第84話 ごめんなさい。私も、ずっと、好き。
「フィニスさま……なんでこんなところにいるんですか!?!?」
「うわ、声でか!!」
衛兵たちがのけぞる。
私は気にせず、まくしたてた。
「戴冠は!? それに、あの状態の東部辺境をほっぽらかして来たんですか!? ルビンもいるし! まさかですが、私のためにここまで来たわけじゃありませんよね? 私、フィニスさまのしあわせを邪魔するものを全部ぶち壊してやるつもりで生きていて、つまり、フィニスさまが私に足を引っ張られるのは解釈違いなんですが!! ルビンもいるし!」
「なぜ俺がいるといかんのだ!? なぜ二回言う!?」
ルビンは叫ぶ。
私はフィニスしか見ていない。
実質的にはフィニスが発する光しか見ていない。まぶしい、ほんとまぶしい。フィニス自身が光るのはフィニスだからしょうがないんだけど、推しの輝きってその場の空間すら輝かせ始めるから本気で目がやられる。
はーーーーーーお美しい!! フィニスで目がつぶれるならまさに本望!! 見てる? 世界!! このまぶしさこそが私の最推しです!!
「セレーナ」
「はい!!」
フィニスに呼ばれ、私はぴんと背筋を伸ばす。
フィニスは私に手をさし出した。
「おいで」
「えっ、夢か?」
「現実だし幻聴でもない。おいで」
さし出された手。
あなたの手。
――夢みたいだ。
ふらり、前に出る私を、衛兵がさえぎる。
「待て!! 何人たりとも、帝都で罪を犯したものを法の裁きなしで解き放つことはゆるされない!!」
叫ぶ衛兵。
その左右から、楽園守護騎士団の騎士たちが現れる。
「下がれ。あの方は――」
「…………!!」
騎士に囁きかけられた衛兵は、慌ててその場にひざまずいた。
低く下げられた頭。その先には、フィニス。
そうか。
彼は本当に、皇帝になるんだ。
「セレーナ」
横から呼ばれる。
見上げると、見覚えのある金髪美形がいた。
「あ! リヒト」
リヒトはうやうやしく一礼。
短剣で私の縄を切った。
「早く行きなよ。彼、あんな顔してめちゃくちゃ心配してるから」
「……ありがと」
心から言って、歩き出す。
光のほうへ。
真っ赤な夕日を背負って立つひとのほうへ。
彼がさし出した手のほうへ。
まぶしいな。まぶしすぎて、走れない。
どうしたらいんだろう、あなたの手。
握ればいいの?
うやうやしくひざまずけばいい?
私は、あなたの、なんですか?
「フィニスさ……!?」
あと数歩、というところで、腕をつかまれた。
ふわ、とフィニスさまの匂い。
苦しい。
強い力で、息が出来ない。
あなたの鼓動が、あなたの怒りと臆病が、しみてくる気がして。
「フィニスさま。あの。ありがとうございます。あなたのために、と思ったのに。ちょっと、へまをやって……」
しどろもどろで言う。
フィニスは私を押し離し、暗い顔で言った。
「君は」
「は、はい?」
「君は……自分がわたしを生かしているという自覚は、あるのか!?」
「??????? そ、それは、どういう!?」
頭、真っ白だ。
腕にフィニスの指が食いこんで、痛い。
これは、あなたの怒り。
「君はいつだってそうだ!! 訳知り顔で『わたしのしあわせ』について語っては飛び出していく!! 君は、『わたしのしあわせ』の何を知っているんだ!? 君自身が『わたしのしあわせ』だとは思わないのか?」
「私、が」
私は囁く。
私が、あなたの、しあわせ。
嬉しい。
嬉しいです。
でも、フィニスさま、それじゃいけないんです。
それじゃ、私、生きたいと思ってしまう。
命なんて重いものを背負ったままで、私、あなたの運命と戦えるでしょうか。
私は。
――私は。
「わたしを見てくれ」
フィニスがそう言うと、やっと、彼のことがはっきり見える。
だって普段は、まぶしすぎて。
私は、いつも、そうやって言い訳して。
本当のあなたを、見ていなかった。
見上げたフィニスは苦しそうだった。
美しい声はふるえていた。
彼の手が、私のほおをなでた。
「わたしから、君を引き剥がさないでくれ」
ぼろっ、と私の目から涙がこぼれる。
ふしぎ。
私も、何度も同じことを思った。
私も、きっと、知っていたんだ。
私とあなたの魂は、とっくに癒着してしまっていて。お互いにそのことを認められず、へばりついたところに短剣を入れては、引き剥がし、引き剥がし、していて。
