第75話 なんであなたが、今、ここに?
――セレーナ、集中せい。後ろから敵じゃ!! 真上から斬り下ろす!
安心しかけたとき、頭の中にシロの声が響いた。
「……っ!!」
怖い、と思うヒマはなかった。
私は身を翻し、同時に巨大な剣をかつぐように持ち上げる。
きぃん、と音がして、敵の剣と私の剣がかち合う。
「ぐっ!」
渾身の一撃を跳ね返された相手が姿勢を崩す。
私は手首を返し、相手の膝裏に剣を当て、力をこめて引いた。
ぬる、という、妙な手応え。
――斬れた。
わずかに遅れて、黒狼が相手の背中から飛びかかる。
「……!! ムギ!!」
「ぎ……ぎ、貴様ら……よくもぉ!!」
敵の恨みがましい顔は、すぐにムギの体で見えなくなった。
どくん、と、今さら心臓が鳴る。
片手剣の技しか出なかったけど、私の体は、動いた。
剣もそれに従った。手応えは軽かった。
――それでも、ひとを、斬った。
すうっと背筋が冷える。
その背中に、とん、とザクトの背中がくっついた。
「やったじゃん、セレーナ!! あとは前だけ見てな。初陣だしな!!」
「ありがと、ザクト!! これって、戦況どうなってるのかな? 魔道士から通信来てる?」
「ん? 敵騎兵先鋒はほぼ全滅。左右からの援軍、いまだ届かず。びびって逃げたかも。後方の本隊は、多分もうすぐ爆発するんじゃね、ってさ」
「ば、爆発!? 爆発って、」
どういうこと、と言う前に、周囲がカッと明るくなる。
どおおおおおん――と轟音が響き、空気がビリビリ震えた。
見上げると、敵後方からもうもうと煙が噴き上がっている。
「ば……爆発だね……」
「爆発だろ? ルビンさまの必殺技なんだ、あれ」
ザクトはむしろのんびりしている。
私は引きつった。
「マジか……。もうルビンひとりでいいんじゃない? っていうかあれ、水魔法?」
「水って、どーにかすると爆発するらしいよ? 知らんけど。で、ここって凍った水がいっぱいあるじゃん?」
「マジかあ……」
これはもう、終わったな、今回の戦闘。
剣を持つ手がゆるむ。
けれど、シロは緊張したまんまだ。
――セレーナ、よく聞くがよい。敵も、魔道士に勝てるわけがないと重々承知だ。ゆえに外法に手を染めると見た。
――外法? 外法って何? 魔法の一種?
――説明より見た方が早い。目をこらせ。
私は言われたとおり、目をこらす。
爆破のあと、辺りは段々静かになってきた。
狼たちが倒れた人たちの生死を確認して周っている。
撤退する敵が、生き残りの馬に必死にけが人を押し上げる。
置いていかれるのは静かになったひとたち。
つまりは、死体だ。
シロの言う外法の気配なんて、どこにも感じないけど……?
「セレーナ」
背後から呼ばれる。
フィニスの、声……!!
超高速で振り返り、私は叫んだ。
「フィニスさま!」
「よくやった。怪我は」
戦場なのに、優しい目だ。
神話の英雄そのものみたい。
「ないです、多分。あの――」
私は、シロの言ったことを伝えたかった。
でも、いきなり上がったフィニスさま濃度におぼれそう。
ううう、しみる……。
フィニスの姿と声がしみるよー。
「無傷なら何よりだが、最初の戦闘の怪我はあとで気づくからな。帰ってたらよく見てやる」
「はいっ。………………はい!? えっ、怪我を見るって、それって、私、脱ぎます?」
言いながら、ぽんっと顔が赤くなるのを感じた。
だって、赤くなるとこですよね!?
