第90話 東部辺境は今日も胃が痛いです。
「……あ。誰かに胃だけ労られた気がする」
「何か言ったか、トラバント?」
殺気立った声。
黒狼騎士団本部団長執務室は、実に暗~い雰囲気だった。
「いえ。明瞭すぎるだけの寝言です」
僕は突っ立ったまま答える。
新しい司令官閣下は、いらいらと執務机を殴りつけた。
「ほう。この状況で寝言を言う余裕があるとは、さすが黒狼騎士団だな……とでも言ってほしいのか? ええ!?」
はーーーーーーー。
あー、めんどくさい。
めんどくさい。めんどくさい。大変とってもものすごーーーーく、めんどくさい。
新司令官閣下、ジュモー伯オレール・シリル・マルモンさまとやらは、赴任早々、言うことを聞かない騎士団にバチギレしていらっしゃる。
「いいか!! 貴様らはなんのためにここにいる!? 帝都を、『楽園』を守るため、戦うためであろうが!! それが『戦いたくなぁ~い』とは、一体どういうことだ!?」
「えー、戦いたくないとは申しておりません。『その作戦では無理です』と申し上げております」
「馬鹿者が!! やりもしないうちから何がわかる!! 死ね!! 戦わない騎士なんぞ、全員死んでしまえ!!」
言われなくても、みんな死ぬと思いますよ。
あなたが司令官やってるかぎりはね。
僕はぼけーっと壁の団旗を見つめた。
大体予想はついてたんだ、こうなるの。
ここは最前線だ。命のやりとりをする人間ってのは、同類しか信じない。
十代からここにいたフィニスの代わりにするなら、せめて帝都で最高の軍人をよこさなきゃいけなかったんです。だけど実際には、『まあ、こいつなら死んでもいーや』級の人材が来た。
ばーかばーか。
「いいか、トラバント。プルト伯にいかに寵愛されていたかは知らんが、わたしは君の実力だけを見る。騎士団を動かすのは、君の仕事だ」
「はあ」
「返事!!」
「はい」
よし。心は決まった。
僕はオレールを見つめ、深く一礼した。
「『とにかく死ぬ気でやれ、それが勝利に繋がる』との閣下のお言葉、この粗末な心臓で重く受け止めさせていただきました。数限りない敵の足音に東方の大地すら怖気あがろうと、我々黒狼騎士団の心臓は勝利の道程を行く足音のごとく、オレールさまの指揮のもと、悠々と鼓動を刻むことでしょう。この地にオレールさまの武勲が鳴り響き、永遠に語り継がれるよう、僕も尽力いたします」
「おお、やっとやる気になったな」
オレールはほっとしたように笑った。
僕はオレールと軽く打ち合わせしたのち、執務室を出る。
冷えた廊下で、盟約者のシュゼが待っていた。
「トラバント」
僕の名前だけ呼んでついてくる。
僕と新司令官閣下と、今後の騎士団を気にしているんだろう。
僕は歩きながら言った。
「司令官閣下が出撃されますよ」
「俺も行くか」
短い問い。
僕は足を止めて、シュゼをにらむ。
「あなたは行くな」
「なるほど?」
シュゼは答えた。
それだけのやりとりだけど、僕の意図は伝わったはずだ。
彼には生き残ってもらわないといけない。もちろん他の騎士たちも。
ここに無駄に死んでいい騎士はひとりもいない。
と、本部内にけたたましいラッパの音が響いた。
「トラバントさまーーーー!!」
見張り係が駆けてくる。
僕は聞いた。
「敵の構成と数」
「本部第三見張り塔よりほぼ正面、距離千ローカチに、カグターニの一隊。軽武装騎士四十ほど、歩兵百弱。さらに十倍ほどの死者を連れて来ました、が」
「数的には大したこともないですね。で?」
見張り係は、ごくりと唾を呑む。
「死者たちは……途中でカグターニの一隊を食いました」
「なるほど?」
やだなー、制御されてないバケモノ。
僕は、見張り係とシュゼと共に見張り塔に出た。
寒風がびょうびょうと音を立てて吹いている。
僕は髪を押さえて目をこらした。
東部辺境の深い森は、大軍の行軍には向かない。
そのはずなのに、暗い緑のあちこちで、きら、きらと槍の穂が光る。
「これが千人か?」
シュゼが言う。
確かに、もっと多く見える。
「食った一隊も加わっていそうですが、そういう問題じゃないですね。森で死んだ死者たちも巻きこんで増えてるのかも。こんなもんに突っこむのは命の無駄だ」
「籠城して魔道士を待ったほうがマシだな」
淡々と言うシュゼ。
僕は目を細める。
「――そういうわけにもいかないでしょう。司令官閣下は出たがっています」