そのたびに血をこぼして、その痛みにしがみついて、これは恋ではないのだと、思いこんでいた。
「ご、ごめん、な、さ……い」
お化粧が落ちちゃうけど、涙を止める方法はなくて。私は泣き続けた。
フィニスは心細そうに、私を抱きしめる。
「やめてくれ、わたしも泣きたくなる」
「ごめんなさい……涙、止まらなくて」
「悪かった。君が好きなんだ」
「悪くないです。悪くないです、何も、なんにも悪くないです、フィニスさまは悪くないです!! あ、の、私、私も……ずっと、フィニスさまのことが、好き……ごめんなさい……」
言葉にしたら、ますます涙がこぼれてしまう。
「謝らないでくれ。謝らないで」
あなたは私を抱きしめたまま、頭をなでてくれた。
優しい手。
優しい声。
私は知ってる。
あなたは、失敗作なんかじゃない。
「……びっくりしたなぁ。君ってこんなことできるんだね、フィニス」
場違いな声がした。
顔を上げると、シュテルンと目があった。
包帯を巻いた腹をかばいながら、彼はにっこり笑う。
「うん、いいと思う! 実の親を刺した子とくっつくの、狂気の皇帝の第一歩としては実にいいよ。フィニス、君はきっと世界を狂乱に巻きこむ。でも、大丈夫。狂乱はね、楽しいから。楽しいことしか、みんな必死にやれないから。狂乱は熱い渦になって、ことによったら奇跡を生むかもしれない。あはは、希望のある話だねえ!」
なんだか、空っぽな声だな、と思った。
このひとは、何も信じてない。
自分の言ってることですら。
私はフィニスを見上げる。
彼は静かにシュテルンを見ていた。
憎しみも、怒りもない声で、フィニスは聞く。
「衛兵、彼の手はどうした?」
シュテルンについていた衛兵が、フィニスとシュテルンを見比べる。
シュテルンの右手には、包帯が巻いてあった。
「はい、その……彼女と格闘したときに、ナイフで手のひらに傷が」
「嘘だ」
私はつぶやく。
フィニスは続けた。
「傷は手のひら側だな?」
「は、確かに」
「刃物相手の格闘なら、傷は手のひらだけにはつかない。おそらくは柄のないごく小さな短剣を逆手ににぎって、自分を刺したときにできた傷だろう。その男はどこを刺せば軽傷ですむか、よく知っている」
フィニスは言い切る。
シュテルンはくすりと笑った。
「おやおや。君にはよくしてあげたのになあ」
「よくしてあげた、か」
フィニスも少し笑った。
彼は一歩前に出る。肩を抱かれている私も、前に出る。
視線がすっと集まってくるのを感じた。
フィニスはよく響く声で告げる。
「アルテア伯シュテルン・ライサンダー。実の父とはいえ、皇帝陛下に仕える一貴族が帝国の隅々まで根を張り、偉大なる帝国を己の意のままに操ろうとでもいうかのごとき所業、いささか目に余るものであった。それもこれも『楽園』守護のためと思えばこそ見逃してきたが、このたび、あなたには重大なる『天書』違反の嫌疑がかけられている」
「そういうことだ。ようこそ、異端審問所へ!! 異端審問は楽しいぞ~~、今どきの最新鋭拷問から、古式ゆかしいやつまで選び放題のやり放題だ!! ま、選ぶのはこっちだがな!! ふははははは!!」
ルビンが高笑いし、周囲には、うわあ……みたいな空気が広がった。
私はこそこそと言う。
「ルビン、フィニスさまが虫けらを見る目で見てるよ」
「いつものことだ!! なんだかんだで俺と共に皇帝になると自分から言いに来たからな、こいつ!! 虫扱いくらいはいくらでも許す!!!!」
「心が広いのか狭いのか、全然わかんないね!?」
私は思わず叫んだ。
シュテルンは、ふっと笑みを消す。
「へえ。まさか、そっちとはね。こういうのは初めてだな」
つぶやく彼を見て、私は言った。
「やっぱりあなた、『そう』だったんだね」
「セレーナ?」
フィニスが私を呼ぶ。
私はなるべく彼にくっついて続けた。
「色々とおかしいな、とは思ってた。あなたはシロが竜だってわかってた。フィニスのことも『いつもそうだ』って、まるで何度も彼の人生を見守ってきたみたいに言う。今だって、『こういうのは初めて』って」
これ、言っていいのかな。墓穴を掘ることにならないかな。
うっすら不安だけど、もう後戻りはできない。
私はシュテルンを見つめて言う。
「あなたは、多分、『二度目』……ううん、何度目かの人生を送ってる、異端だ」




