表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

78/106

第78話 君がいなくても、退屈に生きて死ぬことくらいはできる。

「起きてください」


「イヤだ」


 わたしは執務机にべったり伏せたまま答える。

 トラバントは速やかにキレた。


「イヤでも起きろ!! どーーーーせ、セレーナとなんかあったんでしょう。丸見えなんですよ、魂が!! なんで僕の前でだけそんな無防備なんです!? 赤ちゃんか!?」


 そんなに執務机蹴ると、足が痛くないか?

 この机、重すぎて先代、先々代の団長の時代からずーっと動かせてないのに。

 わたしは揺れる机にほおづえをつき、ぼーっと言う。


「お前を信用してる」


「しないでください。僕はあなたのこと嫌いです。知ってるでしょう」


「わたしを嫌いで、忠義な奴のことは信用してる」


「あなたってひとは、本当に……」


 トラバントが唇を噛む。

 こいつもほんとに、難儀な奴だ。

 わたしは失恋のショックでぼーっとしているので、ぼーっとさせておいてほしい。失恋というか、なんというか、多分、わたしがふった……のか?

 よくわからない。

 わかるのは、わたしがセレーナをめちゃくちゃ悲しい顔にした、ということ。

 未練がましく口づけたとき、火花みたいにひらめいた。

 セレーナも恋をしてる。恋だったんだ、と、わかった気がした。

 でも、気のせいかもしれない。

 わたしに都合のいい夢なのかもしれない。

 戦争より恋のほうが、よくわからないな。


「――とにかく。今後の流れは決まりましたよ。近々あなたは戴冠のために、『楽園』に召喚されるでしょう」


 なんだ、もう正式決定か。

 次の皇帝には、わたしがなる。もう避けられない。

 とうにわかっていたことだ。

 わたしはトラバントを見上げる。


「想定内だが、今か? 屍人復活の起こった東部辺境を捨てて?」


「外法で脅かされてるのは東部辺境だけじゃない。あんな化け物を無尽蔵に増員されたら、帝国全体が、ひいては楽園が危うい。カグターニが無茶をやってくるのも、皇帝の死に勘づいてるからでしょう。とっとと新しい皇帝を立てた方がいい。そういうことになった」


「なるほど。わたしは動乱期の『つなぎ』の皇帝か。他人事なら、大体同意見だな」


 結局のところ、人間は必ず死ぬ。

 どこで死ぬかが問題だ――というのは、父の口癖だった。

 わたしもそれに納得していた。


 ただ、ここが少しばかり、居心地がよかったのかもしれない。


「黒狼騎士団には別の指揮官が来る。あなたはとっとと戴冠して、東部辺境に戻って来たきゃ戻ってきなさい。戦う皇帝陛下として、ちゃんと大軍を率いて」


 トラバントは少し早口だ。

 この緊張っぷりからして、これ、正規筋からの情報じゃないな?

 例の首飾りは、トラバントから実家に送らせている。トラバントの実家はまだ、トラバントが自分たちの人形だと思っているのだろう。

 だからこれも、おそらく実家筋の情報だ。


「その話、どうして教える気になった」


「大した情報じゃありませんよ。どうせすぐに使者は来ます。逃げられない」


「それもそうか」


「……使者が来る前に、地下牢の『お客さん』を殺しておくべきです。今のうちに、隙はなるべくなくしなさい」


 なるほど、そのための時間をくれたのか。

 地下牢の小鳥。あれもわたしの弟なら、素直に死ぬだろう。

 そういう風に作られているだろう。

 わたしも、一度延命して多少気は済んだ。

 しかし――それでいいのか。

 あの弟は、わたしが皇帝になるために配置されただけなのか?


 考えこむ私に、トラバントは続ける。


「セレーナは連れて行ったほうがいい。あなたには必要です」


「意外だな。あれも殺せと言ってくるかと思った」


「あなたねえ、ご実家のことを考えてくださいよ。逆です! 戴冠後に、今の婚約を反故にしてセレーナを皇妃に迎えなさい。これからしばらく戦乱が続きます。共に戦った盟約者と結ばれると言えば、民衆はロマンスにうっとりしますよ。人気稼ぎに使うんです」


「なかなか魅力的な提案だが――セレーナはわたしと一緒に居ないほうがいいだろうな」


 のろのろと言う。

 トラバントはあからさまに顔をしかめた。


「なぜ。今さら惚れてないとか言い出したらぶん殴りますが」


「彼女は、わたしのために死ぬ気だ」


「……あの子は、最初から、そうだったじゃないですか」


 少し悲しい顔になるトラバント。

 わたしはぼんやりとつぶやく。


「そうだな。そうだった」


 彼女のことが好きだ。

 わたしを傷つけようとせず、屈しようともせず、愛してくれるひとが。

 わたしを追って辺境までやってきて、敵を斬り伏せて見せるひとが。


 セレーナがもっと、勝手なひとならよかった。

 もっと、わたしを利用してくれるならよかった。


 でも君は、わたしに捧げるばかりで。

 わたしのためにドレスを捨てて、わたしのために剣を取り、わたしのために死地に赴く。

 君はわたしのために、笑って不幸になっていく。


「わたしは彼女をしあわせにできない。どうふるまっても同じだ。おそらく、わたしがわたしであるかぎり、無理なんだ」


 わたしはつぶやく。

 トラバントは深い深いため息を吐き、苦く返した。


「……僭越ながら申し上げますけどね~、『他人をしあわせにしよう』なんてのがそもそもの思い上がりですよ。あの子は、僕らとは違う。根本的に自由なんだ。名誉ある死なんか要らない。貧乏でもない。騎士になる必要もない。なのに、あなたのために死ぬって決めている。自分で決めたんです。だから勝手にしあわせになるし、不幸にもなりますよ」


「お前、やっぱり頭いいな、トラバント。そう。そんなセレーナが好きなんだと思う。好きだから、別れるしかない」


「はあああああ……。浮気だってなんだっていっくらでもできる立場だってのに、難儀なひとたちですね」


 トラバントがため息をつく。

 わたしは少し笑って、心を決めた。

 内ポケットから盟約者の短剣をとりだし、そっと執務机に置く。

 心臓に近いところにあった短剣は、まだなまあたたかい。


「セレーナは実家に帰そう。お前はどっちがいい? わたしに着いてきて詩人をやるか、ここに残って新たな主君に忠誠を誓うか」


 わたしが聞くと、トラバントは世にもイヤそうな顔をする。


「今さら選択肢があるふりをするの、やめません? 僕は、あなたのものです」


「そう言えばそうだった。こっちにおいで。頭でもなでてやる」


 怒るかな、とも思ったが、トラバントは案外おとなしくそばに来た。

 そのまま、慣れた狼みたいにわたしの足下にうずくまる。


「……いっそ宰相の座、もらおうかなあ……」


「お前、その仕事中毒なとこ、どうにかしたほうがいいぞ」


 うめくトラバントがあんまりやけっぱちなので、せいぜいやさしく頭を撫でた。

 これからは、また、うんざりするほど退屈な日々だろう。

 でも、うんざりすることには慣れている。

 きっと生きていける。

 死ぬまでくらいは、生きていける。


 そのために、まずはひとつ。


「退屈の手始めに、小鳥を片付けよう」


 わたしはつぶやく。

 同時に、執務室の扉が叩かれた。


「フィニスさま!!」


「ザクトか。どうした、そこで喋れ」


 わたしが言うと、ザクトは扉の向こうから声を張る。


「はい!! あの……小鳥が、籠から逃げました!!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