第102話 孤島にある村③
民俗学研究会の面々は、村の食堂で村人達へと挨拶をして回った。全員を覚えるのは難しいが、顔合わせはとりあえず完了。
気さくな人々だったなと、5人の大学生は感じていた。しかも食堂では、新鮮な海鮮をたっぷり使ったメニューばかりだった。
若い彼らのお腹を満たすには、十分過ぎるボリュームもある。東京で頼めば倍ぐらいの値段だと、終始驚いていた。
そんな腹ごしらえも終了し、教授で顧問の長嶋健司が5人を連れて公民館へと移動していく。村の中は昭和モダンな風景が広がっている。
古びたタバコの自販機と、無人販売の野菜が並んでいる。今ではもう、目にするのも難しい電話ボックスが、バス停の横に立っていた。
いつの物か分からない、日焼け塗れのポスター。昭和を思わせる、瓶入りのコーラを宣伝する写真が印刷されていた。
1台の錆び付いた軽トラが、収穫した野菜を積んで村の中を走行して行く。家と家の感覚が広く、田畑があちこちにある。
大きな庭のある家庭からは、年季を感じさせる砂埃の染みついた倉庫が、道路から見えていた。あちこちに残る、昭和の香り。
村の中を歩く大学生達は、昭和なんて知らない世代だ。そういう過去があったのか、としか認識していない。
徐々に忘れ去られていくかつての時代。高度経済成長期など、様々な歴史的転換点があった時代。その残り香が、この島ではまだ生きている。
健司が駄菓子屋に貼られたポスターを指差し、昔流行ったお菓子の話を披露する。今ではもう、販売していない昭和のお菓子だ。
「俺が子供の頃にはな、皆が学校帰りに食べていたのさ」
「へぇ~あれが。どんな味だったんですか?」
健司の昭和語りは、こうしてフィールドワークをしていると頻繫に挟まる。興味を持っているのは、部長の篠原愛花ぐらいだ。
他のメンバーは、少々聞き飽きている。適当に相槌を打つぐらいで、話の内容にはあまり興味が無かった。
たまに高瀬未央奈が、話の内容次第で反応するぐらいだ。彼女は民俗学に関係のある内容なら、健司の昔話を聞きたがる。
他の男子生徒達は、もう殆ど興味を示していない。おじさんの昭和トークを、聞き流しているだけだ。
そんないつもの光景を繰り広げながら、アスファルトで舗装されていない道を歩き続ける。遠くの方に公民館が見えて来た。
「ああ皆見てくれ、あれが公民館だ」
健司が指差す先には、古びた建物が建っている。所々塗装が剥げており、塗り直しもされていない。資金的余裕が無いのだろう。
今にも倒壊しそうな程ではないが、どうしても年季を感じさせられる。現在の耐震基準を満たしているのか、少し不安を覚えてしまう。
だが中に入ってみれば、そこまでボロいという印象はない。内装はしっかりとしているようだ。清掃も行き届いている。
健司が公民館の館長へと声を掛け、教え子達を紹介した。それぞれが自己紹介をし、本題へと移って行く。
ここ薄明村の歴史と、カナカナ様に関する調査をしたいと。民俗学について、学んでいる最中だとも。
「今時の子が、こんな田舎の歴史が知りたいかね? 物好きな話だねぇ。まあ良いさ、着いておいで」
館長の案内で、公民館の展示スペースへと移動する。かつての村人達の生活や、村の歴史について展示されている。
その中の1つに、愛花が読みたがった平安時代の文書がある。かつてこの村で暮らしていた村長が、後世に残した手記だという。
当時の生活と文化、既にあったカナカナ様に関する信仰について、詳しく書かれた記録であった。愛花は目を輝かせている。
全体を纏めた解説が掲示されているが、愛花はそちらより実物が見たくて仕方がない。自分で読み解きたいのだ。
「こっちを、読ませて頂けますか?」
「……驚いたなぁ。今時の子が、これを読めるのかね?」
もちろん読めますと愛花は頷き、どうにか読ませて欲しいとせがむ。彼女の熱量にあてられて、館長は特別に触れる許可を出した。
