第48話 皇帝になったら戦争だなんて、私、困ります!
「戦争って……全世界がフィニスさまの美貌を巡って争う、ってことだよね?」
「だよね、じゃない。三歳児にもわかる言葉で説明するとですね――」
トラバントの言うには、こういうことらしい。
現皇帝は、若い頃は『賢帝』と呼ばれて人気もあった。
やたら領土を広げることなく、内政を頑張ったから。
でも、歳をとってから印象は急降下。
皇帝はどんどんお金に汚くなって、宮廷は完全な賄賂体質になってしまった。
「無理矢理な人事やって、宮廷で斬り合いが起こったとかもあったよね」
私が言うと、フローリンデもうなずく。
「わたくしは、四十歳年下の愛人のために、『楽園』の許可なしで魔法花火を上げた話が好きですわ。情熱的で」
「わたしは武術大会で売るお酒を甘いやつに絞った話が印象的だったな。あれで騎士団内でも、甘い酒派と辛い酒派で殴り合いの喧嘩がいくつも起こった」
フィニスまで同調するので、トラバントの眉間の皺は深くなる。
彼は続けた。
「……とはいえ、商人としてはありがたかったんですよ、現皇帝。ちゃんと商売感覚があったんで。国を治めるのも一種の経営ですから。だけど愚かなる民衆は、現皇帝とは真逆の新皇帝を迎えたくてうずうずしている。あげく、フィニスさまの他の有力皇帝候補は相次いで醜聞で人気を落としてしまった」
「へええ。選帝って、そこまで民衆人気とか気にするものなんだね?」
私が感心すると、トラバントは肩をすくめる。
「一種の人気投票みたいなもんですよ。民衆の人気が取れない皇帝を選んだらホイホイ反乱が起きて、誰かがそこにつけこもうとする。そうなったら選帝侯のメンツ丸つぶれです。で、フィニスさまのいいところは、とにかく、若い! 美しい! 金に清潔! これにつきます」
「最高では!!??」
「ものすごい速さで返しますね、セレーナは。まあ、民衆的にも最高なんですが、まっさらというのは強固な後ろ盾が少ないという意味でもあります。後ろ盾が多ければ、そっちに便宜を図るためにある程度汚れなきゃいけませんから」
「……それで、戦争、ということになるんですのね」
ぽつり、とつぶやくフローリンデ。
トラバントはうなずいた。
「後ろ盾の弱いフィニスさまが皇帝になれば、そのあとはとっとと侵略戦争でもしないと長続きはしないでしょう。……だけどねえ、僕の家はすでに充分潤ってる巨大な商家です。不安定な時代はまっぴらだ。戦争を呼ぶ英雄より、平和を維持してばんばんうまい汁を吸わせてくれる皇帝のほうがありがたいんですよ」
そうか。そうなんだ。
私はぼうっとしてしまった。
フィニスって、皇帝になったら戦争するんだ。
そんなこと、考えたことなかった。
婚約者としての彼はいつだって美しくて、ただ、それだけだったし。
「――それで? お前が盗んだ首飾りには、何かいわくがあったのか? 他の皇帝候補を追い落としてしまうような、醜聞の種でも宿っていたか」
フィニスが言う。
トラバントはちょっと笑った。
「ですねえ。本当は僕から婚約者殿に贈るふりで、僕の実家に送る予定だった。婚約者殿には実家から別のものが行くはずでした。だけどまあ、もうどーでもいいです。どうでも」
「そんなことを言わせたくはなかったな」
フィニスが笑い返す。
トラバントも笑い続けている。
「僕は元々、人生どーでもいいので」
「詩人になれなかったから?」
詩人、といわれると、トラバントの顔はこわばった。
「なんですか。今さら僕に何を望んでるんですか、あなたは」
声も険しい。
きっと、真剣なんだろうな。
詩については、絶対にふざけていられないんだろう。
そんなトラバントに、フィニスは考え考え言う。
「――わたしが婚約と皇帝の座を放棄すれば、お前は生きられるんだろうか、と考えている」
う、わ。
……ほんと?
