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第53話 で、どうして僕の部屋で宴会なんですか?

「トラバント、お前の詩を見てやるよ」


 長兄に言われたのは、僕が十歳くらいのときだった。


「えっ、あっ、でも、誰かに見せるために書いてるわけじゃ、なくて。兄さんに見せるのは……恥ずかしい、です」


「ばーか、詩なんて人に見せてなんぼだろうが! 見せろ見せろ、俺は詩にはうるさいぞ」


 笑いながら、兄さんは僕から帳面を奪った。

 兄さんは僕と同じくらいの背丈で。

 でも、十八歳だった。


「……おい、いけるぞ」


「いける……って?」


 おそるおそる顔を上げる。

 兄さんは僕を抱きしめた。


「お前の詩だよ!! おいおい、すごいじゃないか!! これで十歳か? とんでもないな。お前は生まれつきの詩人だよ、才能がある! 最高だ!!」


「才能。僕に」


 息が、詰まった。

 目の前が光でチカチカした。

 すごい。兄さんが――誰もが認める天才の兄さんが、僕を、褒めている。

 あふれんばかりの商才背負って生まれた兄。

 背が伸びない病気にかかってさえ、両親からの期待を両肩に担う兄。

 その兄が、にこにこと笑って言う。


「うん。でも、商売にはならないな」


「あ」


 もう一度、息が詰まる。

 兄さんは目をきらきらさせて続ける。


「なあ、トラバント! これだけ書けるなら、俺の言うようなやつを書けよ。きっと売れるぞ。お前は詩人になれ!――生きている意味は、わたしがやる」


 最後のひとことを言うとき、兄の顔は世にも美しい顔に変わった。

 作り物みたいな白い肌。

 金の瞳。

 フィニスの、顔に。



□■□



「あっ、起きました!? 大丈夫ですか、トラバントさま。結構うなされてましたけど!!」


「しっ、静かに、ザクト。起き抜けにそんな大声、だめだよ」


「…………誰だ? ザクトに……ジーク?」


 僕はうっすらと目を開ける。

 見えたのは――真っ黒なもふもふだった。


「!? な、なんだ、サラ? だけじゃない、な!? わぶっ!!」


 寝台から飛び起きようとする。

 が、一瞬早く、巨大なもふもふが僕を押し倒した。


「うるるる」


「るる……」


「わふん!」


「さ、三頭!? なんで黒狼が三頭も寝台にいるんです? 寝台が軋んでるじゃないですか……。誰です、自分の狼を放置してる飼い主は!!」


 みっしりとしたもふもふをかきわけ、僕は叫ぶ。

 副団長の僕に割り当てられた部屋はまあまあ広い。寝室と居室が一緒になった一室だ。

 その床に、見知った騎士が二人、座りこんでいる。


「すみません、副団長。昨日の夜、ムギがどうしてもこのお部屋に行きたがって……普段はそこまで主張が強くない子なんですけど」


 おそるおそる言うのは、ジーク。

 おとなしく小柄だが、バランス型の騎士。


「そーかなあ。温泉の時とか、めっちゃくっちゃ主張強かったじゃん、色々と」


 頭の後ろで手を組んで言うのは、ザクト。

 真っ赤な髪の、実戦剣術特化型の騎士。

 ふたりは盟約者で、同じ部屋に住んでいるはずで……それは問題ないんだが。

 僕は自分の眉間を押さえた。


「……ええと。つまり、ムギが僕のところへ来たがって、ジークもザクトもそれを止めず、狼と一緒に僕の部屋に不法侵入したあげく、床で寝てた、と……?」


「さ、さすがにそんな失礼はしてないです! トラバントさまが起きるまで、夜通し札勝負してました」


 にっこり笑うザクト。

 びき、と僕のこめかみに血管が浮く。


「なるほど~、だったら安心……ってなるかーー!?!? なりませんよ! 全然さっぱりそうなりませんよ! そもそもどうやって室内に入ったんです!? 僕は今謹慎中で、部屋の鍵は盟約者が持ってるはずなんですけど!?」


