79.お兄様の弱点
「……お兄様、夢です、ただの夢ですよ」
私は動揺しつつも、お兄様の背を撫でて言った。
だがお兄様は首を振り、顔を歪めた。
「この手でおまえを斬った。その感触を覚えている。……おまえを殺し、わたしは安堵した。もうこれで、おまえは誰のものにもならぬ。わたし以外の男を見ることも、その名を呼ぶこともない。そう思い、わたしは……歓喜したのだ」
……うっわ。引くわー。
お兄様の、ザ・血まみれの闇伯爵エピソードを聞かされ、私は慄然とした。
……ていうか、あの小説、そんな裏設定があったの?
たしかに、なんで伯爵がわざわざ、自分の手で妹を殺すんだとは思ってたけど。
私はお兄様を見た。
なんだろ。
何かがおかしい。
いや、お兄様はいつもおかしいけど、そういう意味ではなく、何かが……。
「ラス兄様、ちょっと失礼します」
私はお兄様の左胸に手をあて、そっとささやいた。
「―――神のみ恵みに、感謝いたします。どうか祝福を―――」
ぱあっと金色がかった白い光が私の手からあふれ、お兄様の胸の中に吸い込まれていく。
お兄様は驚いたように目を見開き、次の瞬間、苦痛をこらえるように顔をしかめた。
「……う、っ」
低く呻き、お兄様は歯を食いしばった。
「お兄様? 大丈夫ですか?」
「……ああ」
ふう、と息を吐き、お兄様は顔を上げた。
「あの、まさかとは思いますけど、お兄様……」
「……ああ、闇の種子を埋め込まれていたようだ」
お兄様は胸に手をあて、何かを確認するように目を細めた。
やっぱりそうか!
でも、ラス兄様は闇属性だから、たとえ禁術でもそれでラス兄様を操り人形にしたりとかはできないはずだけど。
「……ここ最近、不自然なほど魔力値が増加していた。さほど気にしていなかったのだが、闇の種子の影響だろう」
「でも、どうして闇の種子を? お兄様に闇の種子を埋め込んでも、魔力値や攻撃力が上がって、敵が不利になるだけでは」
お兄様は闇属性を持っているし、そもそも対魔術の抵抗値が半端なく高いため、闇の種子なんて埋め込んだら、逆にパワーアップしてしまう。
そんな事も知らずに、危険を冒して敵側の総大将に闇の禁術を使うとは思えないんだけど。
「……闇の種子は、心に作用する。精神攻撃として禁術を使用し、騎士団の崩壊を狙ったのかもしれん」
「精神攻撃?」
「わたしの弱点はおまえだ。おまえを奪われると思いこませ、王家と反目させるつもりだったのかもしれん」
実際は、悪夢にイライラしたお兄様に、総攻撃をかけられてしまった訳だが。
「でも、闇の種子を埋め込むには、そうとう相手に近づく必要がありますよ。発芽させるにも、近くで魔術をかける必要がありますし。そんな魔術師は」
そこまで言って、私は気づいてしまった。
いた。
いましたよ、お兄様の側に、闇属性の魔術師が。
「え、ウソ、まさか」
「アメデオか。……ゼーゼマン侯爵から、何か新しい魔道具でもちらつかされたか」
「そんな理由!?」
お兄様は肩をすくめた。
「言っただろう、塔の魔術師は変人ぞろいだと。あやつらの才は貴重だが、常人とは思考も倫理観も違う。忠誠心などはとうてい期待できぬ輩だ」
「えええ……」
でもアメデオは、ゼーゼマン侯爵を嫌ってるような節があったのに。
「騎士団とともにアメデオも王都に戻る。理由が知りたいなら、王都に戻ったところでアメデオを屋敷に呼ぶか?」
平然と言うお兄様に、私は驚いて言った。
「いや、あの、お兄様。私が言うのもなんですけど、闇の種子を埋め込んだ相手を屋敷に呼ぶって」
「おまえとて、ロッテンマイヤーを処罰しなかっただろう」
「それとこれとは違います。お兄様、私の時はあんなに大騒ぎしたじゃないですか。生ける亡者になるところだったのだぞ、って。お兄様も同じ目に遭ったんですよ!」
お兄様は少し驚いたように私を見て、そして甘く微笑んだ。
「わたしを心配しているのか?」
「当たり前です!」
「マリア」
お兄様は手を伸ばし、私の頬を優しく撫でた。
「私は闇の種子を埋め込まれても、操り人形になることはない。せいぜいが悪夢にうなされる程度だ」
「でも……」
言いかけて、私は口をつぐんだ。
私はただ、納得がいかないのだ。
クララは、ゼーゼマン侯爵に強要されて、仕方なく闇の種子を私に埋め込んだ。
でもアメデオには、どんな理由があったと言うのだろう。
まさか本当に、珍しい魔道具欲しさについ、とかいう理由だったら、一発くらい殴っておかねば。
「……お兄様、少しはご自分の安全に気を配ってください」
「おまえに言われるとはな」
お兄様は笑い、私を抱き寄せた。
私がお兄様にぎゅっと抱きつくと、お兄様は動きをとめ、それから強く私を抱きしめ返した。
「……やはりおまえは、生きているほうがいい」
口調は甘いが、言っている内容はホラーだ。
「夢の中でおまえを殺した時、とても幸せだった。……だが、こうしておまえを腕に抱ける喜びに比べれば、何ほどのこともない」
よ、よかった。
死んでる私のほうがいいとか思われてたら、私もお兄様も人生終わってた。
満足そうに私に口づけるお兄様に、私は内心、冷や汗をダラダラ流したのだった。




