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第45話 わたしたちは、忠誠が永遠でないことを知りすぎていた。

 私の頭の中は真っ白だ。

 何がどうして、こうなったんだっけ?

 わけがわからないけど、とにかく私の腕の中には麗しい貴族の令嬢がいる。

 フローリンデはこてん、と私の胸に寄りかった。

 ちっとも起伏がない、胸に……。


「ずっと夢みていたんです。冬の野ブドウ座みたいに青白く、雪が降った朝一番の空気みたいに清潔で、割れた星石のきしきしと尖ったところみたいに凜々しい王子さまが迎えに来てくださる日を。その夢が、まさか叶うだなんて……!!」


「比喩が独特ですね……。えと、フィニスさまは? フィニスさま、かなり星座みたいで清潔で凜々しい王子さまだと思うんですが!」


 私はうろたえて聞く。

 フローリンデは難しい顔をした。


「うーん。ちょっと大きい」


「背丈の問題!?」


「詩とか比喩のセンスも普通だし」


「それは、涙ぐましい努力の結果です!!」


「そうなんですの? 私の前では、彼はいつだって優等生すぎて……。素敵だけれど、それだけでした。まるで舞台に上がったかのよう。自分だけ完璧に振る舞って、それでおしまい。私がちょっとずつ奇行を織り交ぜても、ずーっとついてくる。まるで、私の奇行なんかなかったかのように、ひたすらについてくる。あの方の世界に、私はいません」


 私はどきりとした。

 フローリンデは、フィニスをよく見ている。

 彼がトラバントの詩を暗記して喋っていることも、婚約に興味がないことも勘づいてる。

 勘づいてたけど、はっきり言えなかっただけなんだ。

 言えないぶん、彼女は行動でフィニスを試した。

 結果、色々おかしくなってしまったわけで……。


 やっぱりこの子は、私の知ってるフローリンデだ。

 とっても賢くて、自分の考えがあるお嬢さん。

 私は、そっとフローリンデの背を撫でた。


「お気持ち、よーくわかりました。お二人には時間が足りなかったんだと思います。フィニスさまは確かに女性慣れしてませんけど、いい方ですよ。盟約者である私が、保証します。あのひとは絶対に、婚約者を大事にできる。それに、私とフローリンデさまのほうが初対面に近いですし、」


「や、セレーナは別です。魂にビビッときたので」


「えっ、雑では!?」


 私は叫んでフローリンデを放り出した。

 フローリンデはめげずに身を乗り出す。


「ビビッときたのは雑じゃありません、運命ですっ!! もしくは神の思し召しでも可!! いいですか、私は昔から粗暴さの一切ない、すらりとした少年剣士に憧れていたんです、具体的に言えば二歳と十ヶ月のころからです! しかもあなたは、私の書いている『光と影の王国~星座の騎士、約束の地に降り立つ~』全二十巻に出てくる一番の推しキャラにうり二つ!!」


「やっぱり雑じゃないですかね!!?? っていうか二十巻すごいな!?」


「すごいでしょう!? すごいんです!! 趣味に合う少年はかき集めてみたけれど、ここまで理想の自キャラに会ったのは初めてなの!! しかも私の趣味を完璧に理解してる、マジ奇跡!! この機を逃したら一生後悔するし一生独身だと断言できる!! お願いです、性別はこの際横に置いておいて、私と結婚してください!!」


 フローリンデは叫び、その場で深く頭を下げた。

 臣下がするような最敬礼だ。

 私はひっ、となり、さらに深く頭を下げて叫んだ。


「せめて、来世以降でお願いします!! フィニスさまをどうか大事にして! ほんといいひとだから!! ……そういえば、フィニスさまは? あと、トラバントは?」


 あのふたりが参戦してくれたら、風向きも変わるかもしれない。

 私はきょろついたが、二人の姿はない。

 掃除中の宿の主人が、私を見て首をひねった。


「屋根裏のお客さまですか。そういえば姿が見えませんね」


 ――おかしいな。


 ――そうじゃの。おかしいのう。あのトラバントのことじゃ、かような騒ぎがあれば、あっという間に下りてくるはずなんじゃが。


 肩のシロが囁く。

 そうなんだよ、そこがひっかかってた。

 フィニスと婚約者と私がピンチかもしれないのに、なんでトラバントは来ないんだろう?


 ――首飾りを持ってるはずだから、警戒して守ってるのかな?


 私は心の中でシロに言う。

 シロは小首をかしげた。


 ――さぁて? 団長と婚約者の命よりも大事な首飾りなどあるかのう? わしは人間じゃないからよく知らんが。


 ……うん。そうだね。

 シロの言うことは正しい。

 やっぱり、トラバントが来ないのは変だ。絶対に変だ。

 彼にも何かあったのか……それとも?


