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第49話 最推しは、最凶の人たらしです!!

「死を」


 ぽかん、とトラバントが繰り返した。

 フィニスはトラバントに近づく。

 ゆっくり、ゆっくり。

 なんでだろ。

 私はいつも以上に、フィニスから目が離せない。


 フィニスは言う。


「皇帝になろうと、なるまいと、わたしには死の影がつきまとう。死んだ人間は腐るだけだ。腐らないのは、言葉。お前はわたしの詩を詠い、『歴史』にしてくれ」


「――は! なんとまあ強欲な。死してなお世界に名を残す。ただの人間以上のものになる。あなたに、そんな欲があったとは」


 トラバントは必死に答えた。

 皮肉っぽく喋ってるけど顔は真っ青。

 怖いくらい汗をかいている。


 ――ガッチガチにおびえておるのう、トラバント。まあ、仕方あるまい。


 シロの声に、私は反応した。


 ――ねえ、シロ。トラバントって、首飾りを盗んだ時点で死ぬ覚悟くらいしてたよね。なのに、なんでここまでおびえてるの……?


 ――ふむ。まだセレーナちゃんにはわからんか。トラバントがおびえているのは、自分の本心に対してじゃ。


 トラバントの、本心?

 自分の心に、おびえる……?

 それって、どういうことだろう。

 不思議に思いながら、私も、拳の中にひどく汗をかいていた。


 フィニスは歩く。

 こつり、こつりという軍靴の音と、彼の声が重なる。


「つまらんセリフだな。賢い十歳がしぼり出したようなセリフだ。そんな、お前にふさわしくないことしか言えないのなら、黙ってしまえ」


 うわあ……うわあ、うわあ、うわあ……。

 賢いトラバントに、そんなこと言う?

 しかも、ものすごく優しい声で。

 ものすごく、きれいな横顔で。

 いつもは萌えたぎるところだけど、さすがに今はそんな気分になれなかった。

 フィニスの優しさも美しさも、今はひどく残酷に思える。

 トラバントは、と見ると、彼はひどく、瞳をゆらしていた。

 まるで、泣き出す寸前の子どもみたい。


 フィニスはトラバントの前に立つと……なんと、彼の髪を整え始めた。

 彼の銀髪をすきながら、フィニスは言う。


「トラバント。お前があっさり生きる意味をなくしたのは、生きる意味を考えるのが下手だからだ。お前は詩を考えるために生まれた。ならばそれだけ考えていればいい。生きている意味はわたしがやる」


 フィニスが言い終えると、ぼたぼたっと、トラバントの目から涙が落ちた。

 トラバントはフィニスの両手をつかむ。


「……ちがう。違う。違う、違う、違う。甘言だ、嘘だ、あなたは、僕を殺そうとしている。僕の、意志を。僕の、誇りを……僕の、今までの、人生を」


「お前が死んでも、詩は残る。真実が、この世界に残る」


「ちがう、そういう話を、してる、わけじゃ、な……い」


 トラバントの声には、もう力がない。

 折れたんだな、このひと。

 私が直感した直後、トラバントの体はふらついた。

 すかさずフィニスが抱きとめる。

 そのまま背中をトントンして、フィニスは言った。


「――今まで、無理をさせたな」


「………………っ」


 返事はなかった。

 抵抗も。


 なんだか、すごいものを、見てしまった。

 人の心が折れる瞬間を、見た。

 最愛の推しが、人の心をへし折って、自分のものにする瞬間を、見た。


 フィニスは――私の、推しは。

 私が思っていたのの千倍くらい、皇帝に向いているのかもしれない……。

 

「……セレーナ。これは……わたくしが見ても、いいものでしたの……?」


「あー……フローリンデ。ごめんね、いきなりの衝撃場面を見せて。たぶん、フィニスさまは生まれながらのひとたらしなんだけど、さすがにここまで特濃なやつはめったにないから……。今日は大当たりだったってことで」


