70.美しい人
「ロッテンマイヤー嬢は、今は暗殺の危険があるため、リーベンス塔の特別室に入れられているわ」
燭台を持ったリリアが、階段を上りながら声をひそめて言った。
この前は地下、今度は特別室と、通常リーベンス塔で働いている人ですら中々入る機会のない場所へ、何度も出入りすることになろうとは。
しかも今回は、王太子殿下の許可さえ得ていない。
王妃殿下の意を受けたリリアにより、こっそり塔に忍び込んでいるような状況だ。
これがお兄様にバレたらどうなるか、考えただけで身の毛がよだつ。
だがお兄様は現在、フォール地方の砦におり、身動きがとれない状態だ。
叛乱勢力に対し、お兄様率いる騎士団は怒涛の攻撃を加え、すでに砦を陥落寸前まで追い詰めていると聞くが、それでも完全制圧まであと数日はかかるだろう。
それに私は、ロッテンマイヤーさんに確かめたいことがあった。
ゼーゼマン侯爵もお兄様も、ロッテンマイヤーさんを駒としてしか見ていない。
利用価値があるかないか、それしか考えていないという点においては、ゼーゼマン侯爵もお兄様も同じだ。
でも私は、どうしてもそうした考え方に馴染めない。
確かにロッテンマイヤーさんは、ゼーゼマン侯爵の意を受けて、聖女を騙り、私に闇の種子を埋め込んだ。
でも、もしロッテンマイヤーさんが、闇の禁術を使ったことを後悔しているなら。
逆らえない状況で、私やお兄様を陥れようとしたけれど、それはロッテンマイヤーさんの本意ではなかったのなら。
それなら、私でも彼女の力になれるかもしれない。
むろん、何の備えもなしに闇の魔術の使い手であるロッテンマイヤーさんと相対するつもりはない。
私は、お兄様とアメデオという、おそらく当代髄一の魔道具マニアと思われる二人が作成した、闇の禁術を防御する呪具を複数、装備している。
その上、お兄様が腕によりをかけて作り上げた、狂気的な執念の宿る呪いの指輪によって、私に向けられる攻撃は、ことごとく防御されるようになっているのだ。
言わば、今の私は、そこらの騎士よりも鉄壁の守りを誇る、サイボーグのようなものなのである。
攻撃手段はほぼ無だが、怪我なく逃げられればそれでいいので、そこら辺は気にしない。
私は全身、魔道具を装備し、必要なものを入れた袋を背負って、こっそりリーベンス塔の階段を上っていった。
「この部屋よ。わたしは外で見張りをしているわ。わたしは王妃殿下の命を受けているけど、あなたは違う。予定外のことが起きたら、すぐに逃げてちょうだい」
「わかった、ありがと、リリア!」
いかに王妃殿下の意を受けたと言っても、事が公になれば、リリアにも迷惑をかけるかもしれない。
私はリリアをぎゅっと抱きしめ、リリアから燭台を受け取り、部屋の中に入った。
「お邪魔しまーす……」
手元の灯りがなければ、部屋の奥に座り込んだロッテンマイヤーさんを見つけられなかっただろう。
明り取り窓が部屋の上部に小さくあるだけで、中には蝋燭もランプも、中央神殿にあった魔力を使用する明りもない。
私の声に、部屋の奥、寝台にもたれかかるように座っていたロッテンマイヤーさんが、のろのろと顔を上げた。
少しやつれたように見えるが、相変わらず色っぽい美人だ。
「……あら」
ロッテンマイヤーさんが驚いたような声を上げた。
「まさか、本当に来るなんて。あなた、何を考えていらっしゃるの?」
ふふ、と気だるげに笑ってロッテンマイヤーさんは言った。
「わたくしがあなたに、闇の種子を埋め込んだことは、わかっていらっしゃるのでしょう?」
「……ええ、それは、塔の魔術師から聞きました」
「それなら、どうして? わたくしが怖くはないの?」
そう言ってから、ロッテンマイヤーさんは私をしげしげと見た。
「……まあ、それほど強力な呪具があれば、わたくし程度の魔力など、どうということもないわね」
やっぱりこの呪具、すごいんだなー。
