第89話 運命の場所での、二度目の夜です
「うーん。今のとこ、怪しいところは特になし、か」
家の点検を終え、私はうなる。
私の隣でフィニスの黒狼、ロカイもうなる。
ロカイの鼻でも、この家から怪しいものは見つけられなかった。
背後では、楽園守護騎士団のリヒトがため息を吐いた。
「我々がとっくに調査済みですもん、そんなもの。いいですか? あなたの役割はねえ、フィニスさまとお茶を飲むことです。今頃きっとさみしくて泣いてますよ」
私は廊下の隅にしゃがんだまま、リヒトを見上げた。
「リヒト。リヒトはフィニスのこと殺したい?」
「はあああ!? なんでいきなり僕のこと陥れようとしてくるの!? どうせどんな返事しても『謀反の気配あり』って言ってぶっ殺しにかかるやつでしょ、それ!?」
あ、リヒト、元の口調に戻ったな。
そっちのほうが似合うよ、と思いつつ、私は首を振った。
「違う違う!! 完全にそのままの意味だよ、殺意を聞いてるの」
「それも怖いよ!! なんだって僕がフィニスさまのこと殺すわけ? そりゃ、相変わらず田舎もんだなーとは思うけど……あっ、だめだこれ以上は殺される拷問だ八つ裂きだ」
「安心してってば。また私に手を出すとかがなきゃ大丈夫だって、多分」
「その『多分』が怪しいんだよな……。とにかく、選帝侯が完全にフィニスさま推しなんだから逆らう気はないよ。そんなのダサいでしょ。むしろフィニスさま、色々うるさいこと言わずに任せてくれるし、たまに目が合うとドキドキするし、いつかほんのちょっとでもいいから笑いかけてくれないかな……くらいには思ってるよ」
あ、なるほど。これはもう、微妙に『落ちて』ますね。
私はうなずく。
「わかった。それ、行き過ぎると面倒な奴だから気をつけてね」
「何、その同情の目。なんか怖いんですけど……??」
「とりあえず今夜の警備、よろしくね!!」
リヒトとの会話を切り上げ、私は居間に戻った。
フィニスは窓際にいる。
その後ろ姿に、どきりとした。
前回、死ぬ間際。
あなたは、そんなふうに、窓から星を見ていた――。
「セレーナ」
振り返るフィニス。前回より大分やわらかな表情だ。
そう。
今回は、前回とは、違う。
私はこっそり深呼吸をして、笑った。
「フィニスさま、家の中にもご近所にも、危険なものは見つけられませんでした。楽園守護騎士団も問題はなさそうです。ロカイも何も気づかなかったようで……こういうときにシロがいたら、さらに安心できるんですけど」
「『楽園』に着いたら、魔道士にシロを探させよう。シロはかなり老いた竜だった。寿命が尽きた可能性もある」
「それは……そう、ですけど」
考えてはいたけど、はっきり言われるとへこむなあ。
うつむく私に、フィニスが手をさしのべる。
きゅっと握ると、フィニスは私をソファに座らせた。
「つらいだろうが、今は前回のことを聞かせてくれ。前回のことだけに限って言えば、君のほうがはっきり覚えているはずだ」
「はい。……そうですね」
確かに、今はそっちに集中しないと。
私はきゅっと唇を噛んでから言う。
「前回ここに来たときは、護衛は楽園守護騎士団と黒狼騎士団が半々くらいでした。皇帝陛下の暗殺もなかったし、東部が戦争状態じゃなかったから、ザクトも、トラバントもいた気がします。でも……この部屋が炎に包まれたときには、誰も、いなかった。……や、きっと、何かの手違いかなとは思うんですが!」
私は声を明るくした。
ぽすん、と、頭にフィニスの手が乗る。
「前回のわたしは、直接の部下たちにも見捨てられていた、ということだな」
「……でも、そんなことあり得なくないですか!? 騎士団に入ってわかりました。みんないいひとだった。私――」
「わたしを見捨てるのが『悪いひと』とも限らない。前回のザクトは『黒狼騎士団の孤高の団長』であるわたし以外はいらなかったのだろうし、トラバントはもっと実家とべったりだった」
ぽすんぽすんぽすん。
軽く私の頭をなでて、フィニスは言う。
うう。ううううううううう。
まあ、ねえ。まあああああ、ねええええええ。
理屈ではわかってるんです。
そういうものだ、って。
男のひとたちの世界って、結構、そういうもんだな、って。
普段は熱く友情だの忠誠だの語り合うのに、いざとなったら裏切っていく。
もっと大きなもののために、大切なものを裏切っていく。
――そうして、深く深く傷つくんだ。
「泣いているのか」
フィニスに囁かれて気づいた。
私、泣いてる。
弱いなあ、ほんと。私は弱い。
あなたと、みんなの優しさを、全部全部守りたい。
何ひとつ捨てられないのは、多分、弱さだ。
私はごしごしと涙を拭いて、前を見つめた。
「もう泣きません。視界が曇ってたら、フィニスさまを守れませんから」
「そうだな。今夜は夜を見張っていよう。死が、こちらへ近づいてこないように」
フィニスは静かに言い、窓の外を見た。
降るような星空だった。
数々の神話をまとった星座がまぶしく輝いていた。
こんなときでなければ、美しすぎるくらいの、夜だった。
□■□
その晩は、ずっと窓の外を見ていた気がする。
でもたまにうとうとしていたみたいで、夢もみた。
花畑の真ん中に立っている夢だった。
私はまだ子どもで、花冠をかぶっていた。
……っていうか、この夢、前もみたな?
