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【書籍化】異世界でお兄様に殺されないよう、精一杯がんばった結果【コミカライズ】  作者: 倉本縞


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60.闇の伯爵とノースフォア侯爵の因縁

外観からある程度の予想はついていたが、ノースフォア侯爵家の邸内は、絢爛の一語につきた。

床には惜しげもなく絨毯がしきつめられ(我が家は家具やソファの下のみ)、控室の壁面や天井にまで見事なフレスコ画が描かれていた(我が家は剥き出しの漆喰のまま)。


ノースフォア侯爵家の富豪っぷりは承知していたつもりだけど、あらためて目の当たりにすると、格差を実感する。

ただ、こんなに豪華すぎると、ちょっと落ち着かないかもしれない。


案内された先、ノースフォア侯爵家現当主、ハーベル様の寝室も、豪華な天蓋付きの寝台に、そこで執務がとれるよう、高価そうな椅子や小机などが置かれた広々とした空間だった。


どう見てもプライベートな空間じゃないよね、これ。

寝室だけど寝室じゃない。執務室に寝台おいてみましたーって感じ。

上級貴族ともなると、こんなもんなのかなあ……。

私には無理だわーと思ってから、気がついた。


……私はこの侯爵家に嫁ぐんだった……、忘れていた。


内心、密かに動揺している私をよそに、家令がハーベル様に声をかけた。

「侯爵様、レイフォールド様とその婚約者様がいらっしゃいました」

小さく応えがあり、家令に手伝われてハーベル様が上体を起こした。


「……レイフォールドか」

震える手で招かれ、お兄様と私は寝台に近寄った。


近くで見ると、ハーベル様は病のせいか、実際の年齢よりずっと老けて見えた。

年齢的には王妃殿下と同じくらいのはずだが、手も顔も皺だらけで、腕は枯れ枝のように細く、髪は真っ白だった。


「そなたには……、苦労をかけた」

ひび割れた声で、ハーベル様がお兄様に言った。


「赤子のそなたを引き取らず、デズモンド家に押しつけた。……恨んでいよう」

「ノースフォア侯爵家の事情は承知しております」

お兄様は淡々と答えた。


「わたしが生まれた時、ハーベル様のご子息はご健在でした。わたしを引き取ることで、無用な災いが生じるのを避けようとなされたのでしょう。賢明なご判断かと」

……ラス兄様、自分で自分を災いとか。


「わたしはデズモンド家で、愛する婚約者を得ました。ノースフォアに入るにあたり、そのご裁可をいただきたい」

……お兄様、言葉は丁寧だけど、有無を言わさぬ迫力がある。

お前んちの後継いでやるから、代わりに結婚認めろや、みたいな。


「婚約者……、デズモンド家の令嬢か」

「マリアと申します」

私はドキドキしながら一歩踏み出し、ハーベル様の前に出た。


けほけほと力なく咳き込むハーベル様に、私は思わず手を伸ばし、治癒術をかけようとした。

だが、もうそれを受け入れる体力もないのか、治癒の光はハーベル様の表面を撫でるだけで、体内に入ることなく消えていってしまった。


「もう……、治癒は効かぬのだ」

ハーベル様は目を閉じ、苦しそうに言った。

「気にせずともよい。もう、このままで……」

私は少し考え、祈りの形に手を組んだ。


祝福の光は、万能ではない。

闇の魔術など、魔術によってできた怪我には、祝福の光は劇的な効果を発揮するが、通常の病には一般的な治癒術のほうが効果がある。

ただ、祝福の光は、病による苦痛や精神的不安を和らげる力がある。


私は神力を調整して、両手からあふれる穏やかな祝福の光を、ハーベル様に向けてみた。

光は弾かれることなく、ゆっくりとハーベル様の中に吸い込まれていった。


ハーベル様は大きく息をつき、目を開いた。

「……デズモンド家の令嬢は、聖女と聞いたが。そうか、これが祝福の光か……」

「どうでしょう、少しはご気分が良くなられましたか?」

「ああ、だいぶ楽に……」


言いかけて、こちらを見たハーベル様は、驚いたように目を見開いた。

