第28話 夜の廃工場③
碓氷雅樹と沢城里香の2人は、廃工場の一室で息を潜めている。
ヘッドライトとスマートフォンのライトは切っている。様子のおかしな人々に見つかる可能性があるからだ。
一応は身を隠す事に成功したが、油断は禁物である。妖異ではないらしく、雅樹でも撃退は可能だ。
しかし生きている人間であるのなら、下手に怪我を負わせるのは躊躇われる。
「あれは何? どういう事?」
小さめの声で里香が雅樹へと問い掛けた。しかし雅樹も良く分かっていない。
2人は部屋の中にあったスチールデスクの陰に隠れている。
「俺も分かりません……そうだ!」
対処に困っているのもあり、雅樹は敷地の外で待機している大江イブキと連絡を取る。
「イブキさん、変な人達と遭遇しました。依頼者のお姉さん達が、その、襲って来ました。正気ではなさそうで……」
雅樹は現在分かっている事を、出来る限り無線機で正確に説明した。
『……恐らく操られているね。捕まえた人間の一部を、配下として使う妖異も居る。狩場に来た人間を怖がらせたり、捕まえたりさせるんだ』
そういう事かと、雅樹は状況を理解した。道理であんな風に、遭遇するなり襲い掛かって来たのかと。
雅樹はまだ冷静に判断出来るが、里香はまだ怖がっているし、混乱した様子も見せている。
『昼間に入らなくて正解だったよ。私に気付いていたら、全員喰って逃げ出しただろうね』
「どうすれば対処出来ますか?」
このままでは非常にやり難いと、雅樹は対処方法をイブキに尋ねる。
『そもそも自我が無いからね。気絶させる事は出来ないよ。見つからない様にするか、手足を折るか……殺すかだね』
「そんな…………」
殺すなんて雅樹には出来ない。手足を折るというのは、出来なくもない。
しかしただ操られているだけの人に、そんな大怪我をさせるのも気が引ける。
これが死んだゾンビだと言うならば、まだ覚悟を持てる。だが生きているなら、やはり雅樹には出来ない。
「ちょっと対策を考えます」
無線機で報告した後、雅樹は思考を巡らせる。どうやってこの状況を打破するか。
このままじっとしていても、いつかは見つかるだけだろう。それよりも先に、本命を見つけてイブキに後を任せたい。
一度撒いたからか、雅樹への視線は感じない。最初から自分が感じていた視線は、操られた人達のものだったのだろうと彼は判断した。
操った人間を通して、妖異が様子を見ているのなら。もしそうであるなら、これはチャンスでもある。
ここを根城としている妖異の、裏をかく事が出来るかも知れない。
「ねぇ、結局お姉ちゃんはどうなるの? 操られるとか、どういう事なの?」
イブキと雅樹は状況を理解しているが、里香はまだ良く分かっていない。
流石に感じ始めた恐怖心と、混乱が彼女を支配している。雅樹ほど冷静では居られない。
「お姉さんは……多分大丈夫だと思います。操るっていうのは、多分妖術です。ここにいる化け物のね」
「また化け物って……本当にそんなのが居るの?」
まだ信じ切れない里香は、どうにも雅樹の言い分を受け入れられない。
依頼をした日に知り合っただけの、同年代の男子でしかないのだ。
信用をしろと言われても、人柄すらろくに把握していない相手。
そうなんですねと、簡単に納得は出来ない。確かにおかしな状況ではあるとしても。
「俺達が生きている世界は、平和なんかじゃない。オカルトが真実で、現実の方が嘘だらけなんですよ。受け入れたくなくてもね」
「…………」
真剣な声と表情で、雅樹がそう答える。少なくとも嘘を言っている様な、怪しさを里香は感じなかった。
「それより何か、使えそうな物を探しましょう。隠れながら進める様な被り物とか」
雅樹はデスクの陰を出て、薄暗い室内を探索する。ヘッドライトは使わず、月明かりだけを頼りにデスクを漁る。
状況を完全に理解は出来ていないものの、里香も別のデスクを漁り始めた。