「おい」
シュゼがちらと僕をにらんだ。
僕は肩をすくめて、見張り係を手招きする。
「耳を貸せ」
「はい。――は」
「伝えてこい。城門係と、黒狼騎士だけにだ」
「はい!!」
見張り係は駆けていく。
シュゼの視線を感じつつ、僕もあとに続いた。
□■□
「――であるからして、これは輝かしい、東方での我が武勲の始まりである!! 出撃!! わたしに続け!!」
………………。
…………あ、やっと終わった。
オレール、話が長い。敵がそのへんにいるのに、前置きが長い。
僕はあくびをかみ殺して叫ぶ。
「開門!!」
「開門いたします!!」
ぎりぎりぎりと落とし格子が引き上げられ、両開きの扉が開く。
さらに跳ね橋が下りると、どっと騎士たちが吐き出されていった。
先頭は、オレールが連れてきた私兵たち。
黒狼騎士団は信用できないから、身の回りは私兵で固めたというわけだ。
思った通りのやり口。
「これは名誉ある戦いであることを忘れるな!! 騎士団の名に恥じぬ勇気を見せよ! 全軍、突撃!!」
いかにも目立つ金細工の鎧をまとい、オレールは叫ぶ。
私兵たちは旗を突き上げて叫び、彼と共に征く。
「いきなり飛ばしてるな」
つぶやくシュゼ。
僕とシュゼは、城壁の上で状況を見守っていた。
「そりゃあもう、足の速い馬を連れてきてましたからねえ。山やら森やらばっかりの土地だってのに」
僕はつぶやく。
オレールと私兵たちは森に向かって駆けていく。
ここからだと、陣形がどんどん間延びしていくのがわかる。
オレール隊が森にさしかかる。
――そして。
馬の悲鳴が響いた。
「……死人か」
顔をしかめるシュゼ。
僕はうなずく。
「やっぱり、森の中で増えてるみたいですね」
僕の狼が、そっと僕に体をすりつける。
のびのびになったオレールの隊が、死者の軍勢に食い破られていくのが見える。
オレールはおそらく、元気に叫んでいるだろう。
「これが外法か!! ひるむな、死者など恐るるに足らん!!」
――とかね。
一方、オレールにおいていかれ気味だった黒狼騎士団は、というと。
「咆吼!!!!」
ザクトの声が遠く聞こえた。
直後、黒狼たちが壮絶な咆吼を放つ。
ぐるるるるる、おおおおーーーーん!!!!
大気がびりびり震える。
城内の狼も、応えるように吠え猛る。
黒狼たちの咆吼はどこまでも響き渡り、オレールたちの馬がおののくのが見えた。
同時に、死者たちも大きく退く。
「ふむ。やはり魔法動物と外法は相性が悪そうですね。魔法動物は神が直接作り上げたもの。外法は神の技を盗み取ったもの。ま、ただの古文書知識ですが」
危なくなったら狼の咆吼を使うように言っておいたのは、僕だ。
辺境で見つかる古文書は、ヤキュウとかのろくでもないもの以外にも色々ある。
オレールはオレールで喜んだんだろう。
どうやら再突撃の命令をかけているみたいだ。
……でも。
「よぉし!! 黒狼騎士団、全軍、この隙に、逃げろ!!」
ザクトの命令のもと、黒狼騎士団は全力で逃げ始めた。
『オレールが充分に突出したら、狼を吠えさせて、あとは全速力で戻ってくるように』
これも僕の命令通り。
あのオレールと僕なら、騎士団は僕を選ぶ。
そういうことです。
ほどなく、すさまじい速度で騎士団が城門内に逃げこむ。
「門を閉めろ!!」
僕の合図とほとんど同時に、城門の落とし格子が落ちた。
「貴様……!! 貴様、自分が何をしたのかわかっているのか!? この……!!!!」
オレールは多分、こんな感じで叫んでいるだろう。
けどまあ、聞こえないし。
彼の姿は、あっという間に死者の軍勢で見えなくなった。
「一応申し訳ないとは思ってるんですけど。実戦で鍛えあげられた帝国一の騎士団を、ここで潰されるわけにはいかないんですよねぇ」
僕は淡々とつぶやく。
シュゼはちらりと僕を見た。
「――フィニス団長が帰ってくるまでは、持たせなければな」
「やめてくれません? 今その名前出すの。なんかイラッとします」
僕が言い返すと、シュゼの大きな手が頭に乗っかる。
それだけで何も言わず、シュゼは城内に戻っていった。
「……くっそ。どいつもこいつも」
僕は頭を手で払い、シュゼの後を追う。
集中しろ、僕。邪魔な新司令官閣下は消した。このあとは死人相手の籠城戦だ。
……あんまり長く保つと思われても困りますよ、フィニスさま。




