆どの人間達はそんな事も知らずに、自分達が地球の支配者だと思い込んでいる。飼われているなんて思ってもいない。
だから彼らは愚かにも、同族へと牙を向ける。時に卑劣に、時に堂々と真っ正面から悪意を向ける。
とある日本の高校で、1人の少女がイジメに遭っていた。大人しい少女は、やり返す事も出来ずに受け入れるしかなかった。
彼女が弱いのを良い事に、主犯格達は執拗にイジメた。最初は仲間外れなど、ありきたりな内容だった。
女子同士の派閥争いから発展した、はみ出し者への嫌がらせ。無視や陰口などで済んでいた筈なのに。
だが彼女達は調子に乗ってしまった。最初はストレスの捌け口として、叩くなどの僅かな暴力行為が加わった。
次第に感覚が麻痺していき、嫌がらせから重大なイジメへとエスカレートしていく。もはや暴言は当たり前になっていた。
「おいブス、こっち来いよ」
「……う、うん」
大人しい少女が派手な格好をした女子生徒達から、陰湿なイジメを受けているのをクラスメイト達は把握していた。
だがイジメの主犯格達は、ガラの悪い男子生徒を味方につけていた。誰も彼女達のイジメを咎めない。
誰も少女を助けようとしない。次のターゲットにされたくはないから。少女は学校で孤立していた。
理不尽な暴言と暴力に晒され、ガラの悪い男子生徒から性的な暴力も受けていた少女は、遂に死ぬ事を選んだ。
ただ悲しみを抱いたまま、彼女は学校の屋上から飛び降りた。当然その事件は、全国的なニュースになる。
誰がリークしたのか、主犯格達の情報がインターネットへ流出してしまった。晒された氏名と顔写真、親の勤務先までも。
悪を捌く正義の名の下に、激しいバッシングが起きる。連日大炎上となり、SNSでは毎日のようにこの件が話題となる。
容赦なくぶつけられた、世間から悪意の嵐。人を死に追いやった事を咎める人々が、主犯格達の死を望むという矛盾。
だが正義という建前が、彼らを突き動かしていた。人の悪意には、力が籠っている。負の感情には、人を幽霊へ進化させる程の力がある。
では同じく負の感情である悪意はというと、これもまた大きな力を有している。死を望む沢山の悪意が、主犯格達の人生を狂わせる。
とてつもない量の悪意が、主犯格達に不幸を齎す。車に轢かれかけたり、すぐ近くに鉄骨が落下したり。
様々な形で危険が、彼女達へと降りかかっていく。言霊が呪いとなり、彼女達を少しずつ追い詰めていく。遂には1人、自殺者が出た。
どこの大学からも断られ、進学の道を断たれてしまった主犯格達。ガラの悪い男子生徒は、事故に巻き込まれてしまう。
何らかの被害に遭う主犯格達は、どんどん増えて行く。彼らに降りかかる不運は、留まる事を知らない。
1人また1人と、何らかの不幸に巻き込まれた。多少の怪我は当たり前で、不可解な事件が多発する。
主犯格達は今後罪に問われ、社会的な報いを受ける事になるだろう。既に学校へは行けなくなった。
だが問題はそれだけでは済まない。言霊が呪いと化した問題については、未だに残り続けている。それだけ沢山の悪意が向けられた。
人を死に追いやった者達への呪いは、自殺者が出た時点で発信者へと返っている。呪われる条件に、自分が合致したのだから当然だ。
そんな事も理解していない悪意を向けた者達は、返って来た呪いに苦しめられる。上手く行かない人生、不運がいつも付きまとう。
中には悪魔の標的にされ、いいように使われる始末。増幅させれた悪意を、ストレスと共に世間へと向ける。
「渋谷区に住む43歳の男性が、殺害予告を投稿した容疑で逮捕され――」
誰かがまた悪魔の仕業で捕まった。ニュースにならない開示請求が、あちこちで行われている。それらは人の悪意が生んだ結果。
インターネットを得た人間達の悪意は、常にどこかで燻っている。爆炎となる為の燃料は、常に転がっているのだ。
あとは小さな種火が、投げ込まれるのを待つだけで燃え上がる。悪魔達にとっては最高の環境が整っている。
話は例の高校に戻る。主犯格達が学校へ来なくなり、問題は解決したかのように思われていた。だがそうでは無かった。
飛び降りて死んだ少女の幽霊が、学校内を彷徨っているとの噂が急激に広まり始めた。誰も助けなかった事を恨んでいるのだと。
最初はただの噂に過ぎないと、殆どの生徒は思っていた。しかし少しずつ、学内で変化が起き始めた。
先ず皮切りになったのは、少女が所属していたクラス全員の集団食中毒。昼休憩で全員が同じ物を食べたわけでもないのに。
コンビニで買って来た者、購買部で買った者、親が作った弁当を食べた者。全員が揃って、食中毒を起こした。
同じコンビニで売られていた商品で、食中毒は発生していない。その高校の購買部で売られていた商品群も同様だった。
まるでそのクラスだけが、狙い撃ちにされたとでも言うかのよう。調査に来た保健所は困惑し、原因不明としか判断出来ない。
だが通っている生徒達は違う。原因となりそうな事件が、直近で起きていたのを知っているのだから。
死んだ少女の呪いだと、すぐ校内で噂となった。教師達はその対処に駆られる事となったが、騒ぎは終息に向かわない。
今度は校長が交通事故を起こし、入院するという事件が起きる。教頭、生活指導の主任、そして例のクラスの担任教師。
順番に関係者へと何らかの不幸が、満遍なく訪れて行く。関係ないクラスの生徒達も怯え始める始末。
少女は学校そのものを恨んでいるのではないか。自分達も標的なのではないか、誰も彼もが恐れている。
少女と同じクラスだった生徒から、登校拒否をする生徒が多発。転校していく生徒も出ている。
もはや学校はパニックに見舞われ、収拾などつく筈も無い。呪われた学校として、周辺地域でも噂が広がっていく。
事態を重く見た学校サイドは、僧侶など頼れる相手全てに協力を願った。しかし解決する事はなく、この噂は妖異対策課にまで届いた。




