第78話 君がいなくても、退屈に生きて死ぬことくらいはできる。
「起きてください」
「イヤだ」
わたしは執務机にべったり伏せたまま答える。
トラバントは速やかにキレた。
「イヤでも起きろ!! どーーーーせ、セレーナとなんかあったんでしょう。丸見えなんですよ、魂が!! なんで僕の前でだけそんな無防備なんです!? 赤ちゃんか!?」
そんなに執務机蹴ると、足が痛くないか?
この机、重すぎて先代、先々代の団長の時代からずーっと動かせてないのに。
わたしは揺れる机にほおづえをつき、ぼーっと言う。
「お前を信用してる」
「しないでください。僕はあなたのこと嫌いです。知ってるでしょう」
「わたしを嫌いで、忠義な奴のことは信用してる」
「あなたってひとは、本当に……」
トラバントが唇を噛む。
こいつもほんとに、難儀な奴だ。
わたしは失恋のショックでぼーっとしているので、ぼーっとさせておいてほしい。失恋というか、なんというか、多分、わたしがふった……のか?
よくわからない。
わかるのは、わたしがセレーナをめちゃくちゃ悲しい顔にした、ということ。
未練がましく口づけたとき、火花みたいにひらめいた。
セレーナも恋をしてる。恋だったんだ、と、わかった気がした。
でも、気のせいかもしれない。
わたしに都合のいい夢なのかもしれない。
戦争より恋のほうが、よくわからないな。
「――とにかく。今後の流れは決まりましたよ。近々あなたは戴冠のために、『楽園』に召喚されるでしょう」
なんだ、もう正式決定か。
次の皇帝には、わたしがなる。もう避けられない。
とうにわかっていたことだ。
わたしはトラバントを見上げる。
「想定内だが、今か? 屍人復活の起こった東部辺境を捨てて?」
「外法で脅かされてるのは東部辺境だけじゃない。あんな化け物を無尽蔵に増員されたら、帝国全体が、ひいては楽園が危うい。カグターニが無茶をやってくるのも、皇帝の死に勘づいてるからでしょう。とっとと新しい皇帝を立てた方がいい。そういうことになった」
「なるほど。わたしは動乱期の『つなぎ』の皇帝か。他人事なら、大体同意見だな」
結局のところ、人間は必ず死ぬ。
どこで死ぬかが問題だ――というのは、父の口癖だった。
わたしもそれに納得していた。
ただ、ここが少しばかり、居心地がよかったのかもしれない。
「黒狼騎士団には別の指揮官が来る。あなたはとっとと戴冠して、東部辺境に戻って来たきゃ戻ってきなさい。戦う皇帝陛下として、ちゃんと大軍を率いて」
トラバントは少し早口だ。
この緊張っぷりからして、これ、正規筋からの情報じゃないな?
例の首飾りは、トラバントから実家に送らせている。トラバントの実家はまだ、トラバントが自分たちの人形だと思っているのだろう。
だからこれも、おそらく実家筋の情報だ。
「その話、どうして教える気になった」
「大した情報じゃありませんよ。どうせすぐに使者は来ます。逃げられない」
「それもそうか」
「……使者が来る前に、地下牢の『お客さん』を殺しておくべきです。今のうちに、隙はなるべくなくしなさい」
なるほど、そのための時間をくれたのか。
地下牢の小鳥。あれもわたしの弟なら、素直に死ぬだろう。
そういう風に作られているだろう。
わたしも、一度延命して多少気は済んだ。
しかし――それでいいのか。
あの弟は、わたしが皇帝になるために配置されただけなのか?
考えこむ私に、トラバントは続ける。
「セレーナは連れて行ったほうがいい。あなたには必要です」
「意外だな。あれも殺せと言ってくるかと思った」
「あなたねえ、ご実家のことを考えてくださいよ。逆です! 戴冠後に、今の婚約を反故にしてセレーナを皇妃に迎えなさい。これからしばらく戦乱が続きます。共に戦った盟約者と結ばれると言えば、民衆はロマンスにうっとりしますよ。人気稼ぎに使うんです」
「なかなか魅力的な提案だが――セレーナはわたしと一緒に居ないほうがいいだろうな」
のろのろと言う。
トラバントはあからさまに顔をしかめた。
「なぜ。今さら惚れてないとか言い出したらぶん殴りますが」
「彼女は、わたしのために死ぬ気だ」
「……あの子は、最初から、そうだったじゃないですか」
少し悲しい顔になるトラバント。
わたしはぼんやりとつぶやく。
「そうだな。そうだった」
彼女のことが好きだ。
わたしを傷つけようとせず、屈しようともせず、愛してくれるひとが。
わたしを追って辺境までやってきて、敵を斬り伏せて見せるひとが。
セレーナがもっと、勝手なひとならよかった。
もっと、わたしを利用してくれるならよかった。
でも君は、わたしに捧げるばかりで。
わたしのためにドレスを捨てて、わたしのために剣を取り、わたしのために死地に赴く。
君はわたしのために、笑って不幸になっていく。
「わたしは彼女をしあわせにできない。どうふるまっても同じだ。おそらく、わたしがわたしであるかぎり、無理なんだ」
わたしはつぶやく。
トラバントは深い深いため息を吐き、苦く返した。
「……僭越ながら申し上げますけどね~、『他人をしあわせにしよう』なんてのがそもそもの思い上がりですよ。あの子は、僕らとは違う。根本的に自由なんだ。名誉ある死なんか要らない。貧乏でもない。騎士になる必要もない。なのに、あなたのために死ぬって決めている。自分で決めたんです。だから勝手にしあわせになるし、不幸にもなりますよ」
「お前、やっぱり頭いいな、トラバント。そう。そんなセレーナが好きなんだと思う。好きだから、別れるしかない」
「はあああああ……。浮気だってなんだっていっくらでもできる立場だってのに、難儀なひとたちですね」
トラバントがため息をつく。
わたしは少し笑って、心を決めた。
内ポケットから盟約者の短剣をとりだし、そっと執務机に置く。
心臓に近いところにあった短剣は、まだなまあたたかい。
「セレーナは実家に帰そう。お前はどっちがいい? わたしに着いてきて詩人をやるか、ここに残って新たな主君に忠誠を誓うか」
わたしが聞くと、トラバントは世にもイヤそうな顔をする。
「今さら選択肢があるふりをするの、やめません? 僕は、あなたのものです」
「そう言えばそうだった。こっちにおいで。頭でもなでてやる」
怒るかな、とも思ったが、トラバントは案外おとなしくそばに来た。
そのまま、慣れた狼みたいにわたしの足下にうずくまる。
「……いっそ宰相の座、もらおうかなあ……」
「お前、その仕事中毒なとこ、どうにかしたほうがいいぞ」
うめくトラバントがあんまりやけっぱちなので、せいぜいやさしく頭を撫でた。
これからは、また、うんざりするほど退屈な日々だろう。
でも、うんざりすることには慣れている。
きっと生きていける。
死ぬまでくらいは、生きていける。
そのために、まずはひとつ。
「退屈の手始めに、小鳥を片付けよう」
わたしはつぶやく。
同時に、執務室の扉が叩かれた。
「フィニスさま!!」
「ザクトか。どうした、そこで喋れ」
わたしが言うと、ザクトは扉の向こうから声を張る。
「はい!! あの……小鳥が、籠から逃げました!!」




