第82話 出来る事には限界がある
異界から碓氷雅樹達が帰還してからは、色々と慌ただしかった。先ず良源に妖異対策課の滋賀支部へと連絡を取って貰う。
持ち帰った50人分の上半身を、回収して貰わねばならない。遺体が損傷しないように、永野梓美が凍らせたまま状態を維持。
駆けつけた妖異対策課と協議を行いながら、梓美が1人ずつ解凍して遺体袋へと収納していく。
その頃には大江イブキは既におらず、自分の仕事を果たしに帰って行った。残された雅樹は、梓美と共に良源を手伝う事に。
とは言え雅樹に出来た事はそう多くない。瀬能舞花の依頼で知っていた、名塚昌平の身元を説明する事。
後はイブキが焼いた異界の中で、何があったか説明するぐらいだ。それでも妖異対策課としては十分過ぎるのだが。
しかし雅樹は、あまり浮かばない表情をしている。まだ生きていた人々を、助ける事が出来なかったから。
つい先程まで生きていた人達を、殺す以外に救う道が無かった。そんな悲しい結末が、雅樹にとっては辛かった。
「まだ気にしてるん? 雅樹君は何も悪くないやん」
「分かってはいるんです……でも、何も出来なかったから」
雅樹は自分がちっぽけな存在だと分かっている。梓美が居なければ、まともに異界の探索なんて出来ない。
イブキの木刀が無ければ、妖異の攻撃から身を守る事も出来ない。死と言う救済を与えたのは、梓美とイブキの力だ。
あまりにも無力な自分が、悔しくて仕方なかった。1人でも多く救えたら、そう思って助手をやっている。
だが一度に50人もの人達を、見捨てる事しか出来なかった。何かもっと出来たのではないかと、雅樹は悔いているのだ。
「はぁ……エエか雅樹君、よう見てみ。あの50人を家族の下へ帰せるんは、雅樹君が異界へ行ったからや」
梓美は雅樹の頭を両手で掴み、遺体袋へ収納された人々の方へグイッと向けた。雅樹の視界には、車両へと運ばれていく遺体袋が映っている。
「雅樹君はもう十分な役目を果たした。君が力になりたいと願い、イブキ様にお願いして、ウチをあの場まで行かせた。全部雅樹君が選んだ成果や」
「梓美先輩……」
「全部救おうなんて、そんなん無理や。ウチらでも殺す事しか出来んかった。そやのに、自分なら何とか出来たと思うんか?」
雅樹のその想いは、確かに尊い考えかも知れない。救えるだけ全部救って、助けて回る。理想的な結果ではある。
だがそれはただの理想論でしかない。現実はもっと残酷で、上手く行かない事ばかりだ。救えない命は沢山あるのだから。
雅樹だって、分かってはいるのだ。不可能な事なのだと。だって今も何処かで、誰かが命を落としている。
死因は病気かも知れない。交通事故かも知れない。単に天寿を全うしただけかも知れない。妖異に襲われて喰われたかも知れない。
どうであったとしても、その全てを防ぐなんて誰に出来るというのか。実在しているという、神ですら放置しているというのに。
「いえ……すいません。少し考え過ぎたみたいです」
まだ頭で全てを納得するには、雅樹の年齢は若過ぎる。諦めねばならない事は、年齢を重ねていない内は少ない。
大人になっていく過程で、理不尽な出来事を経験していく。大人になってからでも、納得出来ない理不尽はある。
人生経験が豊富な年齢になってから、漸く人はある程度の折り合いが取れるようになっていく。
もちろん全員がそうなるとは限らない。良い歳をして、雅樹より分別がつかない大人だって居るのだから。
「その気持ちまでは否定せぇへんよ? でも出来た事をちゃんと、自分で認めていかなアカン。でないとホンマに、何も出来ひん人になるで」
出来なかった事を後悔し続ける人生は、諦めをどんどん増やしていく。出来た事と出来なかった事、そして出来なくても良い事。
これらを自分なりに整理出来る人にならないと、出来ない理由を探すようになってしまう。そして習慣化してしまう。
