第66話 イブキにとっての雅樹は
若藻村を出た碓氷雅樹と大江イブキは、グレーのSUVに乗って京都へと向かっている。
雅樹は村の人々と挨拶を済ませる際、故郷の温かみを感じる事が出来た。また帰って来ると約束をして、友人達と別れた。
それに幾ら田舎だと言っても、全員スマートフォンぐらい持っている。ただそれら全てが、那須草子達の指示で手配されていた事に雅樹は驚いたが。
若藻村で商店を営んでいる人々は、全員が妖異対策課の関係者だったのだ。だから隔絶された山奥の村でも、色んな商品が揃っていた。
玉藻前と言えば超大物の妖怪であり、VIP待遇なのも頷けるというもの。若藻村が成り立っている理由が雅樹にも分かった。
それはイブキにも同じ事が言える。酒吞童子もまた超有名な存在だ。彼女が偉い鬼ではないかという、雅樹の予想は当たっていた。
「今更ですけど、酒吞童子さんって呼んだ方が良いんですか? それとも先生みたいに、酒吞さんとか?」
色々とあったせいで、落ち着いてイブキと会話する時間が無かった。漸くゆっくり話せるので、雅樹は聞いてみる事にした。
「今まで通り、イブキで良いよ。別にどうしても酒吞童子と呼ばれたいわけじゃないしね」
何としてでも隠したい名ではないが、有名過ぎて悪目立ちしてしまう。だから普段からそう呼ぶ必要はないとイブキは言う。
妖異達はイブキの本名を知っているが、関係が良好な者達はイブキと呼んでいる。酒吞童子と呼ぶのは仲の悪い妖異だけ。
妖異対策課の人間も、その意向を知っているのでイブキ様と呼んで敬う。本名でイブキを呼ぶ人間はいない。
「本名でないと契約は出来ないとか、そういうのは無いんですか? 漫画とかでそんなのを見た記憶がありますけど」
昔読んだ事のある漫画で、見た事があったなと雅樹は疑問を持った。名前というのは大切じゃ無いのかと。
「そんなのは無いよ。だって君とも契約をしただろう? そういうのは人間が考えた概念でしかないよ」
なるほどと雅樹は納得をした。言われてみればその通りで、自分はイブキの本名を知らないまま契約を交わしたなと。
草子だって雅樹の幼い頃に約束した結婚の話を、契約だと言い張っている。それについては雅樹も悩まされている。
確かに好きな相手ではあるが、結婚すると言ったのは5歳の時だ。子供なりの好意表現を契約と言われてもと。
もちろん雅樹は嫌がっているのではない。ただ結婚となると、ちゃんと恋愛をした相手とするべきと考えている。
それに人間が妖異と結婚出来るのかという問題もある。種族自体が違うのだから、無理なのではないかと。
「まだ何かあるのかい?」
「……いやその、人間と妖異って……結婚出来るのかなって」
イブキを相手にそんな事を聞くのは、少々恥ずかしかったが雅樹は聞く事にした。気になるのは確かだから。
「はぁ……玉藻前の話か……出来る出来ないで言えば、別に出来るよ。ただ人間が作っただけの制度だし」
那須草子という女性として、籍を入れるぐらい簡単だとイブキは答えた。戸籍を弄るなんて、イブキ達からすれば簡単な話。
実際に草子は、玉藻前として鳥羽上皇の寵姫として生活していた過去もある。妖異からすれば、何とでも出来る事なのだ。
「そ、そうなんですね」
少し心が揺れてしまう雅樹。初恋の女性と結婚するなんて、男子からすれば夢のような話だ。別れ際にされたキスを雅樹は思い出す。
ただ草子は他にも男性を囲っている。雅樹は特別だそうだが、その辺りは気になる部分だ。若干の嫉妬心が雅樹の中にある。
かと言って草子に結婚を望む程の愛情があるかと言うと、それは微妙なラインである。好意はあるが、愛ではない。
「だからマサキ、私とも結婚は出来るよ」
「えっ!? あ、えっと……」
突然そんな事を言われると、雅樹は混乱してしまう。以前にも特別だと言われたし、恋人にだってなってくれると言われた。
ただの餌として見ているのではないのかと、雅樹は動揺してしまう。だってイブキはとても美しい女性だ。