ただし手記に触れる時は、必ず綺麗な手袋を着用する事を絶対条件とした。健司がこの手の扱いに慣れているので、任せて欲しいと伝えた。
手記については健司と愛花が、他の展示物については残りのメンバーが、それぞれ調査を進める事に決まる。各々が行動を開始する。
「長嶋教授、ここの記述ですけど……」
「うん? どこだい?」
熱心に解読を進める2人と違って、あまり積極的ではない生徒がいる。特に民俗学が好きという訳でもない、ヤンチャ坊主な山内春樹だ。
彼は愛花が目的で、民俗学研究会に残っている。調査そのものはどうでも良いのだ。たまに旅行出来て、愛花と一緒に居られる。
ただそれだけが、同行している理由だ。彼女が居なければ、ほぼ幽霊部員となっていただろう。そんな彼だから、調査は進みが遅い。
しかしあまりに出来が悪いと、愛花に失望されてしまう。それは春樹の望むところではない。手抜きがバレない程度に、彼は作業を進める。
1時間ほど調査をしていた彼らは、一旦情報の整理をする目的も含めて、休憩を挟む事にした。持参した水を飲みながら、全員が報告を入れる。
「俺が調べた情報ですけど……」
未央奈の恋人である倖田圭太が、公民館にあった資料から読み取った情報を話す。大昔の村での生活についての話だ。
平安時代の薄明村は、漁業を中心に生活していた。今ほど農業が発展しておらず、潮風で作物が駄目になってしまうから。
野菜や穀物は本土から仕入れるしかなく、海での漁業を主な産業としていた。男性は漁に、女性は海女として働く。
幸いにも豊富な海産物が日暮島の周囲には揃っており、飢えに苦しむような厳しさは無かった。ただしそこでも、カナカナ様の話は出て来る。
「どうやら漁で成功出来たのも、カナカナ様のお陰だと考えていたみたいです」
「やはりか……こちらの手記でも、似た事が書かれているんだ」
健司は愛花と共に調べた、平安時代の手記の原文を訳す。掲示されていた要約よりも、更に詳しい内容が説明される。
カナカナ様にお願いすれば、大量の魚が手に入る。漁に出ても、嵐に遭遇する事はない。些細な海難事故も、起こらなくなる。
困った事が起きれば、カナカナ様にお願いすれば良い。病気も嵐も災害も、全てカナカナ様に掛かれば解決してしまうのだ。
1時間解読しただけでも、カナカナ様賛美が幾つも出て来る。それはもう執着と呼べる勢いで、熱心に書かれているのだ。
「な、何か、怖くないですか?」
背は高いのに頼りない男子、高村祐介が少し怖がっている様子だ。何か妄執に似た空気を感じて。異常なまでの信仰に、彼の目には映ったのだろう。
現代を生きる村人達は、そこまでカナカナ様に頼っている印象は無かった。だが昔の人々は、あまりにも厚い信頼を持っていたと思われる。
不老不死に関しても、かなりの村人達が信じていた様子が窺える。まるでそうなる事が、至上の喜びだと言わんばかりだ。
「バカ、カナカナ様なんて居るわけないだろ。ビビるなって」
春樹は祐介の真逆で、全く怖がる様子を見せていない。そんな存在が、この世に居る筈がないだろうと。
「こらこら、それは言うなと伝えておいただろう? 村の人達に失礼じゃないか」
明らかに馬鹿にした態度を見せている春樹に、健司が苦言を呈する。ただそれは、例の噂を信じての事ではない。
現地の信仰を、無暗に否定してはいけないというポリシーから来るもの。民俗学は何も信仰を解明して、真実を暴くのが目的ではないから。
あくまで研究が目的で、貴方達が信仰しているのはでっち上げだ! と示す事が目的の調査と研究ではないのだから。
そういう一面があるのも確かだが、事実を突きつける事が本意ではない。窘められた春樹は、面白くなさそうにしている。
「どうも失礼しました」
投げやりに返答する春樹を、密かに見ている人物がいる。展示スペースの入り口の向こうから、館長がジッと春樹を見つめていた。




