第97話 今から、ただの公爵令嬢に戻ります!
「……はっ。あ、戻りました?」
私は目をぱちくりする。
視界が急に薄暗い。
あわてて辺りをきょろつくと、見覚えのある室内だ。寝椅子。ついたて。扉。窓の外に星空。
私がまとうのは、フランカルディ家が全力でがんばりきった豪華ドレス。
目の前には――美しい礼服のフィニス。
あんまりにもあっけないけど。
でも、確かに、これは『前回』だ。
炎に包まれる直前の夜、そのものだ。
「フィニスさま。私たち、戻った、んですよね?『前回』に」
おそるおそる聞く私。
フィニスは私を見ている。
ぴくりもしない。
「………………」
……えっ、嘘。
まさか、まさかだけど、何か手違い起こってます?
フィニス、神さまとシロのこと忘れたりしました!?
「あの……」
「………………すまない。久しぶりの前回版の君が美しすぎて、語彙と意識が死んだ」
フィニスははっとすると、革手袋の指で自分の眉間をつまんだ。
私は思いっきり脱力する。
「はーーーーーっ、びっくりした!! 今、本気でびっくりしたから! びっくりしすぎて死ぬところだったから!! その世にも美しい顔でぼーっとするの、時と場合を選んでくださいね!?」
「すまない。しかし、やばいくらい腰細いな。そんなだったか?」
「普通のご令嬢の腰はこんなもんです。このときは、あなたのために小さいころから補正下着やってたんです。夢の中とは完全に内臓の位置違うと思いますよ? お腹開けたらびっくりしますから」
「開けない。開けたくない。すごい。やばい。努力が尊い」
フィニスの語彙は死に、真剣に私を拝みだした。
私は寝椅子から下りる。
「そこは拝まなくていいんで……。えーっと、それにしてもいきなり戻されたな。今何時です?」
「ちょうど真夜中だな。初冬の月、三日になったばかりだ」
フィニスは我に返って、柱時計を見る。
私はうなずいた。
「なるほど。……ん? で、あの『光』がやってくるのが?」
「戴冠の儀式は一番光が強い真昼に行われた。となると、我々に天書解体のために残された時間は、ぴったり半日」
「短ッ!! ハイヒールとか履いてる場合じゃない!!」
私は叫び、ハイヒールを脱いで放り投げた。
扉に向かおうとすると、フィニスが前に出る。
私を後ろにかばい、ドアノブに手をかけて、そっと押す。
――うん。
廊下には、誰もいない。
炎もない。
私たちはほっとして、大急ぎで廊下を渡った。
「『楽園』までの足はどうします? 行くの、私たちだけでいいですよね?」
私は囁きかける。
フィニスはまっすぐ前を見て言う。
「最低限は連れて行こう。今回はまだ東部辺境に屍人は出ていない。護衛の半分は黒狼騎士団を連れてきている」
「そうだった! え。っていうことは……」
そこまで言ったところで、外に出た。
ぱちぱちという炎の音。かがり火がたくさん燃えている。
小さな屋敷の外には、いくつものきらびやかな天幕。
まるでお祭りか、戦争みたい。
「で、どうせあいつらはこのへんだな」
フィニスはつぶやき、手近な天幕の入り口をめくる。
途端に、ザクトの叫びで耳がきーんとした。
「だからーーーーーー!! どうして従者から始めてここまで頑張ってきて、団長を、女に!! よりによって、女なんかに取られなきゃならないわけなの!?」
「あー、はいはいはい、何千回目の愚痴だ、それ? 別に誰も取っちゃいませんよ……って、あ」
めんどくさそうに言って顔を上げたのは、トラバント。
夢の中での最後のあたりを思い出すと、ぐっ、と喉の奥に何かがつまる。
トラバントとザクトは、私たちを見てびっくりしたようだった。
「えっ、あっ、あれ!? な、ななななんでここにいるんですか、団長!!」
ザクトは顔を真っ赤にして叫び、トラバントはすっとザクトの前に出る。
「姫君、どうされました。ここはむさ苦しいところです。冬のもっとも澄んだ朝を削り出したかのような姫の瞳、そこに映る価値のあるものは何ひとつございません」
と……トラバントの!! 私向けの!! 美辞麗句だ!!!!
