38.偽聖女の画策
「大変だったわねえ、マリア。怪我とかはしていないの、本当に?」
リリアの優しい言葉に、私は自然に笑顔になった。
「ううん、私は何とも。王太子殿下の親衛隊が、すぐにいらしてくださったし」
本日は、屋敷の私室に監禁……ではなく、保護された状態の私を気づかい、リリアが訪ねて来てくれたのだ。
ありがたい。友情がしみる。
最近、心がささくれてたから、美少女リリアに会うだけで心が癒される。
私はメイドを下げ、自分でリリアにお茶をいれた。
「お兄様のご活躍も聞いたわ。……ところで、その」
リリアが言いにくそうに、しかしどこか浮ついた調子で言った。
「レイフォールド様との婚約のお話、本当なの?」
「……あー……」
やっぱり来たか。
そうだよね、うん、私が逆の立場でも聞いてるだろうしね。
「その話、どれくらい広まってるの?」
「どれくらいって……、少なくとも、宮廷で知らない者はいないんじゃないかしら?」
つまり貴族で知らない者はいないってことですね!
宮廷に出仕している人みんなが知ってるなら、その家族親類友人、もれなく全員知ることになるだろうし!
テーブルに突っ伏した私に、リリアがおかしそうに言った。
「いやだ、恥ずかしがってるの? おめでたい話じゃない。レイフォールド様はノースフォア家を継がれるということだし、将来安泰ね」
そこまで知ってるのか!
私は貴族の情報網におののいた。
この分では、私の黒歴史である子どもの頃の夢日記の内容まで知られてるんじゃなかろうか、と私が絶望していると、
「マイヤー侯爵家とのお話をお断りされたと聞いた時は、不思議に思ったけれど。……あなたを相手にと思い定めていらっしゃったのね。いいわねえ、そんな一途に想っていただけるなんて。社交界は、あなたとレイフォールド様の、純愛の話でもちきりよ」
「えええ……」
純愛って。
私は、お兄様のこれまでの言動の数々を思い出し、遠い目になった。
言うこときかないと監禁するとか、氷漬けにして傍におくとか言われ、実際に馬車に監禁魔術をかけられるとか、純愛というより束縛系のヤバい匂いがぷんぷんするんですが。
しかし、こうも婚約の話が広まってしまうとは。
お兄様とちゃんと話もできていない状態で、外堀だけガンガン埋められてる気がする。
両親のこと、今回の襲撃事件や王家の思惑も考えると、お兄様との婚約以外、身を守る手段がないというのは、いかな私でも理解できる。
しかし、誰にも言うわけにはいかないが、お兄様はそもそも、私を殺すはずの存在だ。
小説とは違い、お兄様はずっと私を想っていて、私を守ると言ってくれた。
だが、それでももし、両親の時と同じように、お兄様に殺される未来がきたら?
私はあの夜、熱っぽく私を見つめていたお兄様の瞳を思い出した。
あの瞳が、私を見て嫌悪に歪むことを想像しただけで、胸が痛む。
怖いというより、悲しいのだ。
自分でも説明のつかない気持ちを持て余していて、きちんとお兄様と向き合えていない。
自分で自分に納得がいかない状態だ。
そしてもう一つ、納得いかないことがある。
目の前でにこにこ微笑むリリアが、一向に聖女の力に目覚める気配がないのだ。
小説の中では、リリアは学院卒業二、三ヶ月後に聖女となるはずだが、現実には卒業後三ヶ月が経過し、王都もそろそろ冬にさしかかっている今なお、リリアは相変わらず王妃付きの侍女として宮廷に出仕しているのだ。
王妃様の覚えもめでたく、将来は侍女長にと目されているらしい。さすがリリア!……というのは置いておいて。
「あの、リリア、最近、神殿に行ったりしてる?」
「神殿?」
リリアは怪訝な表情になった。
「そうねえ、毎朝、王妃様の付き添いとして、王宮の祈りの間を訪れているから、特別に神殿へ行くようなことはないわね」
「そっか……」
うん、まあ、そうだよね。
私だって、神殿に行くのは治療の仕事がある時くらいだったし。
リリアの場合、王宮に祈りの間があるんだから、改めて神殿に行く必要もないだろう。
しかし、偽聖女の私が、いつまでも聖女として崇められてたら、いくら私本人が否定していたと言っても、罪に問われる可能性は否定できない。
本物の聖女であるリリアには、なんとかして聖女の力に目覚めてもらわないと困るのだ。
「あの、良かったら、お休みの日とか時間のある時に、一度神殿を訪れてみるとか、どうかな……?」
「まあ、どうしたの、マリア?」
リリアがちょっと驚いたような表情になった。
うん、そうだよね。
私は別に敬虔な信者とかではないのに、いきなり神殿行きを勧めるなんて、どうしちゃったんだと思われるよね。
「えーと、たまにはほら、仕事の息抜きに神殿で祈ってみるとか……」
我ながら苦しい言い訳だ。
祈るだけなら、宮廷にある祈りの間で祈ればいいのに、なに言ってんだこいつと思われるだろうな……。
すると、リリアがすっと表情をあらためた。
「……マリア、もしかして聖女として、何か感じるものがあるの?」
「えっ」
リリアが沈痛な面持ちで、テーブルに置いた私の手を握りしめた。
「わたし……、宮廷に出仕して、すっかり変わってしまったわ。人の嫌なところをたくさん見て、うんざりしたけれど、それに抗うこともできなかった。そんな自分に失望したわ。……聖女として、こんなわたしを見て、……穢れていると、そう思われてもしかたないわ」
「えええっ!」
私は驚いてソファから飛び上がりそうになった。
なにを言ってるんだ。
リリアが穢れてるって言うなら、ほぼ全人類が穢れてるぞ!
「リ、リリア、そういうことじゃないの。あなたが穢れてるなんて、そんなこと絶対にあり得ないから。あなたは、清らかすぎるくらい清らかだから!」
力説する私に、リリアがきょとんとした。
「そう……、なの?」
「うん、そう! めちゃくちゃ清らか!」
なんたって本物の聖女さまだからね、リリアは!
しかし、失敗した。
神殿で、あの聖女鑑定を受ければ、リリアの聖女の力が発現すると思ったのだが、違う方法を考えたほうがいいだろうか。
小説の中では、リリアは王宮内に現れた魔物から王妃様を守ろうとして、聖女の力に目覚めるんだけど、現実にはそうした事件は起こっていない。
そりゃそーだ。
厳重に警備をしかれ、魔術的にも幾重にも結界を張り巡らされた王宮に、なんで突如として魔物が現れるんだ。現実的に考えて無理。
それに、いくらリリアが聖女といっても、魔物と相対させるなんて、そんな物騒なことさせられない。
もっと穏便な方法で、何か……。
「あ」
私はリリアを見た。
「リリア、あなた、たしか治癒の魔術が得意だったわよね?」
国立魔術院でのリリアは、すべてにおいて優等生だったが、中でも治癒の魔術が素晴らしかったと記憶している。
「え? ええ、そうね、どちらかと言えば、攻撃系より治癒や防御系の魔術のほうが得意だけど」
それがどうかした?と首を傾げるリリアの手を、私はがしっと握りしめた。
「リリア、あなたにお願いがあるの! どうか私の頼みをきいてちょうだい!」
「え、ええ……、わたしにできることなら、何でもするけど」
戸惑いながらも、素直にうなずくリリア。
リリア、優しすぎる。
そんなリリアにつけ込む私、まさに悪役の偽聖女。
でもこれは、お互い平和的未来へ進むための、必要なはかりごとなのだ。許してほしい




