第47話 婚約破棄だなんて、あっさり言わないでください!
「えっ」
フィニスが声を上げ、私を振り返る。
あ、はいはい。そうだ、フローリンデから私への、愛の告白があったもんね。
動揺するよね、そりゃ。
「フィニスさま、これには理由があって」
説明を始める私を、フローリンデがさえぎった。
「理由も何もありません、わたくしたち、すでに永遠を誓いましたの。生きている間も、死の門をくぐった後も、けして互いをひとりにはしない、と――ですのでフィニスさまとの婚約の件は、きっぱり破棄ということでよろしくお願いいたします!!」
「思い切りがよすぎるよ、フローリンデ!! っていうか誓ってないよ、全然誓ってない! フィニスさま、落ち着いてください、って、あっ、何、フィニスさまの顔が爆裂にきりっとしてる!? すごっ、すごくかっこいい!! だけどその顔のフィニスさまって大体混乱してるだけだって、私知ってる!! それはそうとかっこいな……!!」
超高速で喋りまくるフローリンデと私。
フィニスは完璧な形の額に革手袋の指をあて、うめくように囁いた。
「――待ってくれ。今、わたしの中では喜びと困惑が壮絶なる殴り合いをしているところだ。現在七戦目まで進んだが、すさまじい荒れ試合で双方血まみれだし、なんならそれぞれ三回ほど死んで転生を繰り返している」
「やっぱり混乱してる!! 大丈夫です、私とフローリンデはただの友達です!!」
私は言い切る。
直後、フィニスの顔が視界いっぱいに広がった。
「だったらわたしのほうが君と親しいな? 盟約者だしな?」
「ち、近い近い近い近い!! 魔法並みの機動力をこんなところで見せつけないで!! うわあ~~しかもこれだけ近づいてもアラが見えない、奇跡……!!」
「拝まないでくれ、セレーナ。気をしっかり持ってもう一度、フローリンデとは友達だと言ってくれ」
「ねー……。給料も出ないのにわざわざ口を挟みたくもないんですけど、どうしてフィニスさまはごく自然にお嬢さん同士のたわごとを本気にしてるんですかねぇ……。公爵令嬢の結婚なんか、政治ですよ、政治。本人の意志なんか関係あるわけないじゃないですか」
疲れ果てたトラバントの声が聞こえる。
公爵令嬢の結婚は政治。
そう、私はそれをよく知っている。
フローリンデだって、知っているはずなのに、なんでこんなに強くいられるんだろう。
フローリンデは私に近づいてきた。
彼女は背後から私の両肩をつかみ、フィニスとトラバントを見つめる。
「盟約者というのは、あくまで騎士同士の絆ですわよね? だとしたらそのままで結構です。戦場のことはわたくしが口を出すべきではありませんもの。セレーナの盟約者はフィニスさま、結婚相手は私、ということで手を打ちましょう」
「………………!!」
「誰も僕の言うこと聞いてませんね!? 本気でいじけますよ!?」
「ちょっと待ってトラバント!! フィニスさまも真面目に真っ青にならないで! いいですか、私はあなたと結婚はしません、フローリンデ! トラバントの言う通り、お互い相当有力貴族の令嬢なんですよ? 世間体を考えてください!!」
必死の反論だけど、情熱の前にはちょい弱いなー。
案の定、フローリンデは、ぐいっと私を自分の方へ向けた。
「反対する者がいるなら、一生かけて説き伏せましょう! 結婚が無理なら結魂でもいいんです!」
「何ですか、その呪われそうな新語は!? さすが二十巻ぶん理想の騎士について書き下ろしただけある、って、うわっ、フィニスさまはなんで髪の毛ほどいたんですか!? ここ野外ですよ、しかも夜ですよ、いかがわしいですよ、石畳が赤面して街が真っ二つに割れますよ!!」
二人に挟まれた私も大慌てだ。
混乱しているフィニスは、世にも美しい真顔で言う。
「セレーナ。……実は、わたしは女装が結構似合う」
「わ、わかるー、絶対似合うけど、なんでそういう話になりました!? はーーーーーでも、推しの女装って、ちょっと見たーーーい!!」
「ええい、静粛に、静粛にーーーーーー!!!! この期に及んで、僕に場をまとめさせるのは、いいかげんにやめなさい!! 超過重労働ですよ、もう!!」
痺れを切らしたトラバントが本気で叫ぶ。
空気がびりびり震え、狼たちが首をすくめた。
住居の窓がバタバタと開き、「うるさいよ、何時だと思ってるんだい!!」という怒鳴り声が落ちてくる。私たちはあたふたと近所のひとに謝って、ちょっとだけ正気に戻った。
スン、となった空気の中、私はトラバントに言う。
「えー……トラバント。そんなこんなで、首飾りは関係なく、フィニスさまとフローリンデの結婚はなくなりそうな勢いなんです……」
「…………………………は。あ、あははははは。あー、そうですか。なるほどね。はあ。なんでしょうねえ、どうでもいいなあ。心の底から、どうでもいい」
トラバントは、力なく笑い出した。
私は、ちょっと不安になった。
同時に、確信した。
私はそっとフローリンデの手を振り払って言う。
「ね、トラバント。やっぱり、フィニスさまの結婚を……そして、戴冠を快く思っていないのは、トラバントのご実家なの?」
「……だから、いきなり核心に切り込むの、やめてくださいます? と、言いたいところですが。まあ、これ以上長話をするのも疲れますから、いいでしょう。――あなたの言う通りですよ、セレーナ」
トラバントは深い深いため息を吐き、石畳に座りこんだ。
黒狼のサラも、彼の横にきゅっと寄り添って座る。
フィニスは、トラバントに向き直った。
「そうなのか。お前は常々、実家には捨てられたとぼやいていたが」
「捨てられました。捨てたうえで、使えるもんはなんでも使うんです、商人ってものは」
トラバントの言い方は嫌そうだけど、なんとなく懐かしそうだ。
少し黙ったのち、トラバントははきはきと話し始める。
「ぶっちゃけましょう。フィニスさまは今現在、次期皇帝の最有力候補だ。なぜか。――きれいだからです」
私は顔をしかめた。
「何を今さら」
「うむ」
「顔だけは百億点ですわ」
フィニス本人がうなずき、フローリンデも言う。
トラバントは、今回はめげなかった。
「顔じゃねーんですよ。いやまあ、顔もですけど。今の皇帝陛下は老いました。ここのところヘマをやりまくってるし、民衆は腹黒ジジイの顔を見るのに飽き果ててる。民衆は、もっと若くて金に清潔な皇帝に熱狂したがってます。フィニスさまはその点最高なんですが……このひとの即位は、戦争を呼ぶんですよねえ」




