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第54話 こんな詩は、びっくりするほど趣味じゃないです。

 退団願い。

 冗談っぽく言ったつもりでも、重い言葉だ。

 ザクトとジークがはっとしてこっちを見る。

 シュゼは、淡々と言った。


「別に、困りはしない」


「えっ、ほんとですか!? やったー、書いてこよう!」


「ただし、騎士団を辞めた後は何をする?」


「辞めたあとですか? そうですねえ。インチキ紋章官になって各地を巡って、貴族になりたい若者の家系図をねつ造しまくるのはどうです? これであなたも貴族の血! 今なら伝説の竜殺しの逸話もおまけでつけるよ~~みたいな商売、向いてると思いません?」


 僕は口から出任せを言う。


「と、トラバントさま、普通に犯罪ですけど、それ……」


「それがありなら、先に俺の家系図改変してくれません!? 初期値つよつよで楽したい!!」


 ジークは青ざめ、ザクトは勢いこむ。

 実に無邪気だ。


「嫌です、ザクトくんはどうせその愛嬌と剣の腕で一生上手くやってけるので」


「えー!? 褒められてるのに全然嬉しくないな!?」


 肩を落とすザクトに、僕はうっすら笑う。

 ばーか。

 インチキ紋章官だなんて、冗談に決まってるでしょ。


 辞めたあとのことなんか考えていないけど、多分、遠くへ行くだけだ。

 周囲に僕と詩の気配しかないくらい、遠くへ、遠くへ。

 そして――。


「却下だ」


「シュゼ」


 僕は眉をひそめる。

 シュゼは丸太のような腕を組んだ。


「お前にしては作り話が雑だ。認めん。退団願いを出すなら、俺が決闘をもって異議を申し立てる」


「決闘!? あなたが、僕にですか!?」


 僕は叫び、ザクトは口笛を吹く。


「ひゅーーー!! 盟約者同士の決闘、燃えますね! 俺、最前席よーやくっと!!」


「燃えてる場合じゃないよ、ザクト! トラバントさま、剣術はほどほどなんだから!! 普通にへし折られちゃうよ!!」


「はい、二人とも正直!!!! もうちょっと遠慮とか配慮とかはないんですか!? 大体騎士団内での決闘は流血禁止だって知ってるでしょう! 剣術以外の勝負だったら、僕にも勝機はありますし!!」


 僕が怒鳴ると、狼たちもわうわうと加勢してくれる。

 ありがたいんだけど、どれだけ同情されてるんだ、僕は……。

 シュゼはというと、びくともしない。


「どんな勝負だろうと、絶対に負けん。俺はお前が退団を諦めるまでやる」


「うわあ、本気の目。獲物を決めたら死ぬまで追い続ける野生動物の目。僕はどうしてこんな横暴な人間を盟約者にしてるんだろ、めんどくさ……」


「忘れたのか?」


「はい? 何を?」


「俺を盟約者にした理由だ」


「あー……えーっと」


 そういえば、本当に、なんでだっけ。

 親と、兄のもとから離れたい一心でやってきた黒狼騎士団。

 そこで、盟約者を決めろと言われて、それで……。


「お前は、『あなたは騎士団一、詩のわからない男です。だからいい』と言っていた」


「………………過去の僕、失礼ですね!?」


 思わず叫ぶ。

 シュゼは静かにうなずいた。


「とても、な」


「あはははははは!! ウケる~~、でも、副団長らしーーでふ!!」


「うひゃひゃひゃひゃ~、副団長、基本毒舌だけど、いっつもいいひとがにじんじゃってまふよね~~~」


「あなた方の反応もおかしくないですか……って思ったら、いつの間にか酒瓶が開いている……なるほど……?」


 ばか笑いするザクトとジークを前に、遠い目になる僕。

 シュゼは続ける。


「もう一度考えろ。今のお前は、あのころと同じ顔だ」


 ……。

 ………………。

 あのね。

 だから、嫌なんだ。

 観察眼が鋭くてめちゃくちゃ勘がいいタイプは、言葉を封じてくるから。


 やれやれ……もう一度って、何を考えたらいい?

 入団時の僕は、過去と決別したかった。

 自分の詩のことも、忘れたかった。


 僕の詩は、結局ものにはならなかった。

 十歳のとき兄に見せた詩は、添削するから、と取り上げられた。

 そのまま、何日も、何十日も返事がなくて。

 僕はついに、兄に詩の評価を聞きに行った。


『兄さん。その……』


『手短に話してくれ! 忙しいんだ』


『僕の、詩は! どうでしたか……』


『ああ! あれか』


 兄は、迷惑そうな顔と、嬉しそうな顔をした。

 そして、あっさり言った。


『なんであんなにつまんなく書き直しちゃったんだ? あれじゃだめだ、なんにもならん』


『え……』


 びっくりした。

 なんで、って?