ほんとにフィニス、婚約と皇帝になるの、やめちゃう?
わーーーー、やったー!!
そうなったら多分、暗殺はなくなるよね?
私の目標達成だよね?
やったやった、苦節十五年がここで報われる!
いやー、案外早かったし、私もフィニスも大けがもない。
二度目の人生、めちゃめちゃ上出来なのでは!?
ひっそり盛り上がる私の前で、トラバントは無情に続けた。
「そう上手くはいきません。政治なんですよ、フィニスさま。誰が皇帝になるのか、決めるのはあなたじゃない」
「そうだな。そして、この場でまともな政治をやれる人間はお前だけだ」
フィニスはトラバントに向かって言う。
ごもっともです。
反論の余地なし。
私は小さくなる。
トラバントはうっすら笑い、サラの首を抱いてのろのろと立ち上がった。
「だから僕に生きろ、自分のために働け、って言いたいんですか? 勝手ですねえ。勝手すぎて反吐が出る。反吐のついでに、簡単な政治のコツを教えましょうか。まずは、この世には善人も悪人もいないってことを頭にたたき込みましょ?」
「善人も、悪人も」
素直に繰り返すフィニス。
トラバントはうなずく。
「人間ってのは小川です。高低差があるから流れる。小石があったら水がはね、地形によってうねる。暴れ狂う時は大雨のあと。寄り集まって大河になれば国を興すし、滅ぼしもする。ただ単にそれだけ。
小川自体は残虐でもないし、人の喉を潤すつもりもない。人間も同じです。ただふわっと流れてるだけなんだから、為政者のやるべきは灌漑ですよ。災害が少ない形に土地を整える。それだけを考えること」
うーん。
うーーーーーーん。
まあ、そう、なの、かな?
納得はできる。納得はできるけど、したくない気もする。
フィニスは素直に答えた。
「真理に聞こえるな」
「真理。……真理ね。いや、こんなのは子どもだましです。この世に真実なんかない。あるとしたら、詩の中にだけです」
言い切ったトラバントは、なんだかきれいだった。
ちょっとよくないきれいさだな、と思った。
あきらめから来るきれいさだった。
何か、言わなきゃ。
もっと、あきらめないで生きてよ、って。
私は口を開けて、ためらう。
その間に、フィニスが言った。
「ならば、お前は詩をやれ」
「はあ? 今さら、どこで? 退団を認めてくださったとしても、実家は認めませんよ。僕はあなたのそばに居て、実家の都合がいいときに役に立つ。そういう存在じゃなきゃ生きている意味がないんです」
「お前の詩は、そんなものに負けるのか」
「は?」
トラバントはさも嫌そうに言う。
でも、その声は、ちょっとだけ震えていた……気がする。
フィニスは続けた。
「詩だけが真実だと言った。真実というのは、実家の都合だのなんだのに負けるのか」
「……真実は永遠ですよ。でも、」
「負けたのはお前だろう」
「っ………………」
トラバントは青ざめた。
叫ぶのかと思ったけど、逆だった。
黙って、深くうつむいてしまう。
フィニスは言う。
「詩人になれなかったからと言って、生きる意味すら投げ捨てたのはお前だろう。まだ生きているのに。実家のためだからと言って、自分が勝ち得た騎士団での地位すら放り投げたのはお前だろう。賢いのに、考えるのをやめたのはお前自身だ」
きっ、つ、い、な!!
フィニス、きつい。めちゃくちゃにきつい。
私はトラバントの代わりにぐっさぐさに傷ついた。
ひいひい浅い息を吐いている間に、フィニスは続ける。
「もうお前は戦わなくていい。――わたしの傍らで、わたしの死を語る、詩人になれ」




