59.ノースフォア侯爵家
先日は王宮で婚約の報告を行い、吐きそうなほど緊張したが、今日もまた、胃がよじれそうなほどの緊張に襲われている。
が、馬車で隣に座るお兄様は、非常にリラックスした様子だ。
「お兄様、今日は騎士団の制服なんですね」
「ああ」
「……今日はノースフォア侯爵家へのご挨拶なのに、王宮の時みたいな恰好しなくていいんですか?」
そう、本日は、ノースフォア侯爵家へ、お兄様が正式な後継者としてのご挨拶&婚約の裁可をいただきに上がるのである。
ちなみに私は、お店で注文した二着目のドレスを着用している。
王宮での報告とは違い、婚家への挨拶ということで、それほど形式ばる必要はないため、最新流行の華やかなベルラインのドレスで、色はノースフォア侯爵家を象徴する深い青だ。
「まあ、身内の挨拶にすぎんからな。……それに」
お兄様が顔をしかめた。
「あれは動きづらいし、脱ぎ着が面倒だ」
私は思わず笑ってしまった。
服装を、動きやすさや着脱の簡便さで評価するあたり、実にラス兄様らしい。
「でも、王宮でのあの恰好、すごく似合ってましたよ」
「……そうか?」
お兄様は満更でもなさそうな表情で、私を抱き寄せようとした。
が、腰の辺りが大きくふくらんだベルラインのドレスが邪魔をし、密着できない。
お兄様はもどかしそうに私を見た。
「なぜこのドレスは、このように腰回りを大きくふくらませているのだ? 意味がわからぬ」
「そういう流行なんです」
私はくすくす笑いながらお兄様を見た。
お兄様にドレスの流行を理解しろと言っても無理だろうなあ。
「こういう風に、ふわっとドレスが広がっていると、可愛いでしょ?」
「よくわからぬ。……たしかにおまえは可愛いし、美しいと思うが」
うっ。
不意打ちのセリフに、私は思わず下を向いた。
最近わかってきたんだけど、お兄様、別に口説こうとか意識してそういうこと言ってるんじゃないんだよね。
ただ、思ったことを正直に口にしてるだけなんだよね。
それってある意味、意識して口説き文句を使いこなす女たらしより、ずっとタチが悪いような気がするのですが。
私はそっとお兄様を見上げた。
ノースフォア侯爵を正式に継承する重責も、お兄様はよく理解しているはずなのに、まったく緊張している様子はない。
「……お兄様、緊張なさらないんですか?」
「緊張? なぜ?」
不思議そうなお兄様に、私は八つ当たり気味に言った。
「だって、ノースフォア侯爵の現当主さまに、後継者として正式にお会いするんでしょう? 私なんて、ただのオマケなのに緊張して吐きそうですよ!」
「吐く? 大丈夫か、マリア。馬車を止めるか?」
まったくわかっていないお兄様に、私はため息をついた。
「いえ、乗り物酔いではないので大丈夫です。……お兄様こそ、ノースフォア侯爵様とお会いするのに、特に何も思われないのですか?」
お兄様は、私の言葉に少し考え込んだ。
「……まあ、確かに、思うところはある。ノースフォアの現当主の手腕は評価できるが、その人となりは好かぬ。あまり会いたい相手でないのは確かだ。だがまあ、向こうもこちらも、互いに利用できる点がある内は裏切らんだろう」
いや、そういう意味で聞いたわけじゃ……。
利用とか裏切るとか、殺伐としてるなあ……。
「……でも、今日は……、爵位継承のご挨拶と、それから、その……」
「ああ」
お兄様は嬉しそうに笑って私を見た。
「おまえとわたしの婚約が認められる」
「はい……」
お兄様が私の顎に手をかけ、顔を上向かせてキスしてきた。
「……っ、お、お兄様、そろそろ着きますよ」
「まだ大丈夫だ」
「や、ほんとにもう、ほら、門が見えてきました!」
巨大な鉄製の門扉に、馬係が待機しているのが窓からでもわかる。
「別に見られても」
「構います! すっごく構います!」
「マリア」
「お、お兄様、私の嫌がることはしないって」
「たしかに言ったが。……嫌なのか?」
お兄様が、ここぞとばかりに甘い声でささやきかけた。
お兄様、もともと無駄にフェロモンが多いと思っていたが、最近はさらにそれに磨きがかかったような気がする。
「わたしに口づけられるのは嫌か? マリア」
「そっ……、そういう問題ではなくてですね! あ、ああもう着きましたー、着きましたよお兄様!」
何とかお兄様を押しやり、私は息をついた。
最近は二人きりになると……いや、二人きりであろうがなかろうが、私と一緒だと、お兄様が周囲を気にせずイチャイチャしようとするから困る。
……困るというか、恥ずかしい。
私は息を整え、お兄様の手をとって馬車から降りた。
……そしてすぐ、回れ右して馬車に戻りたくなった。
使用人全員が勢ぞろいして私達を出迎えている向こうに、屋敷というよりもはや城と呼ぶほうがふさわしい、威容を誇る建造物が見えた。
背景に、どどーん! とか、ばーん! とかいう効果音がつきそうな屋敷、いや城だ。
ウチの屋敷も、広さだけはあるけど、それにしてもこのお城は……。
王都って土地も高いのに、よくこんな大きい建造物を建てられたな。
感心している私の手を引き、お兄様は、深々と頭を下げている家令に声をかけた。
「案内を頼む。ハーベル様の具合はどうだ」
「は、意識はございますが、起き上がることも難しく、医師は動かさぬほうがよいと」
「わかった。手短に済まそう」
……そうだった。
ノースフォア侯爵家現当主のハーベル様は、跡取りである息子を病気で失って以来、病がちとなり、近年は起き上がることもできないくらい病状が悪化しているのだ。
お兄様から見ると、祖母の兄の息子、つまりは従伯父にあたる方だが、お兄様がノースフォア侯爵家に入れば、義理の父親となる。
……お兄様、実の両親も、お兄様を育てた私の両親も共に亡くしている上、今回、義理の父親となる従伯父さえ、明日をも知れぬ病を患っているとか、どんだけ家族縁が無いんだ。
お兄様が、私やミルに過保護なくらい甘いのも、そうした家族縁の薄さが一因にあるのかもしれないなあ……。