っていうか!!
「ひ、姫君!!?? 私が!? あっ、はい。いえ、姫ですね、はい」
「……?」
トラバントは思いっきり微妙な顔になった。
ごめん。トラバントの姫君対応、あんまりにもレアだったんだもんだから。
「あのぉ……団長。何かあったんですか? 何もないんなら、明日も早いし、寝た方が」
トラバントのうしろからザクトが言う。
フィニスは静かに告げた。
「今すぐ出る。『楽園』へ行かなければ」
「へえ? い、今すぐぅ!? なんでです、ふつーに急げば明日中には着けますよ? 戴冠とか、け、結婚とかで気が急くのは、よーーーーくわかりますけど!!」
結婚っていう単語だけで赤くなるザクト、あまりにも可愛いな。
ここにフローリンデがいたら大変だな。
そういえば、今回のフローリンデはおとなしい文学少女なんだっけ。
でもきっと、裏で全三十巻の小説書いてるのは同じ気がする。
すべてが終わったら、きっとフローリンデにも会いに行こう。
そのためにも、今は走らなきゃ。
私は、フィニスを見上げた。
フィニスは小さくうなずいてくれる。
「――トラバント、ザクト。私たち、未来を変えないといけないの」
私はあらためて、切り出した。
二人の目が丸くなる。
「はあ? あ……こほん。僕らのような者の名前まで覚えて頂き光栄ですが、まあ、今出発しようが朝出発しようが、未来は変わるんじゃないですか? 結婚は逃げません」
礼儀正しく微笑むトラバントを、私は見つめた。
「違うの。私たちは、トラバントが大嫌いな人殺しを頑張ったり、語彙力の足りないフィニスさまのために美辞麗句を考えたりする未来じゃなく、フィニスさまの横でのんびり宮廷詩人をやれる未来を作るの」
「は……はああああああ!? ちょ、フィニスさま!! なんで口説き文句が僕の入れ知恵だってバラしたんですか!? しかも、宮廷詩人ってなんですかそれは、なんなんですか!?」
ううーーーー、懐かしいな、この叫び!!
うっ、なんか、じわっと涙が出ちゃった。
フィニスも優しく笑う。
「お前がやりたければ、宰相でもいいぞ」
口説くみたいな甘い声だ。
トラバントは真っ青になって、フィニスに詰め寄る。
「……意味がわかりません。どうしたんです、さすがにこの冗談は趣味が悪すぎますよ。あなた、『楽園』に着いたら黒狼騎士団のことは一切重用しないって言い切りましたよね? 後援者と、そういう取り決めになったって!!」
そっか、前回はそうだったんだ。
確かに、皇帝暗殺がなくて、屍人も出てない世界だもんね。
フィニスも私と結婚しなきゃ皇帝になれないくらいだし、色々しがらみがあるんだろう。
フィニスはトラバントの心臓をノックするみたいに、彼の胸に拳を当てた。
「そんなもの、すべてひっくり返せるくらいの奇跡を起こす」
いつもの美声に熱が乗る。
トラバントは言葉をなくした。
その後ろから、目をキラキラさせたザクトが出てくる。
「団長!! っていうかフィニスさま、そうしたら、俺は!?」
「お前はどうなりたい? 黒狼騎士団の、次の団長になるか?」
「えーーーーーーーっ!? フィニスさま……俺……!!」
ザクトは奇声を上げ、そのまま固まってしまう。
なんだろう、もう、ほんと、涙出そう。
私はザクトに言う。
「……よかったね、ザクト。あなたならきっと、道を間違わない。まっすぐな道を作っていけるし、みんながザクトを助けてくれるよ。いつかフィニスさまに作ってあげた水餃子、今度私にも食べさせてね」
