第83話 上手な『たすけて』を教えてください。
「………………」
――セレーナちゃん! おーーい、セレーナちゃん!!
シロが何か言ってるけど、頭に入らない。
シュテルンが、私の耳に顔を近づける。
「君も同じ騎士団に入ったんだから、見ただろう? あの子が、楽しそうにひとを殺すのを。それとも――つまらなさそうだった?」
つまらない顔で、ほんとにつまんないこと言うなあ。
私は答える。
「どちらでもありません。フィニスさまは、氷のようでした」
「あ、なるほど! 正しいなぁ。正直に心を見せないほうが魅力的だよね、あの子」
シュテルンはけらけら笑った。
彼は、フィニスは演技をしている、って言いたいんだろう。
うん。フィニスはいつも演技をしている。
でも、案外わかりやすいんだよ。
私は知っています。
彼の無表情は、無感情じゃない。
彼は普通にひとを好きになり、普通に傷つきます。
重荷を背負ってうなだれ、それでも歩き続ける、ただの若者です。
「ちょっと喋り過ぎちゃったな。こんなこと言ってたら僕も殺されちゃうかもしれない。あの子は皇帝陛下になるんだから。きっとこれからも、たくさん殺すだろうなあ。あの子にはいつも、それしかないから。
……僕はいつも思うんだよね。あの子の狂気がせめて、この世界の役に立ちますように、って」
シュテルンは言い、指にはめた指輪をじっと見つめた。
彼の顔から笑みが消える。まったくの無表情で、彼は続ける。
「じゃなきゃ、母親を殺してまでこの世に生まれた意味とか、ないじゃない?」
私はドレスの胸元に指を入れた。
そこには、ほんの小さな短剣がある。
シュテルンの喉は目の前にあった。切り裂くのは簡単だ。
――セレーナちゃんってば!! おおおーーい!! いかんぞ、公衆の面前でそれはごまかせん!! セレーナちゃんのほうが捕まってしまう!
――大丈夫だよ、シロ。殺したりしない。そんなことしたら、フィニスさまが悲しむもん。
私は短剣の柄に触れたまま返した。
大丈夫。私はこれを使わないですむと思う。
それを確かめるために触れただけ。
――話を聞いてよーくわかった。このひとって、フィニスのこと全然わかってないね。もっとちゃんと目を開けて、フィニス自身を見たらよかったのに。それをしないで、自分の恨みの物語ばっかりを見てるんだ。それに……このひとって、言い回しが、ちょっと変。
私がそう思った、直後。
「誰と喋ってる?」
シュテルンが囁く。
「えっ」
私はぎょっとした。
椅子の下からシロが顔を出す。
――まさか、わしらの会話を聞かれたのか?
シュテルンはそれを見ると、真っ青になった。
「っ、なんでこんなものが!? お前、本当にセレーナ・フランカルディか!?」
叫ぶと同時にシロをわしづかみにするシュテルン。
そのまま、店内中央にある水瓶にシロを叩きこむ。
「シロ!! きゃあっ!!」
私は飛び出そうとする。
その手を、シュテルンがつかんだ。
もう片方の手が、私の胸元から小さな短剣をつまみだす。
短剣と私の手を高くかかげると、シュテルンは情けない悲鳴をあげた。
「う、うわあああああああ!! こ、殺されるぅ!! た、助けてください!!」
「な、何!? ちょっと、放してください!」
「こちらのお嬢さんが、短剣を! 僕に短剣を向けるんです……!! どうか、どうか助けてください!!」
「あなたが勝手に引っ張り出したんじゃない! そんな嘘、通用すると思ってるの!?」
なんなの、この人!? 怒っていいのか、呆れていいのかわからない。
――シロ、シロ、無事!?
シロを呼びながら、私は使用人を探した。
お客さんたちは遊ぶのをやめ、みんなでこっちを見ている。
鳥かごや空中ブランコのお嬢さんも、猛獣使いのお兄さんも、みんな、見ている。
使用人の姿はない。
そして……なんか、表情、暗くない?
どうして誰も動いてくれないの!?
「衛兵を呼んでくださいぃぃぃ!! この子は暗殺者だ! どうか、お願いします!!」
シュテルンが情けなく叫ぶ。
みんなは暗い顔のまま、静かに左右に割れて道を作る。
入り口のほうがざわつく。
ちらちら見えるのは、衛兵の制服だ。
早い。いくら帝都とはいえ、早すぎる。
「あなた……店中の人間を買収したの? フランカルディ家の味方も含めて……。最初から、このつもりだった?」
私は囁く。
シュテルンはうっすらと笑う。
「買収とは言葉が悪いなぁ。僕を頼りにしてくれてるひとは案外多い、ってことでしょう。ちなみに衛兵には手をつけてないよ~。君は捕まってくれさえすればいいの。あとはこっちで色々つついて、君の罪を立派な大罪に育ててあげる」
「そんなの通らない!! 現に私は何もしてないんだから。もう放して! 私、シロを助けなきゃ!!」
私は叫ぶ。
シュテルンはふと、疲れたように笑った。
「今の君、本当に邪魔だなあ。なんでもっとバカのままでいなかったの? 念のため、この場でちょっと罪を重くしとこう」
そう言って、私の短剣を、自分の腹に突き刺す!
