33.お兄様の無茶ぶり
「……こちらのほうが近道だ。足元に気をつけろ」
お兄様に手を引かれ、通路から中庭に足を踏み入れた。
大広間からもれる灯りと月明りで、王家ご自慢の美しい中庭が幻想的に浮かび上がって見える。
だが、今の私はその美しさを素直に愛でることもできないほど、ぐちゃぐちゃの心理状態だった。
「……あんまりです」
私は、耐えきれず、ぽつりともらした。
「王家の方々からすれば、そりゃ私なんか、ゴミクズみたいな存在なんでしょうけど。でも、だからってこんなやり方……」
王妃殿下を優しそうだ、とか、王太子殿下が寛大でよかった、とか。
そんな能天気な感想を抱いていた自分を殴ってやりたい。
実際は、王家の方々は、私なんか手駒の一つとしか思っていなかったのだ。
私の両親を殺害したゼーゼマン家の手綱を取るために、聖女としての私を利用する。それくらいのこと、平気でできなければ、宮廷の頂点に君臨することなんかできないんだろう。それはわかるけど、でも。
「……王太子殿下は、おまえを気に入ったようだった」
お兄様がぽつりとつぶやいた。
「お兄様まで、やめて下さい」
私は惨めな気持ちで言った。
バカな自分が情けなくて、涙が出てくる。
「いくら私でも、そこまでバカじゃないです」
「本当のことだ」
お兄様は、つないだ私の手をぎゅっと握りしめた。
「あの方は、たしかに政治的に必要ならば、蛇蝎のごとく嫌っている令嬢であっても、顔色ひとつ変えることなく婚姻を結べるだろう。だが、それとは別に、殿下にも心はある」
「へえ、そうなんですか? 私の心は平気で踏みにじって下さいましたけど」
刺々しく言う私に、お兄様が苦笑した。
「……そういうおまえだから、政治的な理由とは別に、殿下はおまえを望まれたのだ。が、まあ、わたしもおまえを王家に渡すつもりはさらさらない。そこははっきりさせておいたから、心配はいらぬ。……だが、おまえも殿下にまんざらでもなかったのではないか?」
お兄様のあんまりな言葉に、私はとうとうこらえ切れずに涙をこぼした。
「マリア!?」
お兄様がぎょっとしたように私の顔をのぞき込んだ。
「どうした、なぜ泣く。どこか具合でも悪いのか?」
「なんでそんなことおっしゃるんですか」
私は泣きながら言った。
「私は……、ただ、王子様とお兄様が親しいのかと思って……、だから」
私はバカだ。
お兄様も王子様も、お互い腹を探りあって駆け引きをしていただけなのに。
自分が道具にされているのも知らず、のんきにお兄様の結婚について、お節介をやこうとしていた。
王子様もお兄様も、私のことをバカな操り人形くらいにしか思っていないというのに。
そりゃ、バカなのは当たってるけど。
でも、
「お兄様に……、道具としか、思われないのは、つらい、です」
「何を言って」
「私は、バカですけど、でも」
でも、お兄様の幸せを、心から願っているのに。
いつかお兄様に殺されるかもしれないと恐れながら、それでも私は。
「マリア」
お兄様の腕が私の腰に回り、強引に引き寄せられた。
顎をつかまれ、顔を上げさせられて、涙がこぼれ落ちる。
歪んだ視界に映るお兄様は、どこか苦しそうだった。
「マリア」
焦れたような、何かを乞うような声で、お兄様が私の名を呼んだ。
お兄様の顔が近づいてきて、私は訳もわからず目を閉じた。
次の瞬間、何かあたたかく柔らかいもので、唇をふさがれた。
「……っ」
驚いて声を出そうとしたのだが、できない。
目を開けると、超至近距離にお兄様の顔があった。
というか、口が触れている。
お兄様に唇をふさがれ、舌をからめられている。
なぜ舌が!?
お、お兄様の舌が! 私の舌が!
ていうか、息ができない! 死ぬ!
もがく私に、お兄様がようやく口づけを止めた。
……いやこれ、口づけだったの?
