第88話 再び『楽園』を目指します!
それからの日々はめまぐるしく過ぎた。
フィニスは皇帝になるために。
私は――その、皇妃、になるために。しなきゃいけないことは山ほどあった。
「それで、シロはまだ見つからないのか」
フィニスは言う。
いつもよりつやつやぴかぴかの彼には、仮縫いされた衣装と、必死の形相の仕立屋が何人もくっついている。
「さっぱりです……うう。フィニスさまの甘いセリフが苦手なのかな。あと十分」
「いきなりわたしのせいになったな。本音を言っているだけなのに」
「そういうとこです、そういうとこ。あと九分。修正終わりました?」
私は柱時計を見つめて時間を読み上げた。
仕立て屋たちは、未練タラタラの顔でいったん退く。
「はっ、どうにか!」
「ご苦労だった。衣装は完成し次第、『楽園』まで直送してくれ」
「かしこまりました。皇室御用達の看板にかけて、必ずや仕上げて見せます……!!」
「フィニスさま、馬車を出す予定時刻まで、あと五分ですよ!」
「今行く」
仮縫い衣装をぶん投げ、私とフィニスは大急ぎでホテルの部屋を出た。
あっという間に前後を騎士たちに囲まれ、人払いされたロビーを抜ける。
ホテルの前には馬と馬車の大行列が待っていた。
「ひえー、さすがに豪華! もうこれ、部屋じゃないです?」
フィニスの馬車に乗りこむなり、私は叫ぶ。
小部屋くらいの広さがある車内は装飾だらけだ。壁からは美しい美青年の彫像が生えてランプを捧げ持っているし、ふかふかのクッションにはびっしり刺繍。天井にはこの世界の地図が描かれている。リビストーク大陸も、他の大陸も……東部辺境も、ひと目でわかる。
「重い車体だ、足が遅い。速い馬なら一昼夜で着くところを、これだと三日以上だ。……どうした、セレーナ。いきなりこっちをガン見して魂を飛ばされると、割とドキドキするぞ」
「あっ……すみません、背景ありのフィニスさまに見とれてました!」
「背景あり」
「そう。この車内を背景にしたフィニスさま、めっちゃ肖像画みありますよ!! あの、提案なんですけど。皇帝になったら、山ほど肖像画描かせて全世界に配りませんか。それって実質世界征服では?」
「何が実質世界征服なのかよくわからないので解説を聞きたい気分と、聞かない方が心が平和なままでいいのでは? という気分が真っ向勝負で殴り合っているところだが、君の声は聞いていたい。解説してくれ」
「ありがとうございます! つまり、全世界にフィニスさまファンクラブを作るんですよ。まずは印刷機で会誌を大量印刷してモノクロの肖像画をつける。そこで確実にファンを増やしたあと、定期購読を募って会費を徴収! 一年購読すると肖像画プレゼント! なお、出資額によってサイズは上下します。最終的には握手券ですかね」
「………………なるほど。平和な世界征服ではある、のか……?」
そこで首をかしげてしまうフィニス、最高かわいい!!
よーし、やっちゃお。
私はにこにこと胸の中で推し絵師をピックアップし始める。
フィニスは考えこんだのち、さらりと続けた。
「わかった。肖像画は描かせよう。ただし、その間、わたしの話し相手は君がするように」
「え、あ、まあ……は、話し相手くらいならいくらでもですよっ!! ネタがなくなったらトラバントの『本日の詩作教室』をはさんで、フローリンデの騎士物語全三十巻を読み上げて、それとそれと……」
「セレーナ」
「はい?」
「君の話だけでいい」
「は、はひ…………」
う、ううっ。フィニス、いきなり急所刺すみたいに、こういうこと言うからなあ。
私の心臓は、すぐに落ち着きがなくなっちゃう。
そして、こういうときは、これだけではすまないのです……。
フィニスは、向かいに座った私に手を伸ばした。
「おいで」
「……は、ははははい……」
声がやばいくらい震える。
でも、断り方なんか知らないから、おそるおそる彼の指先をつかんだ。
フィニスの隣に座ると、彼は無造作に私の肩を抱く。
そのまま、ぽふっと自分の肩に寄りかからせた。
はー……………………。
すー……………………。
……大丈夫、今日はまだ呼吸できてる!
私だって慣れるんですよ! 美人の顔なんか三日で飽きるとかよく言うし!!