「あ。いや、わたしが直接見るとかでなく。全然まったくそうではなくて」
フィニスがしゅっと真顔になる。
あ、うん、ですよね。一切含みのない発言ですよね。
知ってた。
「わー、びっくりしたぁ。まあ別に今さらだし、見てもらってもいいんですけど!」
「よくないだろう。よくはない。今さらでもない。わたしがむしろそれが謝罪せねば男扱いしてしまったというか、まあ、何もわたしは君とないし当然だが!!」
「フィニスさま、文法が全滅してます。それより、敵!! 敵、どこまで追うんですか?」
さすがに恥ずかしくて、私は叫ぶ。
ルビンは『殲滅』って言ってた。殲滅って、つまり、皆殺しのことだ。
フィニスはすっと冷静になって答えた。
「この戦闘に参加したものを狩ったらおしまいだ。いずれは敵の援軍も来る。付き合っていたらきりがない」
「そうですか」
だったら近隣の村を焼く、みたいな話にはならないんだな。
私は少しだけ、ほっとした。
フィニスは言う。
「騎士のくせに、卑怯な戦いで驚いたか?」
「え!? いえ、それは全然です。びっくりはしましたけど、正しいと思いました。勝てましたら。……敵がどう思うかは、私にはわかりません」
私は正直に答える。
フィニスは少し目を細める。
「なるほど。敵も『びっくり』しているようだ。わたしが赴任してから、びっくりしっぱなしなのだろうな。だが、いずれはカグターニも対策を打つ」
「対策……そうだ、敵の対策ことなんですけど! シロが、敵が外法を使う、って言うんです」
気になっていたこと、やっと言えた。
私は胸をなで下ろし、フィニスは眉をひそめる。
「外法? 禁忌魔法のことか」
「そこは私もわかりません。魔法って、『楽園』の魔法使い以外でも使えるんです?」
私は肩に乗ったシロを見た。
シロは辺りの空気をふんふんと嗅いで黙っている。
代わりに、フィニスの傍らにいたザコ……じゃなく、普通の魔法使いが言った。
「きちんとは使えません。ただ、古い断片的な資料から魔法を再現する者はいます。そういった魔法は不完全で暴走しがちだ。危険なので、禁忌魔法と呼ばれるわけです」
「なるほど。暴発とかしたらイヤですね。あとは。」
――セレーナ、見ろ!! 来るぞ!!
不意にシロが首を伸ばす。
来るって、何が?
私はシロと同じ方向を見た。
「うわっ!? な、何!?」
思わず声が出る。
湖の上に、白い柱みたいなものが、いくつも、いくつもたたずんでいる。
白い、氷をまとった……。
人、なの……?
――下だ!!
シロの叫び。
私はとっさに後ろへ跳ぶ。
わずかに遅れて、足下から剣が生えた。
凍った湖から、真っ白な、凍りついた剣が!!
フィニスが無言で抜剣する。
振り下ろされるフィニスの剣。
きぃん!! と美しい音がして、二本の剣がかみ合う。
「……!!」
フィニスの顔がこわばる。
ぎり、と剣に力がこもる。
湖から生えた剣も、まったく退かない。
それどころか……ずず、ず、ずず、と、どんどん地上にせり上がってくる!
「フィニスさま!!」
加勢に加わろうとする騎士たち。
フィニスが叫ぶ。
「手を出すな!!」
……なんで!?
フィニスは、湖面をにらんでいる。
びっくりするくらい、余裕のない顔で。
じゃりん、とフィニスが剣を引き、後ろへ下がる。
湖面から生えた剣は長さを増し、ついに、剣を持った男性が湖上に『生えた』。
……きれいな、ひとだった。
波打つ長い髪に、夢みるような瞳。
全身を鎧に包んだ、二十代後半くらいの美青年。
彼は全身にびっしり霜をつけた姿で、唇を動かす。
『フィニス』
――あ。
この人、私、知ってる。
直接じゃないけど、知ってる。
めきめきと音を立てて両腕を持ち上げ、『彼』は囁く。
『会いたかった。君に、会いたかった。会いたかった。会いたかった』
「貴様は、誰だ」
フィニスの声は冷たい。
そして、少しだけ震えている。
『彼』は優しく、乙女みたいに笑う。
『わたしの、盟約者』
「なぜ、貴様は、アクアリオの顔をしている!!」
フィニスは叫び、ひと思いに斬りこんだ。
『彼』は――アクアリオは、その剣を軽々と受け流す。
この人は、アクアリオ。
フィニスの最初の盟約者。
そして、昔フィニスが殺した男だ。




