第99話 あなたが見た、絶望の先へ行きましょう!
「なぜ来た。どうせ昼には皇帝陛下だ。『楽園』観光なんぞ、それからでよかろう」
吐き捨てるみたいな、ルビンの言葉。
フィニスが前に出る。
「なぜ今まで来なかった、と言いたいんじゃないのか? わたしはお前の手を拒否したから」
そっか。
そうなんだ。
フィニスがルビンの手を取ったのは、夢の中だけ。
このときは違うんだ。
ルビンは険しい顔のまま言う。
「俺と組めば、『天書』研究に金を食われる。貴様は世界の構造解析なんぞ縮小し、『楽園』を実用魔法開発に特化させたい――そうだろう? だから俺の手を取れんのだ。実に合理的だなあ、フィニス?『一見』合理的だ。……貴様には、一切、魔道士の視界がない。だからそんなことを言える」
言ってることもきちんとしている……。
ルビンって大人だったんだね。ちょっと感心した。
このルビンは古着じゃ仲間になりそうにない。
私はフィニスを見上げた。
フィニスは、私を見なかった。
美しい金目で、じっとルビンを見ていた。
「そうだな。わたしも、そう思いたかった」
「思いたかった? なんだ今さら。言い訳なら聞く耳持たんぞ。貴様は哀れな男だ。なにひとつ見ようとしない。なにひとつ知ろうとしない。盲目のまま死ぬ。……そこまで完璧な金眼を持っていて、なぜ、そこまで無知でいられる……?」
ルビンの顔がゆがむ。
ルビンの青い目がきらっと光ったのを、私は見た。
そういえば、ルビン、いつか言ってたっけ。自分にもちょっとだけ金眼がある、って。
金眼。それは、『天書』に繋がる目。世界のすべてが見えてしまう、真実の瞳。
「多分、怖かったんだろう」
ぽつり、とフィニスが言う。
ルビンはせせら笑った。
「怖かった? 何がだ」
「すべてを見てしまうことが、怖かった。わたしはお前の死を知っている」
「……なに?」
ルビンが眉をよせる。
フィニスは静かに、ルビンを指さした。
「十の、百の、千の、それよりも山ほどの、お前の死を知っている。子どもの頃に押しこめられた、あの屋敷で死んでしまうことすらあった。わたしがかくまわなければ、お前は井戸に身を投げていた」
「フィニス、お前……?」
「わたしは――」
フィニスは言い、ふと、手を下ろした。
よく光る金の瞳を閉じて、続ける。
「わたしは、怖くて。そして、めんどうだった。自分が上手く立ち回らねば人が死に、上手く立ち回っても人は死ぬ。そんなものが魔法の才能だなんて、思いもしなかった。だから、必死に見ないようにしていた。そればかりに夢中で……お前の気持ちを考えたことなど、なかったな」
「っ……!! 本当か、フィニス!! 本当に見えていたのか、全部!!」
ルビンがずかずかと近づいてきて、フィニスの両肩をつかむ。
フィニスは目を開け、静かにルビンを見た。
「見えている。そして、世界の果ても見てきた。この世界が終わるところを、彼女と共に。お前も勘づいていたんだろう、ルビン?」
ルビンは言葉につまり、何度も私とフィニスを見比べる。
「本当か? だったらなんであそこまで検査に引っかからなかった!? どれだけ受け流してたんだ、おい!! しかも、どうしてそっちの女が関わってくる、そいつはただの人間だろうが!!」
あ、はい。確かにただの人間です。
すごーく諦めが悪くて、すごーくフィニスに萌えてるだけの、人間です。
声に出すことはできず、私は息をひそめる。
ルビンは怒りで歯を食いしばった。
目の中で、ぱちぱちと金の火花が散る。
「生きてこの世界の果てを見られるのは、この世で、貴様と俺だけだ!!」
ルビンは叫んだ。
……うん。そのはず、だったんだね。
ルビンはちっちゃいころから、フィニスの力がなんとなーくわかってたんだ。
金眼のせいで、この世界の終わりのことも、なんとなーくわかってた。
だから、フィニスに執着したんだ。
同じ絶望が見えるかもしれない、フィニスに。
フィニスは、ルビンの手にそっと自分の手をのせる。
「あのとき、君だけをここへ行かせてすまなかった。やっと、追いついた」
「フィニス」
ルビンの声が震えている。
一度も聞いたことのない声だった。
フィニスはその金眼に、今ここにいるルビンだけを映して言う。
「ここからは共に行こう。君にだけ未来を見せたりしない」
ルビンの目から、ぼろっ、と、すごい大粒の涙がこぼれた。
「…………本当に、見えたんだな」
ぼろっぼろ涙をこぼしつつも、真剣な顔でルビンが言う。
フィニスはうなずく。
「ああ。果ての無い白い花園だ」
「そうだ。そこに、うつくしい光がさす」
「炎が燃え上がって」
「光がやってくる。すべてを呑みこむ光が」
「あの光が滅びの合図だ。だが、変えられる。あの光の先へ行くようにと、神は告げた」
フィニスは告げ、とんとんとルビンの手を叩く。
ルビンはうなり声を上げて、フィニスから手を放した。
「…………信じるしかあるまい」
フィニスは静かに笑った。
「間に合ったようで何よりだ。実際に未来を変えるのは彼女だ。『天書』を見せてくれるか?」
「見せるのは構わん。どうせ皇妃にも数時間後には見せるはずのものだしな。しかし、人間が未来を変えるというのは、どうする気だ?」
ルビンは疑うように私を見てる。
私はやっと口を開いた。
「天書の中に手をつっこんで、核を取り出すだけ。神さまはそう言ってました」
「天書に、手を、つっこむ!!!???」
声デカッ!!