好意のある順で言えば、草子が若干上になる。だけどイブキと知り合ってから、好意自体は抱いている。惹かれていると言っても良い。
この気持ちが恋なのか、そうでないのか雅樹自身分かっていない。草子に対する気持ちですら、ハッキリとしていない。
「子供だって、作れるよ?」
「こっ……え!? 出来るんですか?」
少々センシティブな話題だったので、雅樹は一瞬恥ずかしがった。だがそれ以上に、妖異との間に子を成せる事実に驚いた。
だって自分達は妖異に作られた存在で、自然に生まれた生命ではないのにと。混乱している雅樹を相手に、イブキは更に捲し立てる。
「出来るよ? だって君達の肉体は、妖異をベースに作られているから。生殖機能だって、妖異と近いからね」
性的な行為が出来るという話は、以前人魚の話を聞いた時に知った。しかしそれは行為だけで、子供を作れるとまでは思っていなかった。
精気を吸われるのと同じ様な事だとばかり、雅樹は考えていた。だがどうやら違うらしい。
イブキや草子との間に、子供を作る事が出来る。結婚だって当然出来る。そんな事を知ったら、意識してしまうと雅樹は慌てる。
完成された美の持ち主で、スタイル抜群の魅力的なお姉さん。そんな存在と、ひとつ屋根の下で暮らしているのだから。
「で、でも、それじゃあ、子供が弱くなるのでは?」
どうにか冷静さを保とうと、雅樹は無理矢理違う事を考える。質問自体は実際気になる所で、知識欲を刺激する。
これ程の能力差があるのに、わざわざ人間と子供を作るメリットが無いのではないかと。
「いや、弱体化はしないよ。母体が妖異なら、あくまで妖異の子として生まれて来る。人間の女性が生む場合は、また違うけどね」
妖異の子供というのは、母体の影響が最も大きく、父親側はあまり影響がない。ただある程度の影響は受けるので、父親は誰でも良いわけではない。
仮にイブキと雅樹の間で子供が生まれると、やや腕力が落ちて妖力が高くなる。人間との間に生まれた妖異は、大体この傾向がある。
感情特化の人間が持つ性質を受け継ぎ、普通の妖異より妖力の精製能力が上昇する。それがこれまでの歴史で判明している事実だ。
身体能力が母親より少し落ちるデメリットはあるものの、弱体化という程の低下ではない。それがイブキの説明だった。
「君は特に純粋な魂と強い感情を持っている。きっと相当妖力が高い子を望めるからね。私としては歓迎だよ?」
「いやっ、だからその……」
急にそんな空気になられてもと、雅樹は弱弱しい抵抗をする。どう返して良いのか分からないから。
イブキとそんな行為をする自分を、想像するだけで男子高校生には刺激が高過ぎる。話題にするだけでも、雅樹には恥ずかしいぐらいだ。
この雰囲気は非常によろしくない。どうにかしようと雅樹は慌てるが、何が出来るわけでもない。
「で、でも、俺は、ちゃんと好きな相手と結ばれたいので……」
苦し紛れの返答をする雅樹。そんな彼の内心を知ってか知らずか、イブキは車を路肩に停める。静かな車内で、イブキは雅樹をジッと見つめる。
その視線に込められた意味が何なのか、雅樹には分からない。まるで草子にキスをされた時の様で、雅樹は気が気でない。
鼓動が激しくなっている雅樹を相手に、イブキは素早く顔を寄せて口づけをする。まるで草子のキスを上書きするつもりであるかのように。
感情と精気を吸われるのかと思った雅樹だったが、イブキもまた喰わずに唇を離した。雅樹の鼓動は更に上昇する。
「でもその相手が玉藻前だと私が困るからね。君が死ぬまで、アイツと一緒なんて御免だよ。そうなるぐらいなら、私を選べばいい」
大体君は私のモノなのだから、ちゃんと自覚をしてくれないと困るよとイブキは言う。雅樹はただ、ハイと答える事しか出来なかった。
イブキは再び車を走らせ、夜の国道を西へ向けて進んでいく。雅樹は早鐘を打つ心臓を、どうにか落ち着かせるのに必死だった。
これで2章は終了です。3章からは都市伝説系や学校の怪談などの題材にします。