「!?」
凍りつく私。
信じられない。息も出来ない。
このひと今、何をしたの?
「……はい、どうぞ」
シュテルンは顔色ひとつ変えずに短剣を抜き、ぽんっと私の手に持たせた。
直後、私はどどっと衛兵に囲まれる。
「動かないで!! 君か、彼を刺したのは!!」
「あなた、怪我をされていますね。店主、医者を呼べ!!」
「こっちへ来い、女!」
私はあっという間にもみくちゃにされた。
短剣を取り上げられ、両手を前で縛られる。
腰にも縄を結ばれ、こづかれた。
「歩け!!」
「かわいい顔して、暗殺者か? 八つ裂きだぞ、八つ裂き!」
縄を引かれ、蹴っ飛ばされ、私はよろめく。
まわりから注がれる、視線、視線、視線。
あわれみ。
悲しみ。
嘲り。
使用人の顔がちらっと見えて、すぐに人混みに消えた。
そう。そうなんだ。
こんなにあっさり寝返っちゃうくらい、みんなこの人が怖いんだ。
おそらく、外に出ても、きっと。
世界中が、彼の一味だらけ――。
そう思うと、私もやっと、足が震えてきた。
そのとき。
――セレーナちゃん。セレーナちゃん!
シロの声がして、私は顔を上げた。
――シロ!! 大丈夫だった? 心配したよ……。あ、でも、今は出てこないでね。シュテルンに捕まらないようにして。
――わしのことはいい。自分のことを考えるんじゃ。助けを呼べ!
――助けって、誰に? お父さまの味方は、みんな寝返っちゃってるよ。
――絶対に裏切らない者もおろう?
――……誰だろう?
「おい、とっとと歩け、とっとと!!」
引っ張られ、つつかれて、思考は中断。
私はらせん階段を上がった。
外はまだ夕方だっだ。
石造りの都に夕日が落ちる。
まぶしい。よく見ておかなきゃ、と思う。
このあと牢に入れられたら、いつ出られるかわからない。
明るい世界を覚えておこう。そのほうが、多少は生きて行けそう。
それとも――早めに死んで、三度目に賭けた方が、いいのかもしれない。
フィニスのためには、そのほうが。
考えこむ私。
その目の前で、衛兵が止まった。
「わぷっ! な、なんですか?」
衛兵に激突して、私はよろける。
衛兵は、前を見たまま引きつっていた。
「な、なんでだ?」
なんでってなんだろ、と思って、目をこらす。
まぶしいながらも、段々外が見えてくる。
幅広く、彫像だらけの帝都の街路。
そこをびっしり埋める、赤。
「これって……!!」
「なぜ、異端審問官がこれほどまでに……?」
衛兵が囁く。
そうだ、これ、『楽園』の異端審問官だ!
異端審問所は、帝国のあらゆる権力をも無視できる、『楽園』の機関。
六門教にとってゆるせない異端を狩る人々。
真っ赤なずきんと真っ赤な長衣をまとった人々は、皇帝だって裁くことができる!
「……そっか。私、バレたんですね。二度目だ、って」
ぽそり、とつぶやく私。
目の前がすうっと暗くなる。
もう、だめだ。
二度目だってことがバレたら、きっと三度目はないように殺される。
……悔しい。悔しい、悔しい、悔しい。
無駄だったんだ。何から何まで。
ごめんなさい。ごめんなさい、フィニスさま。
私、役立たずでした。
「わたしが思うに」
「……へ!?」
今の美声、何? 何っていうかなんていうか、私がこの声を聞き間違うことなんて、完全完璧にあり得ないと思うんですけど、でもでもでも、高度な幻聴のような気もするんですよね! 何せ私ですから、死の間際に最推しの声を再生するくらい余裕な気がするんです。ですが、その、あの、えっと。
幻聴じゃ、ない?
異端審問官たちのど真ん中に、キラッキラの刺繍入りの赤い服で立っているのは、ルビン。
そして、その横に、真っ黒な軍服と、正装のマント姿で立っているのは。
「君はもう少し、助けを求めるべきだ。せめて、わたしにだけは」
私の、最愛の推し。
最愛の、ひと。
プルト伯、フィニス・ライサンダー、そのひとでした。