「君は、やさしいな」
ぐ、ぐう。び、美声がめちゃくちゃ甘くても、み、三日あれば……いや、実際は三十年経ってるけど……慣れるどころか気絶しまくってるけど、でも、きっと、これからは慣れるんだ。慣れるくらい一緒にいられるんだ。
そうじゃなくちゃいけない。
フィニスは目を伏せて言う。
「君は、やさしい。だが、世界は君ほどやさしくない。カグターニが使ってきた邪法への対抗法は、まだめざましいものがないそうだ。それと――父は、何も喋らないらしい」
「そう、ですか」
心臓のあたりがピリッと痛む。
フィニスのお父さんは、異端審問所にいる。
彼が今、どんな目に遭っているのか、正直考えたくない……けど。
フィニスは、色々考えずにはいられないだろう。
父、シュテルンが何を考えて人生をやり直し続けていたのか。
どうして父が、自分を皇帝にしようとしたのか。
「……シュテルンさんについては、私が何か言うようなことじゃない、とは思うんですけど」
「言ってくれ。君が喋っているのを聞くのが好きだ」
「は、はわ、はい……。あの。シュテルンさんには、何か目的があった気がするんです」
「目的」
フィニスがつぶやく。私は彼の横顔をぬすみ見た。
あいかわらず、きれいな顔。
今見ると、どことなくシュテルンにも似てる……。
「はい。ただの恨み辛みにしてはシュテルンさん、激情がなかったな……って。私は前回の記憶があるだけだから元気ですけど、十回、二十回と繰り返して同じ気持ちでいられるかは――いや、いられるな。すいません、私は余裕でいけます。でも多分、私は普通じゃないんで」
「うん。確かに、君と父とは違う。父が、わたしや母に、そこまで執着していたとは思えない」
い、いたたたたた。
フィニスの言葉がぐさぐさ心臓に刺さる。
でも、そう。私、シュテルンからは、たいした憎悪を感じなかった。
彼はフィニスのこと……ううん、多分他の子どもたちも全部、どうでもいいと思っていそう。ただ、卓上ゲームのコマのように動かしていただけなんじゃないかな。
だとすると問題は『彼がどんなゲームを遊んでいたのか』、だ。
「……シュテルンさん、魔法具を魔法使いから受け取ったって言ってましたね」
私が言うと、フィニスは浅くうなずいた。
「何かの目的を託されたのかもしれないな。そこも『楽園』が調べているだろう」
「うーん。結局全部、結果待ちってことですか」
「そこは仕方ない。ルビンを見ているとよくわからなくなるだろうが、この世で一番賢い人間たちだ。任せるべきところは任せよう」
フィニスは頭をぽんぽん撫でてくれる。
私は目を細めて言った。
「はい。わかってます。私、ルビンに何か贈らなきゃと思ってて」
「わたしの古着か?」
「うん、めっちゃよろこんで等身大フィニスさま人形作って着せると思いますけど、そうじゃなくて。えーと、フィニスさまって、いいひとじゃないですか」
「………………それはさすがに、目が腐っていないか」
「や、全然。いいひとですって。優しいし。紳士だし。話せばわかるし」
「さ……最低限の、人間の資質だと思う」
おお。
おおおおおお、珍しい、フィニスが口ごもってる!!
私は、脳内のフィニスの表情ファイルを高速更新しながら続けた。
「最低限の人間の資質がないひとなんか、たくさんいますよ!! あのお父さんに育てられてこんな優しいひとができるんだから、きっと周りがフィニスさまに愛をくれたんだと思います。ってことで、ひとまず幼なじみに『ありがとう』の気持ちをこめて、何かプレゼントしようかなって!」
「……ルビン。ルビンの愛………」
「フィニスさま、顔色真っ青ですけど、生きてます?」
「生きているが、生きるのがつらい。よりによってルビンか……」
美しい額に指を当てて、彫像みたいに悩むフィニス。
私はちょっと吹きだしてしまった。
「きっと他にも色々あるんですよ。ご兄弟とか、使用人のひととか、他のお友達とか、騎士団のひとたちとか。だからとっとと戴冠して、みんなにありがとうを届けましょ。小鳥ちゃんもどうにか助けなきゃだし、東部辺境もどうにかしなきゃですしね! トラバントとか、引き継ぎ終わらなくてまだあっちでしょう? 早く行ってあげないと、胃が……!!」
喋っている途中で、急に抱きしめられる。
ふわ。ふわ……????
な、なに??
すぱーんと真っ白になった頭に、フィニスの声が響いた。
「わたしは今は、君の愛だけでいい」
「…………………………せ、責任重大ですね」
――――――――。
あ、危なかった。今回は気絶を免れた。
でも危ないな! 正直すっごい危ないな!!
これから気絶する可能性はあるな!!
だってフィニスが放してくれないし、耳元で囁くし!!
「何十回か人生を繰り返しても、尽きないくらいはあるんだろう?」
「……はい……。だって、そうやって、フィニスさまがあふれさせるから」
恨みがましくつぶやいた、つもり、なんだけど。
どうしても、私の声も溶けてしまって。
耳元でくすりと笑い声が聞こえて、ぎゅっと力が強くなる。
騒がしい心臓の音と、車輪の音が入り交じるのを感じながら、私は馬車の揺れに身を任せた。
□■□
「うっ……外の空気が美味しい。なんのへんてつもなくて美味しい!! 砂糖菓子のあとのお茶みたい!!」
一日の旅程を終えて馬車を降りたころには、私は色々限界だった。
よろける私を、すかさずフィニスが支えてくれる。
「茶が飲みたいなら用意させよう。しかし久しぶりだな、ここも」
「久しぶり? あ、ああ――そう、ですね」
顔を上げた私の目の前にそびえているのは、『あの家』だった。
二階建てで、うす水色に塗られていて、古典主義風のテラスが、あって。
前回、私たちは、ここで死んだのだ――。