「トラバントを、捜さなきゃ」


 私は強く囁いた。



□■□



 強盗騒ぎのあった少しあと。


 わたしは、闇の中にたたずんでいた。

 昼間は賑やかな商業都市も、この時間になるとひどく暗い。

 路地裏となれば、なおさらだ。


 ぐるるるるる。


 わたしの黒狼、うるわしのロカイ。

 彼はわたしの前で踏ん張っている。

 ぎらつく視線の先には、もう一匹の狼がいた。


 ぐるるるるる。

 るるるるるぅ。


 にらみ合う二匹の黒狼。

 そのさらに後ろには、壊れた馬車がうずくまっている。

 疾駆する馬車をロカイが追い、馬を仕留めて横転させたのだ。

 もう一匹の狼は、倒れた馬車の中から飛び出てきた。


 つまり、馬車の中にいたのは黒狼騎士。

 そういうことだ。


「出てきたらどうだ、トラバント。ずいぶんと星がきれいな夜だ」


 わたしは静かに言う。

 ――沈黙。

 やがて、横転した馬車の扉が開く。


「あー。言われてみれば、確かに。夏にしてはきれいな空ですかねえ」


 顔を出したトラバントが、空を仰いで苦笑する。

 彼は馬車から這い出ると、自分の狼、サラの後ろに立った。

 トラバントは疲れた顔で言う。


「この街に来てから、空なんか見てなかったんですよ、正直なとこ」


「だろうな。緊張しているのは知っていた」


「んふふ。匂いでわかるってやつですか? けだものだ」


 セリフにもいつもの毒やひねりが足りない。

 本当に疲れているのだろう、と思った。

 かわいそうに、トラバント。

 いつも無理をして疲れている気配がする男だった。

 賢い人間には、色々なものが見える。

 見えるものが多ければ多いほど、この世は疲れる。


 お前には何が見えていたんだろう。

 正直なところ、わたしにはちっともわからない。

 それでいいと思っていた。

 わたしにわからなくても、お前はどうにかすると思っていた。


 でも。


「首飾りは?」


 私は短く訊いた。

 トラバントは肩をすくめる。


「持ってます。ほんとは、僕が運ぶ予定じゃなかったんですよ。わかるでしょ?」


「だろうな。もっとも、首飾りを買ったときの店選びからして妙だとは思っていた。居住まいは古めかしかったが、店主はわたしの顔すら知らなかったから。あれは盗品を扱う店か? お前は、最初からあの首飾りが目当てだったのか?」


「まー、そういうことです。あの首飾りがヴェーザに流れてるって話を聞いて、僕は自分の立場上、どうしても手に入れなきゃならなかった。だけど、僕個人が買うにはでかい買い物すぎて不審ですから。あなたに買ってもらって、そのあとあれこれするはずだったんですが……色々、予定が狂いまして」


 あはは、と笑うトラバント。

 諦め果てた笑いだった。となると、こいつの言っていることは真実だろう。

 頭のいい男が言い訳をしないのは、諦めたときだ。


 きっとこいつは、疲れて、殺されたい気分なんだろうな、と思った。


 そういう感情は、よくわかる。

 よく、向けられるので。


「迷っている」


 わたしはサーベルの重さを確認しながら言う。

 トラバントが困った顔になった。


「僕を殺すか、生かすか?」


「いや。くわしい事情を聞くか、やめるかだ」


「……ですよね。あなたは人殺しをためらうひとじゃありません。くわしい話はしたくないです。終わらせましょ。――サラ、おいで」


「きゅぅん……」


 トラバントに呼ばれると、黒狼のサラは悲しげに鳴いた。

 サラは戦闘態勢を解き、トラバントの傍らに寄り添う。

 主の最期まで、そうしている気なのだろう。


「お前は、わたしの騎士でいるのは嫌だったのか?」


 もう少しだけ時間を稼ぎたくて、わたしは問う。

 そんなことで何が変わるわけでもないのに。

 トラバントは少し考えた。


「……人殺しは嫌ですよ。嫌に決まってます。疲れるし、汚いし、恨まれるし。僕はずっと部屋の中で詩を作っていたかった。心の奥底に深く沈んで、宇宙の真理を見つめていたかった。なのに、よりによって、辺境の騎士団!! 現実のど真ん中じゃないですか。冗談じゃないですよ。この世は不本意なことばっかりだ」


 彼の言うことはもっともだ。

 こんな仕事は人間の仕事じゃない。


「なら、早めに終わらせよう。早く、誰にも邪魔されないところへ行けるように」


 わたしは、できるかぎり優しく言ってサーベルを抜いた。

 トラバントが、笑みを引きつらせる。


「……向いてますよ、あなた。皇帝陛下にね」


 化け物を見た人間の顔で、彼は言う。

 わたしはちょっと笑ってしまった。


「いや。多分、すぐに誰かに殺されるさ」


 わたしは囁く。

 わたしが前に出ると、ロカイも同じだけ前に出た。

 狼の忠義だけが永遠だ、とわたしは思う。

 トラバントに剣が届く距離まで、あと三歩。

 二歩。

 一歩。

 

 ふと、目の前に、白い羽根が落ちてくる。


 こんな夜中に、鳥か。

 そう思ったとき。


「フィニスさまーーー!!」


 ものすごく場違いな、セレーナの叫び声が路地に響いた。

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