16.お兄様が最終形態に進化してしまいました
ミルが学院に入学してしまったため、帰省時はお兄様と二人きりの時間が増えた。
つまりは、叱られる時間が増えたということなのだが、今回ばかりは大丈夫。
組紐の賄賂効果は、驚くほど絶大だった。
さっきまで目をつり上げて怒ってたのがウソのように、お兄様の表情が柔らかい。
いつも眼光鋭く睨みつけてくる視線が、甘く蕩けている。
まさか、組紐ひとつでこんなに態度が変わるとは。
もっと前に買っておけばよかった。
お兄様はソファにゆったりと寛いで座り、かすかに微笑んで私を見ている。
怒っていても美形だと思っていたが、機嫌のよい美形とは、こんなにも美しいものなのか。
なんか瞳もきらきら輝いてるし、思わずひれ伏したくなるレベルの麗しさだ。
お兄様は闇の伯爵なんて言われてるけど、こうしてると光の王子って感じ。
「お土産なんですけど、ミルの分も買ってきたんです。お兄様からミルに渡していただけますか?」
「ああ、わかった。……おまえの髪の、それもフォールの街で買ったのか?」
あ、気づいてたのか。
丸刈りにでもしない限り、女性の髪型に注意を向けることなどない人だと思ってたんだけど。
それとも、よっぽどこの組紐が気に入ったのかな。
私はちょっと横を向いて、組紐がよく見えるようにした。
今日は髪をハーフアップにして、組紐を花のような形で結んである。
実はこの組紐、ラッシュに買ってもらったのだ。
お兄様とミルの分を買ってる間に購入してくれたらしい。
「マリーさんには、淡い色が似合うと思って」と、ちょっと赤くなりながら淡い緑色の平紐を渡してくれたのだ。
なんというイケメン! 惚れてしまいそう!
「これも同じ店で買いました。あ、いえ、買ったのは私じゃないんですけど」
「……なんだと?」
買ってもらった時のことを思い出し、私はニヤニヤしてしまった。
ラッシュは、ほんとに素晴らしい騎士道精神の持ち主だ。
その後のエスコートも完璧だったし。
「向こうで知り合った騎士様に買ってもらったんです。ほら、フォール地方に新しく砦ができたでしょ? そこに常駐してる騎士……」
言いかけて、私は急激に冷えた室温に気づき、お兄様のほうに顔を向けた。
そこに悪鬼がいた。
「……お、おに……? え、どう……」
「……騎士?」
これぞ血まみれの闇伯爵、と言いたくなるような、背景に雷雲を背負ったお兄様の様子に、私は息を飲んだ。
えっ? なんで今この段階で、お兄様が小説最終形態に進化しちゃってるの?
私が殺されるにしても、まだあと半年は猶予があったはずだよね?
「……先週末」
お兄様がドスのきいた声で言った。
「その、騎士とやらと一緒に、おまえは街に行ったのか?」
「えっ? えええ……、ああ、ええ……、その……」
「なぜ答えぬ」
お兄様は立ち上がり、ゆっくりと私の座るソファに近づいた。
ソファの肘掛け部分に手を置き、私の顔を覗き込む。
切れ長の黒い瞳が、射抜くように私を見た。
「答えられないようなことを、していたのか?」
「いえっ! なになになにをおっしゃいますことやら! なんでもお答えしますとも!」
だから拷問はやめて!
ていうか、なぜ闇の伯爵モードになってるんですかお兄様!
さっきまでは光の王子モードだったのにー!