「大当たりでしたの、ならばほっと……できるわけがないと思いませんの!!?? たまにはある時点で黒狼騎士団、相当おヤバいですわよ!? 団内の風紀は一体どうなってるんですの!?」


「落ち着いて、フローリンデ。風紀自体は全然乱れてないよ。ほら見て、一見ただの熱い抱擁だよ」


「一見してもハレンチだし、三度見しても宇宙規模のお色気ですわよ!? わたくしが今、どれくらいの衝撃を受けたかわかってらっしゃいますの!? 今の十秒でわたくし、黒狼騎士団内の熱く儚い絆について全三巻分をかるーくしたためましたわよ!!」


「それ、ちゃんと書いて、あとで絶対読ませて。今はちょっと余裕がなくて……」


 私は笑ってごまかしかける。

 そのとき、フィニスはトラバントを押しのけた。


「いつまで泣いている。きちんとひざまずけ。わたしの剣に忠誠を誓い直すといい。手順はわかるな?」


「うぐぅ……っ!!!!」


 ――大丈夫か、セレーナちゃん。今、脈が尋常ではない感じになっとるぞ。


 大丈夫……な、わけが、あるかーーーーーー!!!!!

 ちょっとーーーーーーー!!!!

 フィニスさま、なんで!? なんで熱い抱擁で終わらなかったの!?

 なんでめちゃめちゃ優しい顔のまんまでトラバントを引っぺがすの?

 ほらーーー、見なよ!!

 捨て猫みたいな顔してるじゃん、トラバント!!

 捨て猫みたいな顔で、よろよろひざまずくじゃん……。

 フィニスさまは、なんかもう、慈悲の顔で見下ろすじゃん……。

 ……………………………………。

 ………………………………。

 …………………………。

 ――おっと、気が遠くなった。まずいまずい。死んでもここは見届けないと。

 でも、正直はちゃめちゃに辛いです。

 なんか、いつもの萌えとは別次元の萌えが爆発して色々と消し飛びました。

 心が追いつきません。今、私、すっごい真顔で真っ白になってると思う。


「守備範囲外だったのにッ!! こういうのは守備範囲外だったのに!!」


 フローリンデはフローリンデで、派手に嘆いてる。

 声に出せるだけ、フローリンデは体力がある。

 萌えにも体力が必要。

 これ、多分、真実です。


「……道端の小石ですら何かに目覚めそうな光景だからしょうがない。今、ここが爆心地。私たち、生きてるだけで偉すぎる」


 私はのろのろと口を開いた。

 その間に、騎士の誓い的なあれこれは終わった。

 トラバントは可哀想に、まだふっらふら。

 ふっらふらなのに、フィニスはフローリンデに話しかける。


「見苦しいところをお見せしてしまいました、フローリンデ嬢。あなたには一切関係のないことで、あなたの心を乱したこと、深くお詫びいたします」


 ひゃー……。

 こんなときなのに、フィニスの婚約者あしらいは完璧だ。

 完璧に、婚約者のことを信じてない。

 何が一切関係ないの?

 選帝を巡る諸々が、婚約者に関係ないわけないじゃない……。

 

 私がしょんぼりしていると、フローリンデが言う。


「選帝を巡る諸々が、婚約者に関係ないわけがありませんわ、フィニスさま」


「えっ」


「どうしました、セレーナ」


 フローリンデはきょとんとして聞いてくる。


「う、ううん、なんでも」


 私はぶんぶん首を振った。

 フローリンデは私に笑いかけ、フィニスに向き直る。


 そうして、ビシッ!! とフィニスを指さした。


「あなたのような凶暴な人たらし、皇帝になったら災厄を呼ぶに決まっています。帝国の公爵令嬢として、見過ごすわけには参りません。


 ――わたくし、あなたとの婚約を破棄いたしますわ! ここではなく、現皇帝の目の前で。もう引っ込みがつかなくなるような場所で、徹底的に、破棄して見せます!!」

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