風が吹く。強い風が。
私は誰かを見つめている。
花畑の真ん中に立つ、不思議な老人を。
――おや、また会ったね。
老人は言う。
今日の彼は、妙につるんとした素材のサンダルをつっかけている。
私は聞く。
――あなたは誰? 私に用があるの?
――そうかもしれない。
彼は地平線を指さす。
――あちらから、終わりが来る。君は、どんなふうに死にたい?
前回も聞かれた、この問い。
……でも、ちょっとずるいよね。
私はまだ、十六歳までの人生しか知らないのに。
私は老人をにらむ。
――どんなふうにも死にたくない、って言ったら?
――おや。
老人は、ちょっと笑ったようだった。
――やっぱり、君か。
老人は囁く。
次の瞬間、花畑の花が燃え上がった。
何もかもが炎になって、目の前が真っ白になる……。
□■□
「……セレーナ。セレーナ」
やわらかな声。
軽く体を揺らされて、私は目を開いた。
「うわっ!! ね、寝てました、私!? 生きてます!?」
ソファから飛び起きる。
窓からは青白い朝の光が差しこんでいた。
朝だ。間違いない。
フィニスはゆっくりまばたきをする。
「多分。というか――どうやったら生きている証明になるんだ?」
あ、フィニスもちょっと寝ぼけてる。かわいい。
昨晩はきっと、二人してうとうとしてしまったんだろう。
「わかりませんけど……握手とかしてみます?」
私が手を差し出すと、フィニスがそれを握る。
二人で、しばらくお互いの手をにぎにぎした。
「あるな」
「居ますね」
顔を見合わせる私たち。
……………………。
……………………。
あっ、ちょ、ちょっと、恥ずかしくなってきたぞ????
なんで私たち、朝からにぎにぎしてるんだ!?
私は手をひっこめようとする。
けど、逆にぎゅっとにぎられてしまう。
「――もう少し触りたくなってきた。だめか」
だーーかーーらーー!! そこで、小首をかしげないでくださいます……!?
あなた、もう図体の大きな美青年でしょ!?
皇帝になるんでしょ!?
子犬じゃないのはわかってるのに、わかってるのに、私、かわいさには逆らえないようにできてるんですよ!!
「え、あ、あの、さ……触る場所によります……」
しぼり出したのはそんな答えでした。
うわあああああん、くす、って笑われてるーーーー!!
私がフィニスでも笑うとこだよ、今のは!
待って、フィニスさま、立ち上がらないで、ほっぺたから唇のあたりをそーっとなでないで、待ってーーーーーーー!!!!
「フィニスーーーーーーー!!!! 俺が来たぞーーーーーーーー!!!!」
ものすごい音を立てて扉が開き、即、フィニスが叫んだ。
「何度目だルビン!!!!」
「戦場以外でこんな大声出せたんですか、フィニスさま!?」
私は叫ぶ。
フィニスは答えず、殺気だらだらで扉をにらんだ。
そこにはもちろん、ド派手な正装のルビンがいる。
「いやーーー、そんな特別な出迎えをしてくれるとは、やはり俺はお前にとって特別な人間ということだな、フィニス。ふははははは!! ま、ここからは俺が直接護衛につくから安心しろ」
そこは安心できるけど、フィニスの怒りが安心できない。
すごいよ、空気がビリビリしてるよ、この空気吸うだけで痩せそうだよ!!
私はフィニスとルビンの間にすっと割りこみ、必死に笑った。
「お、おはようございます、ルビンさま。今朝は何徹?」
「聞いて驚け、昨晩は寝てる」
「!!?? 一体なにが起こったんです!?」
びっくりして怒鳴る私。
すごく嫌そうな目をして言うフィニス。
「わたしが皇帝になったら、とっとと楽園の働き方改革をしよう」
「そんな無駄なことに時間と人材を使うのはやめろ!! 俺が寝たのは、どっかんの素を溜めるためだ!!」
ルビンは家が震えそうな声で叫んだ。
私は首をかしげる。
「どっかん?」
「魔法のことだな。今度はどこを破壊する気だ?」
凍りきったフィニスの声ににこにこし、ルビンは窓の外を指さす。
「東部だ。また死者の大軍が出てる。今度こそ国境が変わるかもしれん」
えっ。東部って、東部辺境だよね。
黒狼騎士団本部のある、あそこだよね。
「……!! フィニスさま!!」
これはちょっと、笑いごとじゃないんじゃない!?
今日を生き残っても、そのあと大戦争ってこと!?
私はフィニスを見た。
フィニスの顔も、険しいものになっている。
それでも彼は、落ち着いた声で言った。
「――戴冠を急ごう。トラバントの胃が心配だ」