私はよろめき、フィニスは眉根を寄せる。
「不可能なのか?」
「ばっか、可能だの不可能だのという次元の問題ではない!! 天書というのはな、この世のすべてだ。直接触れたら膨大な情報が流れこみ、入り交じってしまう。つまり、世界中の人間の記憶が流れこんでおかしくなるし、人の形も保てんぞ。そうならんように情報を引き出すのがどれだけ大変だったか……事故で何人魔道士が死んだと思っている!?」
ルビンはまくしたて、びっ、と塔の壁を指さした。
あっ。あっ……。
やたらと人間が埋まってる彫刻が多いなーって思ってたの……。
まさかの、そういうことでした!!??
わ、わぁーーーーぉ。
知りたくなかった……知りたくなかったわ……。
「セレーナ」
フィニスが声をかけてくる。
心配されてるね。そりゃそうか。
私は無理矢理笑顔になろうとして、やめた。
これから死ぬかもしれないのに、取り繕っても仕方ない。
私はぺちん、と両頬を叩き、フィニスを見上げる。
「……でも、やらなかったらみんなで死んで、またもう一回、になるんですよね? 次の回にみんなが生きてるかもわからないし、フィニスさまはまた辛い思いをする」
「辛い思いはどうでもいいが、次もはっきり君のことを覚えていられるかはわからない」
「ですよね。だったらやります。今『天書』に取りこまれて死んだって、たった数時間の差だもん」
私はきっぱりと言った。
フィニスは少し、肩を落としたみたいだ。
「セレーナ。君は、そう言うと思った」
「フィニスさま。――その」
フィニスにお願いがひとつだけあるんだけど、えーと、その。
口にするのははばかられるな……。
言わないままで、通じるかなあ。
不安になりつつ、私は、じーっとフィニスを見上げてみる。
フィニスはゆっくりまばたきすると、私の腰を抱いた。
ふわ、と、フィニスの唇が額に触れる。
あー……そっかー。
額かー。
ちょっと安心したような、残念なような気持ち。
でも、構いません。
あとは戻って来てから、ですね。
「よしっ、がんばります!!」
私は気合いを入れた。
「頼りにしている」
フィニスは言い、私の手を握ってくれる。
ルビンは、難しい顔で私たちを見た。
「いいのか、それで。というか貴様ら、どのへんが政略結婚だ? 見るからに出来上がりきってるぞ。そんなんだったら、ここで危険な賭けに出るよりは、終わりがくるまでの数時間抱き合ってるほうがよくないか?」
「すごい、ルビンから人間的な意見が出た」
私がびっくりすると、ルビンは叫ぶ。
「俺は、最初から最後まで人間だが!!」
フィニスはかすかに笑った。
「そうだな。でも、彼女は誰にも止められない。どこまでも走って行く人だ。わたしは何がどうなろうと、彼女を抱きしめるから、それでいい。今このときも、抱きしめてるようなものだ」
穏やかな声で語られる愛は、温かくて、強い。
フィニスが、軽く指先に口づけてくれる。
宿った温かみをにぎりしめ、私は言う。
「フィニスさま。私、本当に、あなたのことを好きでよかったです」
「セレーナ、行っておいで。そして、帰ってくるんだ」
「はい!!」
元気に答えて、ルビンを見上げる。
ルビンは腕を組み、ため息を吐いた。
「仕方有るまい。俺も貴様らに賭けよう。――開け、天門!!」
ルビンの命令により、音もなく両開きの扉が開く。
扉の向こうから、朝の光がこぼれてくる。
お椀を伏せた形の、円い部屋。
真ん中の円い台座の上に輝く、一抱えもの宝石。
あれが、『天書』だ。
ルビンは腹に力をこめて言う。
「これより『天書』を解体する!!」