「俺が入れた」


 低い声に、はっとして見上げる。

 心配顔の狼たちの向こうにたたずむ、静かな巨体。

 ダークブラウンの髪を刈り込み、真っ黒な目で僕を見下ろす男。

 彼は僕より三つ年上の、僕の盟約者だ。


「シュゼ。……あなたは、あまり悪ふざけをする人種だとは思ってませんでした」


「ふざけてはいない」


 即答。

 そう。シュゼは、ふざけない。

 軽口のひとつすら叩かない。

 出会った当初は「心」というものがないのではないかと疑った。

 それくらい無口で、真面目で、どこか野性の獣じみた騎士だ。

 シュゼは言う。


「狼には従うべきだ。彼らの鼻は、人間の言葉に惑わされないから」


「それは……まあ、騎士団のことわざみたいなものですが」


 僕は口ごもった。

 シュゼは続ける。


「狼たちがお前を心配して寄ってきた。お前が弱っている証拠だ。それを同じ人間が放置するのでは、狼たちに顔が立たん」


 ……はー……。

 やりづら。

 なんでここには、鼻のいい奴らしかいないんだろ。


「いやー。実は俺も、第一報を聞いたときからお祝いしたかったんですよね!」


 ザクトはうきうきしている。

 お前は本当に無神経だけど、まだ扱いやすい。シュゼとかフィニスに比べたら千倍いい奴。

 僕は答えた。


「祝われるようなことは何もありませんけど? 僕が謹慎しているのは、ヴェーザで無断外出したからです。その間に、フィニスさまとセレーナと婚約者殿は危険な目に遭った。何も、本当に、何ひとつめでたくない」


 言いながら、僕はいらいらしはじめる。

 フィニスは僕の罪を軽くした。

 笑い話と、謹慎で済むくらいに。

 だからって、僕の失態が消えるわけじゃない。

 実家からの指示が雑だったとはいえ、もう少し、あと少し上手くやれたら。

 あと少しだけ、自分の心が、揺らがなかったら。


 ……無能だ。僕は。


「……それで、夜中にホテルを抜け出して会いに行ってらしたお相手って、恋人ですか? 商売女ですか?」


 ジークがもじもじしながら言う。

 僕は息を吸い、むせた。


「ぶっふげっほごっほがっはげほ!!!! はー…………なんだ、その発想……下世話すぎて突っこむのすら無駄。その労力さえ惜しみたい気持ちです、今……」


「すっ、すみません!! あっ! ちなみに僕、どっちでもいいと思います! 恋人に会ってたんだったら、一途で素敵だなって思うし、商売女だったら、騎士団の『恋愛禁止』の決まりに従ってて素敵だなって思うし!」


「そうですよ!! 団長は最近ああだし、トラバントさまが恋愛しててもフツーですって! むしろ今回のことで俺たち、副団長も人間だったんだなって嬉しくなって……いっぱい、酒持って来ました!!」


 なるほどーなるほどー?

 床にめっちゃ酒瓶あるなって思ったらそういうことか~。

 いいなー、明るく楽しく女の子と遊んできた奴らの発想は明るくて〜。

 どうせ金目当てとか金目当てとか金目当てとかで『私、詩に興味あるんですぅ』ってやって来る嘘下手女を追い返しまくってたら猛烈な悪評立てられたり、真剣に付き合った子を脳みそ空っぽの二番目兄貴にとられたり、そもそも幼少期に金で売られる女の子を助けたくて地面に額擦り付けて親に頼んだら『欲しいなら買ってあげるけど、最後はちゃんと山に捨てなさいね』って言われたり、そんな思い出ないんだろうなー。


 ……ま、ないほうが、いいけどね。


「シュゼ……。申し訳ありませんが、僕、疲れました。このバカどもを追い出してくれませんか……。僕は力が出ません」


 僕は寝台に倒れこんだ。

 途端にもふもふたちがみしっ! ぎしっ! と僕に密着し直す。

 暑い……。

 でも、押しのけるのも、面倒……。

 シュゼはそんな僕を見下ろして言う。


「つまみは芋の揚げたのでいいか」


「店か、ここは!!?? やめてください、そんなもの出したら匂いで他のも集まってきますよ!! 男どもはいくつになっても揚げ芋が好き!!」


 うっ、つらい。

 ちょっと怒鳴るだけでものすっごい疲れる。

 大した怪我をしたわけでもないのに、なっさけない。


「いーじゃねーですか、副団長! どう考えても絶対怒ってないですよ、フィニスさまは。だから自室謹慎とか軽い罰にしてんだし、そんなことしたらみんなが持ち込み宴会始めるのもぜーーーったいわかってますって!」


 ザクトが元気に言う。

 フィニスの名前を聞くと、ぞわっと鳥肌が立った。


 ――こわい。


 思い出してしまう。

 闇の中で差し出された手を。

 つめたく光っていた、金色の瞳を。


 あの夜のフィニスは、僕の願いを知っていた。

 僕の本心を。

 

『もううんざりだ、誰でもいいから、僕のことを殺してくれませんかね?』


 そんな、心の声を。


「……やれやれ。ムギ。お前は、何を嗅ぎつけてきたんです?」


 僕はのろのろとムギを撫でた。

 ムギは首をかしげている。

 その目は、どこか、僕を哀れむようで。


「トラバント」


 シュゼが枕元から声をかけてくる。

 僕は言う。


「シュゼ。僕が退団願いを出すと、困ります?」

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