この部屋は恐らくデスクワークに使われていたらしく、複数のスチールデスクが並んでいる。
何かの書類や文具類なら見つかるが、この現状を覆す何かは中々見つからない。
10分ぐらい捜索しても、特にこれと言った成果はない。ボールペンやマジックでは、打開策にはならない。
「何か、何かないのか……」
雅樹はデスクを調べ終わり、今度は壁際にあるスチールラックを確認していく。
ホコリ塗れの段ボール箱が、乱雑に収められている。少し動かすだけでホコリが舞い咳込みかける。
どうにか耐えつつ探索を続けていくと、里香が何かを発見した。
「これ、使えないかなぁ?」
それは旧式のビデオカメラだった。当然バッテリーは切れていたが、雅樹が持っている予備の電池が使えた。
ヘッドライトの予備電池がなくなるが、どうせ今は使っていない。
ビデオカメラの電源を入れて、雅樹はボタンを操作する。撮影モードの中に暗視モードがあった。
「ホラー映画かよ……」
昔観たホラー映画で、暗視モードを使うシーンがあったなと。いざ試してみたら、本当にそのまま再現する事となった。
雅樹は見つけたボールペンやマジックもポケットに入れて、捜索を続ける準備を進める。
「状況が状況です。沢城さんは一度外に出て下さい。あとは俺1人でやります」
「で、でも……」
まともに対価を払えないから、自分も協力を申し出た。ここで止めるのは中途半端だと、里香は難色を示す。
「俺1人では沢城さんを守れません。イブキさんの護符は妖異にしか効果がないみたいだし、操られた人間に襲われたら終わりです」
里香は先程、操られたらしい男性に襲われた。そして雅樹の御守りも、ただの人間には無意味だ。
このまま2人で探索を続けるよりも、雅樹1人で行動する方が幾らか楽だ。
「先導するので、玄関まで戻りましょう」
「……わ、分かったわ」
ビデオカメラの暗視モードを頼りに、雅樹が先頭を歩き廊下に出る。
明かりを使えないので、里香は雅樹の着ているTシャツの裾を掴んだ。
ビデオカメラには、暗視モード特有の緑色をした映像が映し出されている。
現状前方と後方には誰もいない。誰かからの視線も、雅樹は特に感じられなかった。
「行きましょう」
雅樹は慎重に2階へと降りていく。緑色に染まった映像は、やけに不気味な雰囲気を演出している。
無機質な映像の中に、まるで何かが隠れているようで。そして実際、この建物には妖異が居る。
雅樹の緊張感は高く、映像を注視している。2階から1階へ降りようとしたが、階段から近い位置に人影がある。
雅樹は持って来たマジックを取り出し、階段とは離れた位置に向けて放り投げた。
カンカンという硬質な音が響き、階段の近くに居た人影が離れていく。
1階へと降りた際にも、玄関の方に人影があった。同じ様に玄関とは反対側へ、今度はボールペンを投げる。
階段の陰に隠れて待機し、人影が遠くに行くのを待つ。完全にやり過ごしてから、雅樹は玄関へと向かう。
しかしドアを開けようとしたが、溶接したかの様に動かない。明らかに閉じ込められていた。
「クソッ、開かない」
「ど、どうして?」
雅樹は妖異の関与に思い至るが、里香はそんな発想が出来ない。
ようやくここまで来て、里香は雅樹のこれまでの発言を理解し始めた。しかし少し遅かった。
「不味い! 走れ!」
雅樹は急に視線が集中するのを感じた。恐らくドアを開けようとすると、妖異が気付く仕掛けでもあったのだろう。
もう一度隠れてやり過ごす為に、雅樹は急いで玄関を離れようと走り出す。
ヘッドライトを付けて、カメラと併用しつつ移動した。しかし囲まれていたらしく、前方も後方も人の姿がある。
近くにある階段からは、上から降りて来る足音がしている。逃げられるとしたら、地下しかない。
「こっちだ!」
雅樹はカメラを持った手で里香の手を掴み、階段を降りて地下1階へと駆け出した。




