第47話 故郷へと向かって
碓氷雅樹の願いを聞き入れた大江イブキは、自身の所有するグレーのSUVで高速道路を走行していた。
いつものパンツスーツ姿で、キセルを片手にハンドルを握る姿はとても様になっている。
美しい横顔を晒しつつ、正面を見据えながら丁寧に車体をコントロールしている。
隣に座る雅樹は、帰省するのもあって少し緊張している。数ヶ月ぶりに故郷へ帰るからではない。
両親の死は死因を偽らねばならないし、イブキの存在を何と言うべきかも悩む。
学校の友人達にもそうだし、故郷の皆にも嘘をつかないといけない。
それが雅樹にとっては心苦しい事だ。特に初恋の女性には、今まで一度も嘘をついていない。
事故で亡くなったなんて偽りを伝えて、心配させてしまうのは辛い。
「どうかしたのかい?」
雅樹の様子から何かを感じたイブキが、隣に座る彼へと問い掛ける。
「いえ……ただ皆に嘘をつくのが、少し嫌だなって……」
これまで自分を偽って生きて来なかっただけに、他人に嘘を教える辛さを雅樹は感じている。
「仕方ないさ、時には嘘も必要だよ」
「そう……なんですけど……」
この世界には妖異が居て、両親は食い殺されたんだ! なんて雅樹が訴えても誰も信じない。
おかしくなったと思われて、精神科を紹介されるのがオチだ。
若くして両親を失い、現実を受け入れたくなくて狂ってしまった。
雅樹が聞かされる立場だったら、きっとそう思うだろうと自分でも思う。
「小さな村で完結しているのなら、妖異の存在なんて知らなくて良い。知らない幸せだってある」
人間は妖異に喰われる為の作られた生命。そんな悲しい真実を知らずに生きられるなら幸せだ。
雅樹だってそれは分かっている。自分だって知らないまま生きていた。
村での暮らしは幸せだったし、今でも村の事は大切に思っているから。
「知らないまま人生を終える人間は沢山居る、でしたよね?」
「そうだよ。君の故郷の人々だってそうなるさ」
妖異の存在を一切知らないまま、土地神に守られながら人生を終える。
騙されている様にも見えるが、本人達が幸せならそれでも良い。
ポジティブに考えれば、そう悪い話ではない。真実が常に優しいとは限らないのだから。
「そう言えば君の村は、なんて名前なのかな?」
それはイブキなりの配慮か、話題の方向性を少し変えようとした。
「わかも村です」
「……わかも?」
イブキは雅樹が生まれ育った村の名前を聞いて、不思議そうにしている。
そんな名前の土地はイブキの知る限り無い。あまりピンと来ていない様子だ。
「大昔に村を作った女性の名前らしいですよ。生前に善行を積んで、死後女神となり、村で祀られている……だっけな?」
雅樹はそこまで信心深くないので、あまり詳しくは覚えていない。
昔に村の老人達から教えて貰った歴史と、土地神様の伝説についての話。
若い少女が従者達を連れて山を開墾し、発展させて村を興した。
恐らくは名のある大名の娘だったのではないかと、村の歴史の中では語られている。
「……へぇ? わかもって、どんな漢字を書くのかな?」
「え? 確か…………若いって字に、海藻の藻ですかね? いつもは平仮名で書いてたので、うろ覚えですけど」
話す時は読みでしか発音しないし、住所としての記載は平仮名で問題なし。
国や市から届く郵便物なども、わかも表記である事が多かった。
「………………なるほど」
何かを察した様に、イブキは少し黙り込む。雅樹は何か変な事を言っただろうかと、思い返すが思い当たる節はない。
暫しの沈黙の後、イブキは横目で雅樹を見ながら話し始めた。
「君にはいつも通り衝撃的な話かも知れないけど、聞きたいかい? 神とは何か」
故郷の村と土地神の話は、いつか聞いて見たいと雅樹も思っていた。
真相が聞けるなら聞いてみたいと、思いはするが悩ましくもある。