なんでお兄様が私に?
驚愕のあまり涙も引っ込んだ私に、お兄様がかすれた声で言った。
「おまえを道具と思ったことなど、一度もない」
夜目にも、お兄様の瞳が熱っぽく潤んでいるのがわかる。
「……ずっと、おまえが欲しかった」
言うなり、ふたたびお兄様が私に覆いかぶさり、激しく口づけてきた。
いやちょっと待って!
と言いたいのだが言えない。
貪るように口づけられ、息をするのもやっとだ。
お兄様の舌が、私の口内を好き勝手に蹂躙する。
舐られ、吸われ、背中に震えが走った。
ぴちゃっと舌をからめる音が耳を打ち、恥ずかしいのに抵抗できない。
体中から力が抜けて、私は立っていられず、その場にくずおれそうになった。
「マリア」
お兄様が、力の抜けた私の体を抱きしめ、ささやいた。
「おまえを誰にも渡したくない。わたしの妻になってくれ」
私はぱちぱちと瞬きし、お兄様の言葉を理解しようとした。
……つま。ツマ? それは妻……、いやまさかそんなはずは。
ぐるぐる考え出した私に、お兄様がため息をついた。
「もっと言わねばわからぬか? ―――わたしは、おまえの身も心も欲しい。毎晩ベッドでおまえを「ぅわあああああ!」
とんでもない事を言い出したお兄様に、私は大声を上げた。
「なななにを言い出すんですかこんなとこで!」
周囲に人影はないが、一応ここは王宮内。
どこで誰が聞いてるかもわからない場所で、なに平然と18禁なセリフを口にしようとしてるんだ!
「言わねばわからぬだろう。また妙な誤解をされるのはごめんだ」
お兄様は逃がさないと言わんばかりに、私の腰に腕を回した。
「返事は? マリア」
「いや急にそんなこと言われても……」
三秒前にいきなり求婚および口づけをして、さらに今すぐ返事しろとか、お兄様のデリカシーの無さがひどい。
「王太子殿下に気持ちはないのだろう?」
「それは……」
「あるのか?」
「ありませんよ!」
いきなり殺気を帯びたお兄様の目に、私は思わず大声を上げた。
「だいたい、王太子殿下が私に気があるとか、私もまんざらじゃなさそうだとか、そんなことおっしゃってたくせに、何なんですか!」
「あれは……」
お兄様が困ったように視線をさまよわせた。
「おまえは、殿下の傍にいても、嫌がっているようには見えなかった」
「そりゃまあ、きちんとエスコートしていただきましたし」
「話も弾んでいるようだった」
「お兄様のことを話してたんですけど」
「楽しそうに笑って、見つめ合っていた」
「お兄様」
私は呆れて言った。
「まさかとは思いますが、嫉妬してたんですか?」
「………………」
お兄様は、ごまかすように咳払いした。
「……とにかく、殿下に気持ちがないなら、わたしと結婚しても問題なかろう」
「消去法で結婚相手を決めるとか、ひどくないですか?」
お兄様を睨むと、はあ、と深いため息をつかれた。
「……では、こう考えてはどうだ? おまえは、王家に輿入れするつもりはないのだろう?」
「まったくありません!」
「だが、今のままでは王家からの申し入れを断るのは難しい。おまえは中央神殿の認めた聖女だが、それと同時に王家に忠誠を誓った貴族の子女でもある」
ぐい、とお兄様の腕の力が強まり、お兄様の顔がさらに近づいた。
作り物のように美しい顔に、私は反射的に横を向いて視線を逸らした。
「……だが、他の者と婚姻を結んでいれば、いかな王家といえど手出しはできぬ」
「だからお兄様と結婚しろって言うんですか?」
なんという最低なプロポーズだ。
王家もひどいが、お兄様もひどい。
どいつもこいつも、私を何だと思ってるんだ。
せめてウソでも、もうちょっとこう……、いや別に、お兄様にロマンチックなプロポーズしてほしいとか、そんなこと思ってるわけじゃないけど!