やる前から出来ないと分かる事と、やってみないと分からない事の境界が無くなっていく。両方が同じモノに見える人へ変わってしまう。
そうなってしまったら、本当に何も出来ない人が出来上がる。誰でも出来る事しか出来ず、その人にしか出来ない何かが無くなる。
誰でも無い自分自身が認めないせいで、自らが己を殺してしまう。負のスパイラルに陥っていく。
「雅樹君に出来る事は、今回ちゃんと出来たんや。ウチがそれを知っている。最初からずっと、全部見てたから」
「俺に、出来た事」
ショッキングな光景を見てせいで、雅樹は冷静さを失ってしまっただけだ。そもそも最初の目的は、遺品でも良いから持ち帰る事。
ただの人間が1年も異界に囚われて、生きている可能性は低いと行く前から彼は知っていた。
本来なら何も見つからない可能性だってあった。むしろ異界の広さを思えば、こうも簡単に見つけたのは幸運と言える。
昌平が逃げる途中で落としたスマートフォンが無ければ、今も彼らは見つかっていないままだ。
昌平の足取りを追えたから、あの黒い手と遭遇する事が出来た。同じ経路を移動できなければ、別の妖異と遭遇していただろう。
「あの50人の命は、助からんかった。でも家に帰れるんや。雅樹君が、皆を帰すんやで。だから胸を張って、見送ってあげなアカン」
「……そう、ですね」
遺体袋を回収した車両が、列を成して良源の邸宅を出て行く。その光景を雅樹は、真っ直ぐ見つめ続けた。
それに何時までも落ち込んでいる場合ではない。依頼者である舞花に、従兄が見つかった事を伝えねばならない。
命は助からなかったが、遺品の受け渡しは出来る。マイクロSDカードに入っていた動画は、残念ながら消さねばならないが。
異界の実在を教えるわけには行かない。妖異に関する情報は、基本的に隠さねばならない秘密だ。
イブキは意図的に記憶を残す事があるものの、匙加減を図った上でやっている事だ。雅樹は勝手な判断で、情報を漏らす事はしない。
「ボウズ、お手柄じゃねぇか。良くやった」
「良源さん」
諸々の話し合いが終わったらしい良源は、雅樹を労いにやって来た。彼は皺だらけの顔で笑っている。
異界の存在を良く思っていないのは、良源もイブキと同じだ。厄介な代物だと思っているし、自分の支配圏と繋がったのは嬉しくない。
だが大して重要じゃないたった1人の為に、支配者が支配圏を放置して捜索には行けない。支配圏の管理の方が大切だ。
それにインターネットの情報には、デマも多く全てを信用するわけには行かない。大体それらの調査は、妖異対策課の仕事である。
「結構適正があるんじゃねぇか? イブキの助手をやるだけのな」
「……そうでしょうか?」
雅樹にまだそんな自信はない。力のないただの人間で、少し剣道で鍛えていただけ。頭が特別良いわけでもない。
ただイブキの足を引っ張らないように、注意はしているけれど。それが雅樹の認識だ。助手として相応しいかは、まだ分からない。
囮役としては何度か活躍し、依頼を成功に導いてはいる。だが捕まって迷惑を掛けた事もある。
優秀な助手と言えるかは、正直微妙だと雅樹は思っている。1回のミスがあまりにも大きかったから。下手をすればイブキと草子を死なせていた。
「お前はまだ若い、これから色々とあるだろう。だがやるだけやってみろ。若い内の特権だ、失敗を恐れるなよ」
「あ、ありがとうございます」
じゃあなと言い残して、良源は屋敷へと戻って行く。月明かりの下で、庭に残された雅樹と梓美。梓美と良源の言葉で、雅樹は少しだけ今までよりも前を向けそうな気がした。
「ほな、そろそろ帰ろうか。終電無くなってまうで」
「あ、本当だ。急ぎましょう先輩!」
別に終電を逃して、ラブホテルに2人で泊まってもエエでと梓美が揶揄う。当然雅樹としては許容出来ず、帰路を急ぐ事に。
これで異界に関わる依頼は終了し、雅樹は大江探偵事務へと帰って行く。次に舞い込む依頼は、一体どんなものになるのだろうか。




