第81話 永遠の搾取
碓氷雅樹は誰かに名前を呼ばれていた。夢から醒めるような感覚の中で、確かに声が聞こえている。
「ま……き……まさ……くん」
雅樹の聞き覚えがある声だ。上京学園に転校してから、ほぼ毎日聞く事になった可愛らしい声。
1つ上の先輩であり、最近雪女である事を知った女性。永野梓美が雅樹の名前を呼んでいる。
薄っすらとしていた意識が、ハッキリと覚醒を始める。雅樹は目を開けて上体を起こした。
「梓美先輩?」
「良かった、どうもないみたいやね」
梓美は雅樹の体を調べていく。妖力を使って雅樹の体調を確認していく。MRIやCTスキャンに似た調査が、高位の妖異には出来る。
梓美の調べで、記憶や精神への悪影響は出ていない事が分かった。どうやら影に飲まれるだけなら何もないらしい。
意識が戻った雅樹は、自分の身に起きた事を思い出す。謎の黒い手に捕まり、影の中へと引きずり込まれた。
今雅樹が座っているのは、恐らく地下道らしい。地下鉄の駅へと向かう案内看板が壁に貼られている。
ただ駅名は聞いた事のない名前で、雅樹の知っている鉄道会社でも無かった。異界なのだから当然かと雅樹は判断した。
「どうしてこんな場所に放置されたんでしょう?」
雅樹の疑問は最もである。あんな方法で拉致しておきながら、何故わざわざ放っておくのかと。
目的があっての行動ではないのなら、連れ込む意味なんてないじゃないかと。
「一応迎えは来とったよ? 全部凍らせたけど」
「え?」
梓美が指差す方を見ると、何かが凍ったと思われる残骸が床に転がっていた。梓美によって倒された妖異だろう。
本来なら雅樹達を、どこかに運ぶ運搬役が居たらしい。そう考えると、何かの体内にいるみたいだと雅樹は感じた。
地下道は食道の役割を果たし、胃袋へと運ばれていく。もしくは蟻の巣に似た何かなのか。
どちらにしても、あまりいい気分ではない。人間が獲物の立場であると知っているから、尚更不気味で不快感が強い。
「こいつら、どうするつもりだったと思います?」
「そら先に進んだら分かるんちゃう? さっきの影は本体やないみたいやったし」
梓美が雅樹の安全を優先し、共に捕まったのはそれが理由だ。末端を幾ら倒しても、また雅樹が狙われる。
地上に影なんて幾らでもあり、もしその全てを利用出来るとするなら、本体を叩かないと意味がない。
雅樹の持つ木刀が効果を発揮しなかったのも同様の理由だ。妖異には効果があるが、妖異でないモノにはただの木刀だ。
影を攻撃する効果なんて、大江イブキの護符には付与されていない。今回は相手がやや面倒なタイプだった。
何かを利用して行動する妖異は、末端を攻撃してもダメージを与えられない。以前に徳島で山姥が使った手法と似ている。
「行くしかない……と」
「そうせんと、調査なんて無理やで多分」
行方不明の名塚昌平を探す為、邪魔な相手は排除するしかない。いたずらに命を奪うものではないが、話が出来ないのだから仕方ない。
雅樹は梓美と共に、迎えとやらが来た方向へと進んで行く。やがて地下鉄の改札口へと辿り着いた。
名も知らぬ駅には、当然ながら誰も居ない。電気だけは通った券売機、がらんとした車掌室。そして漂う嫌な空気。
雅樹はとても気持ち悪い何かを感じ取っている。これまでとはまた違った悍ましさが、駅の構内から発せられている。
死の淀みに似た、人ならざる何か。冒涜的で残酷な気配を、雅樹ひしひしと感じさせられた。
「何ですかこれ……すげぇ気持ち悪い」
雅樹は口元を抑えながら、この感覚の正体を梓美に問う。今までに感じた事のない嫌悪感が襲い掛かる。
「何かは分からんけど、こら碌でもない何かがあるで」
梓美の先導で、雅樹は駅構内へと歩みを進める。自動改札機が拒むが、気にせず乗り越えて奥へ向かう。
妖力の流れを感じた梓美は、地下鉄の乗り場へと降りていく。どんどん雅樹は気持ち悪さが増していく。
誰も居ないのに動いているエスカレーターを、歩いて降りた梓美と雅樹の目に映ったのは異様な光景。
「こ……これは!?」
黒ずんだ肉塊のような繭に、下半身を包まれた人間達。ざっと雅樹が見た限りでも、50人は居そうだ。
床だけでなく、壁や天井にも張り付いている。繭状の肉塊は、一定の間隔で卵のような何かを吐き出している。