「え、あ、はい!! って、フィニスさま、そんな話、お姫さま相手にしたんですか!? っていうかあれのこと、覚えててくださったんですね……」
うっとりキラキラするザクト。
フィニスはちょっと目をそらした。
「……うん、まあ」
うん、まあ、ね。
覚えていた、というか、ね。
夢の中で、思い出したんだよねえ。
私は咳払いした。
「えー、そういうことで、運命をひっくり返すために、私たちは『楽園』に行かなくちゃならない。一刻を争うの。ザクト、ジークは来てる?」
「うわー、お姫さま、めちゃめちゃ騎士団の名前覚えてますね! 嬉しいな。ジーク、来てますよ。隣の天幕です」
「よかった! だったらジークの予備の軍服、私に貸して! あの大きさならぎりぎり着れる。馬を飛ばすのに横座りじゃ無理だから」
「えっ、あなたが軍服着るんですか!? 馬にも乗るの!?」
ザクトはびっくりして叫ぶ。
私は深くうなずいた。
「軍服着るよ、慣れてるよ。なんなら毎日着てもいいくらいだよ。お願い、ザクト」
「わ、わかりました! とにかく聞いてきます!」
ザクトはすぐに隣の天幕へ行ってくれた。
トラバントは、私とフィニスを見比べる。
「姫君も一緒でなくてはダメですか、フィニスさま? 女性に早馬は堪えますよ」
「彼女が行かないと話にならない。馬よりも狼を出せ。『楽園』までなら馬より早い」
「狼は無理です!! あれはひとを選ぶし、乗るのに訓練もいる。危険すぎますよ、知ってるでしょう」
うんうん、そういう話になるよね。
話し合う二人を置いて、私はそーっと天幕の外に顔を出す。
「ムギ~~~。ジークがいるなら来てるよね、ムギ。聞こえたら、こっちに来て」
小声で呼んで、しばらく待つ。
やがて、闇の中から音もなく黒い狼が現れた。
黒狼にしてはちょっと小柄で美しいムギ。
私はしゃがみこみ、両手を広げる。
「ムギ、こんばんは。怖くないよ。私、ムギのことを知っているの。黒狼騎士団のことも、黒狼のことも。一緒に戦場に行ったこともあるんだ。よければ本当かどうか、私の心を読んでみて」
ムギは数歩離れたところで立ち止まり、じっと私を見ていた。
ムギには人や魔法生物の心を読む力がある。
心で嘘は吐けない。
だから、きっとわかってくれる。
私は目を閉じて、今までの思い出をひとつひとつ思い出した。
人間たちがどんなにギスギスしていても、黒狼たちはいつも優しかった。
戦うためだけに改良されたのに、少しも私たちを恨まなかった。
騎士団のひとたちが結局素朴で優しいのは、あなたたちのおかげだったのかも。
ぺしょり、と濡れたものが額に触る。
目を開けると、ムギが目の前にいた。
濡れた鼻で私の額の、あちこちの匂いをかぎ、頭をすりつけてくる。
「信じてくれた? ありがと。好きだよ、ムギ。――あ、みんなも。久しぶりだね、ヨルと、ロカイと、ハナ!」
ムギがなつくと、あっという間に他の狼たちも寄ってきた。
ちょうどそのとき、フィニスとトラバントが天幕から出てくる。
「……信じられない」
狼たちに猛烈に歓迎される私を見下ろし、トラバントがつぶやく。
フィニスはちょっと自慢げに言った。
「大丈夫そうだろう?」
「フィニスさま。あなた、一体何者と結婚しようっていうんです?」
「伝説かな。もしくは、ただの十六歳の女の子」
フィニスの声はやわらかい。
トラバントはそんな彼を見て、心を決めたみたいだった。
すっと表情を変えて言う。
「……いいでしょう。最速で出ます」