 なんで書き換えたかって、それは、あなたが。

 兄が、直せと言ったからで。

 直せば、使えるかも、と言ったからで。


 兄はにっこり笑い、僕の肩を叩いた。


『まだ早かったのかもな。だけどまあ、書き続けろよ』


 ぽかんとしていた。

 十歳だった。

 同じく十歳のころ、長兄は神童と呼ばれていた。

 次兄は次兄で、生まれたときからずっと、美しさを誉め称えられていた。

 ――そして、僕は。


『一緒に来い。お前は一生俺の手伝いをしてくれなきゃ。俺は何しろ、これだからさ』


 兄はおどけて、自分の頭のてっぺんに手を置く。

 自分は病気があるから、健康で普通なお前は手伝え。

 それが、彼の切り札だった。

 

 あれ以降、僕は自由に書けなくなった。

 書いているところを見つかれば、すぐに口を出される。

 背後におびえ、石版や帳面を隠し続けた。

 

 だから騎士団に来たとき、一番詩がわからない男をそばに置こうと決めたんだ。


「……考えました。思い出しました。確かにあの頃の僕は……って、全員寝てますね!?」


 叫んでしまってから、口を押さえる。

 すう、すう……と辺りに響く寝息。

 誰も起きなかったみたいだ。


 考えているうちに、ずいぶん時間が経ったらしい。

 床にはいつのまにか出されていつのまにか空になった揚げ芋の皿とか、酒瓶とかがごろごろ転がっていて、その隙間にザクトとジークとシュゼが転がっている。

 僕はため息を吐いた。


「……ほら、狼たち。ご主人をあっためてあげなさい。夏とはいえ、風邪を引きます」


 僕が言うと、二匹の狼が音もなく床へ下りる。

 僕も寝台から降り、壊れそうなものを書き物机へ移動させた。

 そこには、すでに見慣れないものの山がある。


「団員からの差し入れの類いですかね。僕の意志はともかく、いないと困ると思われてる、ってことだ」


 積まれているのは、上から、大きな葉に包まれたサンドイッチと小型の酒瓶。

 暇つぶしの葦紙本。追加の毛布。

 そして、一番下に、薄いけれどきちんと装丁された羊皮紙本があった。


「……?」


 思わず手に取る。

 実家から持って来たものではない。

 図書館の本は鎖がついていて持ち出せないから、それも違う。

 真新しく、インクの匂いすらしそうなそれは――詩集だった。

 急いでオイルランプをつける。

 ページをめくる。

 めくる。

 めくる。

 最後までくると、挟まっていた葦紙が落ちた。


 そこには、見慣れたフィニスの筆跡で、こう書かれている。


『お前の趣味がさっぱりわからないので、適当に選んだ』


「ほ……ほんとに全然……全っ然わかってないですね!!」


 今度こそ叫びかけ、また口を押さえた。

 この詩集、フィニスからだ。

 ヴェーザでのデート中に買ったのだろう。


「こんな高価なものをわざわざ……しかも、一切ちっともさっぱり完全に僕の趣味じゃない! 多分これ、セレーナの趣味ですね? あの人、女ウケ最低で教養にもならないような詩人知ってるからな。っていうか、そうだ、そうだった。フィニスってそもそも、詩がわからない人だった」


 自分にさんざん詩の講義をさせたのに、ここまで趣味が伝わっていないとは。

 つまり、彼は。

 フィニスは、僕の詩も、一切わからないんだ。

 僕に才能があるかどうかも。

 僕の詩が、本当に歴史に残るかも。

 一切、全然、わかってない。


「わからないのに、自分を歴史にしろとか言ったんです? アホでは? そんなの……」


 僕は言葉を切る。

 そんなこと、もうとっくにわかってたはずだった。

 フィニスは、自分に理解の出来ない才能も、傍らに置ける人だった。


 兄とは、全然違う人だった。


 兄が嘘を吐いたのは、永遠に僕を手下にしておきたかったから。

 フィニスが嘘を吐くのは……多分。


 僕を、生かしておきたかったから。

 それだけ、だ。


「……バカすぎて、ちょっと美しいじゃないですか」


 僕はつぶやく。

 なんだか、すっかり目が冴えてしまった。

 椅子に座ると、足下にぎゅうぎゅうとサラが入りこんでくる。

 もふもふに足先を突っこんで、僕はもう一度、詩集を最初からめくり始めた。


 まったく趣味じゃないこの本の中にも、多分。

 この世の真実は、ある。

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