まるで産卵に似ているが、捕まっているのは女性だけではない。男性の繭からも、卵に似た何かを排出していた。
人種もバラバラで、明らかに日本人ではない人々も多く含まれている。世界中からここに繋がる入り口でもあるのだろうか。
この光景は人間から何かを吸い出し、卵を生み出す工場に見えなくもない。あまりにもグロテスクである外見に目をつむれば。
「感情を喰うてるんや。そんでエネルギーを貯めとる。このデカい異界を維持出来る理由はこれなんや」
「じゃ、じゃあ皆を助けないと!」
雅樹は捕まっている人達を助けようとする。だが梓美の腕が雅樹を捕まえて止める。振り返った雅樹に、梓美は頭を横に振る。
「こんだけ同化しとったら、もう助けられへん。それに多分、下半身はもう無いで」
「そ、そんな……」
梓美の目には見えている。捕まった人達の下半身から、一切の生命活動が感じられない。
普通の人間であれば、精気が肉体を巡っているのが見える。だが彼ら彼女らは、上半身しか精気の巡りがなかった。
謎の肉塊と完全に同化しており、引き抜いたって助からない。恐らく彼らを生かしているのは、黒ずんだ繭状の肉塊だ。
あれが無ければ、彼らは死んでしまう。生命維持装置の役割を果たしていると思われる。
「あ、あれは!」
雅樹が複雑な気分で眺めていると、知っている顔を見つけた。依頼の目的である名塚昌平の姿がそこにあった。
すぐに雅樹は走り寄って、昌平の側に向かう。地面に張り巡らされた、血管のような肉塊が嫌な感触を雅樹に伝える。
気持ち悪い独特の据えた匂いに吐き気を覚えつつも、雅樹はどうにか昌平の下へと辿り着いた。
「昌平さん! 名塚昌平さんですよね?」
「殺してくれ……殺してくれ……殺してくれ……」
恐らくは1年近くこの状態だったのだろう。もう昌平は精神が崩壊しており、ただ死を望むだけの存在となっていた。
イブキや梓美の食事は、ちゃんと雅樹の事を考えて行われている。雅樹の精神を守る意味も含めて。
だがここで行われているのは、そんな優しい行為ではない。ただ効率良く絶望感を与え、吸い続ける単純作業。
人間への配慮なんて一切なく、ただ搾取を続けるだけの拷問だ。昌平が死を望むのは当然と言えた。
そんな状態の地下空間へ、轟音を立てながら落下して来た何かが居る。天井を突き破って現れたのは、この世の者とは思えない美貌の持ち主。
腰まである黒髪のポニーテールと、いつものパンツスーツ姿の女性。酒吞童子、大江イブキが立っていた。
「全く……随分と厄介な空間を引き当てたね君は。相変わらずだと褒めた方が良いのかい、ねぇマサキ?」
「い、イブキさん!? どうやってここに!?」
突然現れたイブキの姿に驚く雅樹だが、よく考えたら御守りを付けた状態で妖異と接触している。
イブキへと信号が届き、こうして異界へと突撃して来たらしい。最初の接敵から随分と時間が掛かったのを思えば、相当大変だったのだろう。
梓美が予想したように、独立した世界であったのなら。それこそ次元の狭間にでも挑んだのだろうか。
「色々と大変だったと言っておくよ。お陰で神に貸しを作ってしまった。異界についてからは、梓美の妖力を探せば済んだけど」
「イブキ様、大丈夫でしたか? ここにおる連中、アホばっかりやったでしょう?」
全部なぎ倒しながら進んで来たとイブキは答えた。相変わらず無茶苦茶な女性だと雅樹は思った。
だがそれよりもここに居る人々だ。梓美には無理だと言われたが、イブキならどうにか出来ないかと雅樹は縋る。
「イブキさん、この人達を――」
「残念だけど無理だ。もう救えない。ここで殺してあげるのが優しさだよ」
雅樹はがっくりと項垂れた。そんな雅樹の様子を見て、遺体だけなら持って帰れるとイブキは答えた。
良源から帰還の呪符を貰っているかとイブキは問う。雅樹は預かっていた呪符を見せる。呪符を確認したイブキは、何かを書き加えた。
それからイブキは梓美に、人々を凍らせるよう指示する。一瞬で全員が氷塊となり、凍った上半身をイブキがその爪で刈り取って行く。
50人分全ての上半身を集めてから、イブキは鬼火でこの世界を焼き始めた。蒼い炎が世界を浸食していく。
「さあマサキ、呪符を破るといい」
「は、はい!」
雅樹が良源から預かった呪符破ると、50人分の上半身と雅樹達は光に包まれた。雅樹が目を開けると、良源の住まう屋敷の庭に立って居た。