「アンヌ」

喘ぐような声で呼ばれ、私も驚いて侯爵様を見返した。


「アンヌ……」

みるみるうちにハーベル様の瞳に涙が盛り上がり、頬をつたい落ちた。


アンヌとは、私の母親の名前だ。

お母様と侯爵様は同年代だから、魔術院の在籍時期もかぶっていただろうし、お母様の実家はそこそこ裕福だったから、ノースフォア侯爵家と交流があってもおかしくはない。

しかし、顔見ただけで涙を流すとは、いったいどんな因縁が。


「アンヌ、許してくれ」

ハーベル様は涙をぬぐおうともせず、私に手を差し伸べた。

私が手をとると、骨と皮ばかりの手が、思いがけないほど強い力をこめて握り返してきた。


「……すまなかった、アンヌ。わたしのせいだ、わたしのせいでそなたは……」

「大丈夫、大丈夫ですよ」

何があったか知らないが、死にかけの老人に涙ながらに謝られては、そう返すしかない。


「わたしは、わたしは怖かったのだ。息子は病弱で、妻も二人目は望めぬ体だった。そんな時、あの呪われた赤子を引き取るなど、とても……」

……呪われた赤子って、もしかしなくてもラス兄様のことでしょうか。


「だがそのせいで、そなたは……。知らなかったのだ。ゼーゼマン家が、あの赤子にそれほど執着していたとは思いもしなかった。あの赤子のせいでそなたは」

「赤ん坊のせいじゃありませんよ」

私はハーベル様の言葉をさえぎって言った。


「悪いのはゼーゼマン家で、ハーベル様も、赤ん坊も悪くありません。……仕方なかったのです。もう気になさらないで」

「アンヌ」

そんなに泣いたら、体中の水分が飛んで脱水症状になるんじゃなかろうかと心配になるくらい、ハーベル様は涙を流しつづけた。


私は侯爵様の背中をさすり、家令から布を受け取って侯爵様の顔を拭いた。

「もういいですから、少しお休みください。何も心配なさることはありませんから」

「アンヌ」

「お休みになる前に、水分をお摂りしたほうがいいですね」

泣くと喉が渇くんですよね、と言うと、ハーベル様は目を瞬いた。


「……そなたは変わらぬ」

なんだか嬉しそうに言われ、私は首を傾げた。


ハーベル様の記憶の中のお母様と私は、そんなに似てるんだろうか。

たしかに外見はよく似ていると、自分でもそう思うけど。


「お疲れのところを失礼いたしました。後ほど、婚約の裁可につきましては、書状を届けさせますので、そちらにサインをお願いいたします。わたし達はこれで」

お兄様がそっと私をハーベル様から引き離し、背中に隠すようにした。


「アンヌ」

「……あの、今日はこれで失礼しますね」

「アンヌ、わたしも連れていってくれ」

ハーベル様に手を差し出され、私は少し考えた。


ハーベル様は、私を母と勘違いしている。亡くなった母に、連れていってくれと頼むということは、つまり。


「……また参ります、ハーベル様」

私は優しく言った。


「必ず参りますから。それまでお心安らかに、お待ち下さいませ」

私の言葉に、ハーベル様は安心したように微笑んだ。

「……そうか。来てくれるか」

「ええ、必ず」

ウソではない。

近い将来、この侯爵家に嫁ぐわけだし。


「わかった。……待っている」

ハーベル様の言葉に、お兄様が顔を歪めた。


お兄様は私の手を掴むと、メイドがドアを開けるのも待てぬように、足音荒く部屋を後にした。

「お、お兄様、どうされたんですか?」

「……あの死にぞこないめ」

吐き捨てるようにお兄様は言い、私を睨みつけた。


「お兄様、死にぞこないって」

それはまさか、ハーベル様のことですか。


「なぜ、あのようなことをした。祝福の光など。なぜ、あのようなことを言ったのだ?」

お兄様は苛立った様子で言った。

「え、あのようなって?」


正直、お兄様のお怒りポイントが理解できない。

私がぽかんとしていると、

「あの男に、優しくする必要などない。……あの男は、わたしを怖れ、ノースフォア家に引き取ることを拒んだ。まぎれもなくノースフォアの血を継ぐわたしを、まったく無関係のデズモンド家に押し付けたのだ」