私は寝台脇の小机に燭台を置き、改めてロッテンマイヤーさんを見た。
王宮で会った時のような、豪華なドレスではなく、簡素なワンピースを着ている。少し痩せたようにも見えるが、体型にそれほど変化はないようだ。
「ロッテンマイヤー様、どうして私との面会を望まれたのですか?」
私は単刀直入に言った。
「ゼーゼマン侯爵から見限られたからですか? だから代わりに、ノースフォア侯爵家の保護を求めていらっしゃるのですか?」
「……いいえ。そんなもの、もうどうでもいいわ」
ロッテンマイヤーさんは投げやりに言った。
「どうでもいいの。……もう、うんざりなのよ。わたくしは、生まれた時から蔑まれ、利用価値がなくなると捨てられた。……もう疲れてしまったの」
ロッテンマイヤーさんはため息をついた。
「どうせわたくしは、遠からず死ぬことになる。処刑されるか、暗殺されるか、どちらにせよゼーゼマン侯爵が、わたくしを生かしておくとは思えない」
ロッテンマイヤーさんは顔を上げ、私を見た。
「……あなたには、申し訳ないことをしたわ。謝ってすむことではないけれど、死ぬ前にせめて一度、会って謝罪をしたかったのよ」
ロッテンマイヤーさんの毅然とした態度には、貴族らしい品位が感じられた。
うーん。アメデオ調べだと、ロッテンマイヤーさんは認知されてないから、正確には平民なんだろうけど、こうして見ると、私なんかよりよっぽど貴族っぽい感じがする。
「そうね……、それに、どうせ死ぬならその前に、欲にまみれた薄汚い人間ではなく、美しい人に会いたかったというのが本当のところね」
ロッテンマイヤーさんがつぶやくように言ったセリフに、私は一瞬、心臓が止まりかけた。
うつくしい……!?
え、ロッテンマイヤーさんが面会を望んだのって、私でいいんだよね?
リリアの間違いじゃないよね?
「……あなたの祝福の光は、美しかったわ」
ロッテンマイヤーさんがもう一度、つぶやくように言った。
あ、ああー、祝福の光のことか。
はー、びっくりした。私が美しいとか、恥ずかしい勘違いするとこだったわ。
うつむくロッテンマイヤーさんに、私は言った。
「ロッテンマイヤー様、確認したいんですけど、私に闇の禁術を使ったのは、ロッテンマイヤー様ご自身の意思ではなかったんですね?」
「……どう思われてもかまわないけど、わたくしは好き好んで禁術を使ったりはしないわ。もともと、それほど闇の魔力も持っていないし」
「では、なぜ?」
私は、ロッテンマイヤーさんにしつこく食い下がった。
意地悪な質問かもしれないが、どうしても知りたかったのだ。
「なぜ、ゼーゼマン侯爵の言うがまま、闇の禁術を使ったんです? 利用されていると、わかっていたのでしょう?」
ロッテンマイヤーさんは力なく笑った。
「ゼーゼマン侯爵に拾われた時、こう言われたの。『おまえをずっと探していた、ようやく見つけることができた』と。……わたくしを必要として、探してくれた人がいたのかと、そう思って……」
ロッテンマイヤーさんはため息をついた。
「……愚かだったわ。侯爵の言いなりになって、禁術を使うなど。亡くなった母が知ったら、どれほど悲しむことか……」
ロッテンマイヤーさんの声が震えた。
「わたくしには、もう誰もいない。わたくしを愛してくれた母も、もう亡くなってしまった。大切な人は、もう誰もいないの。だから……」
ロッテンマイヤーさんは顔を覆い、うつむいてしまった。
「そういう事なら、大丈夫です!」
私は手を伸ばし、ロッテンマイヤーさんの肩をがしっと掴んだ。
「大切な人がいないなら、これから作ればいいだけです!」
私は力強く言い切った。
ロッテンマイヤーさんが、は? と顔を上げたところに、私は続けて言った。
「ゼーゼマン侯爵に、ロッテンマイヤー様を殺させたりしません! ここから逃げましょう、ロッテンマイヤー様!」