衝撃的というのが、どういう意味か気掛かりは残る。だが最終的には知識欲が勝った。
「……知りたいです」
雅樹は少し躊躇いながらも、イブキから真実を聞く道を選ぶ。
既に世界の真実を知った後だ。今更常識が覆る様な話を聞いたとしても、どうせ大差はないからと。
「君達人間が神社仏閣で祀っているのは、妖異かも知れない。そんな話をこの前したよね?」
「はい、聞きました」
広島で廃村の調査をした際に、生贄と信仰の話と合わせて語られた時の話。
生贄を要求する代償として、何らかの利益を人間へと与える。
そんな事をするのは弱い妖異だけで、強者なら先ずやらない行為だと。
「人間が祀っている多くは偶像か、私達妖異のどちらかなんだよ。本物の神じゃなくてね」
「えっ!? どういう事ですか?」
これまでのイブキが語る内容から、神様も実在するのだと雅樹は認識していた。
しかし多くは偶像か妖異だとなって来ると、話は変わって来てしまう。
神様だと思っていた存在が神ではなく、そうじゃない何かだったとするなら少し怖い話だ。
「人間の信仰は大元が感情だ。不安や恐れ、何かに縋りたい欲求。つまりエネルギーの塊。それが偶像に集中すると、実体を得る事があるんだ。だけどそれは神じゃない。偽物の神、エネルギーの集合体」
これまでに聞いて来た話で、人間の感情が生む現象について知った。
正の感情と負の感情が生む様々な結果。それらを雅樹は覚えている。
「ただ厄介なのが、偶像は神とも繋がりが出来てしまう所だ。何故なら君達が望んだのは、神としての存在なのだから」
神様である事を望まれた偶像は、偽物ながらも神とリンクする。神そのものは実在しているから。
妖異が人間を生み出した結果、想定外の事態は色々と起きている。
偽物の神が出来てしまう事も、その1つであったと言えるだろう。
世界を作った本物の創造神ではない、人間が生み出した偶像。虚構だった筈の存在。
そんな偽物でも都合が良いからと、使役する事を決めた神は代行者として使用している。
「だから君達が信じる神と、本物の神はイコールじゃない。だけど繋がりはあるから、偽物だけど神でもある」
「えっと……じゃあ天使とか使徒みたいな存在って事ですか?」
ここまで聞いて雅樹が抱いた感想。厳密には神ではなく、使い魔みたいなものなのかと。
「認識としてはそれで良い。話がややこしくなるから、一括りに神と呼んではいるけどね」
今まで雅樹が知らなかった神様の真実。創造神と偶像の関係性。
世の中は雅樹が思っていた以上に、複雑で怪奇なのだと理解した。
しかしそれならそれで、新たに生まれる疑問がある。結局じゃあ神様は、何がしたいのだろうと。
「神様って、何でそんな事を?」
「知らないよ。何がしたいのかねぇ? 私達妖異だって教えて欲しいぐらいさ」
ここまでスラスラとイブキが説明するものだから、神様の意向ぐらい知っているのかと雅樹は思った。
しかし返って来た答えは予想と違った。何でも知っていそうなイブキでも、知らない事があるのだなと雅樹は思った。
そして結局のところ、神様の意向は分からないまま。一体どういうつもりなのか。
「だから私達は好きに生きているのさ。だって何も言われないからね。これで思っていた結果じゃないとか言われても、私達妖異からすれば知った事じゃない」
今の世の中がこんな形になっているのは、どうやら放任主義な神様のせいらしい。
なるほど確かに衝撃的だったなと、雅樹は納得が行った。良いか悪いかはともかく。
そしてその話を受けて、雅樹は自らの故郷へと思いを馳せる。
「じゃあ村の神様は、偶像か妖異なんですね」
「そうなるね。ただの偶像か、人を飼う妖異か」
村には初恋のお姉さんが居る。剣道の先生でもある美しい女性が。
彼女の事を思えば、偶像の方であって欲しいと雅樹は強く願った。