お兄様は激しく言いつのった。


「ノースフォア侯爵家当主とすれば、正しい判断だったかもしれぬ。だが、あの男がわたしを引き取っていれば、あんなことは起こらずに済んだ。……しかも、あの男は息子が亡くなるやいなや、手の平を返してわたしを後継者にと指名してきた。よくもそのようなことを言えたものだ。父上と母上が殺された時、ただ傍観していただけの恥知らずが、よくもそのような」

吐き捨てるように言うお兄様に、私はやっと理解した。


お兄様は、ハーベル様の人となりを「好かぬ」と断言していた。

ハーベル様がお兄様を引き取っていれば、私の両親は死なずにすんだはずだと、それを未だに許せずにいるのだ。


「お兄様」

私はお兄様の手を握り、小さな子どもに言い聞かせるように言った。

「ハーベル様は、私をお母様と思い違いをされているようでした」

「それがどう……」

「私は、お母様ならどうおっしゃるか、そう考えて申し上げただけです」

私の言葉に、お兄様が怯んだのがわかった。


「お兄様、たとえお兄様のおっしゃる通りだったとしても、お母様は、決してハーベル様を恨んだりなさいませんよ」

「……わかっている」

お兄様は呻くように言った。


「わかっている。父上も母上も、誰も恨んだりはなさらぬだろう。だが……」

「お兄様」

「わたしは許せぬのだ。ノースフォア侯爵も、ゼーゼマン侯爵も、わたし自身も許せぬ。恨みと憎しみを、どうしても消せぬのだ。そのような醜い思いを、父上も母上も決して良しとはされぬだろう。そうわかっていても、どうにもならぬ」

握りしめたお兄様の手が震え、荒れ狂うような激情を伝えてくる。


「……おまえの言いたいことはわかっている。父上も母上も、今のわたしを見れば失望されるだろう。おまえもミルも、デズモンド家の名に恥じぬ立派な人間に育った。だがわたしは……」

苦しげなお兄様に、私は言った。


「お兄様は、ハーベル様を恨んでいらっしゃるのですか?」

「……ああ、恨んでいるとも。この手で殺してやりたいくらいだ」

自嘲するようにお兄様が小さく笑った。

「それなのに、私のためにノースフォア侯爵家を継ぐことになさったのですね」


お兄様は驚いたように私を見た。

「お兄様は、ミルが成人したら伯爵位をミルに譲り、無爵となるおつもりだったのでしょう? その頃すでに、ノースフォア家から後継者としてのお話が来ていたはずです。それをずっと断りつづけていたのに、私のためにそれを翻意された」

「それは……」


私はお兄様の手を強く握りしめた。

「お兄様は、とてもお優しい方です」

「マリア」

「とてもお優しく、愛情深い方です。どれほどの恨みや憎しみがあっても、それを超えて私を守ることを選んでくださったのですから。……お父様やお母様が、お兄様に失望されるなんて、そんなことはあり得ません。レイフォールドはいい子だ、マリアを守ってくれて優しい子だと、きっとそう仰いましたよ」

「……マリア」

お兄様は私を引き寄せ、すがりつくように私を抱きしめた。


「マリア……」

「お、お兄様、ここ廊下ですよ……」

人ん家の廊下で堂々とラブシーンを披露するとか、私の羞恥心が悲鳴を上げている。

それに、ぎゅうぎゅうとすごい力で抱きしめられてるから、ドレスのパニエが壊れてしまいそうなんですが。


だが、

「もう少しだけ……」

小さな声で懇願するお兄様に負け、私は黙ってお兄様の背に腕を回した。


なんか最近、私もお兄様に影響されて恋愛脳になってきたような気がする。

はたから見たら、私も立派なバカップルの一員なのだろうか……。



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マリアちゃん、聖女かな?聖女だったわ。
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