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第42話 男装の愛人って、それは理想と違うんですが!?

「はーーーーーーもう無理です、限界!! 死にます!!」


「待ちなさい!! 突然死ぬ宣言して、バルコニーに向かって全速力で走り出すのはやめなさい!!」


 トラバントに羽交い締めにされ、私は叫んだ。


「だってもう嫌なんです!! フィニスさまがあのフローリンデの食事に付き合ってお世辞言いまくるのを聞くのも、フローリンデの部屋で子犬二十匹けしかけられてるらしき気配を扉の外で感じ取るのも!! どうせなら見たかったッ!! 子犬に全力で好かれまくって、めっちゃ頭に登られてるであろうフィニスさまを見たかったよぉ!! 音だけだと生殺しなんだよぉぉぉぉぉ!!」


「後半部分がただの煩悩ですよ、セレーナ!! 文句くらい言い切りなさい!」


「だって、だってぇ……」


 うう、悲しい。

 私は隈の出来た顔で、だらんと力を抜いた。


 ここはヴェーザの中央広場近くにある、マルクト・ホテルの一室だ。

 ヴェーザは商談で訪れる貴族や大商人が多い。

 マルクト・ホテルは、そういうひとたちを当て込んで作った高級ホテルだから、作りはとっても豪華だ。とはいえ、私とトラバントの部屋は一番安い屋根裏なんだけど。

 フィニスとフローリンデはそれぞれ豪華な部屋に泊まってる。

 うーん、格差!!

 トラバントは私を解放し、咳払いをした。


「とはいえ、僕もあの婚約者には思うところがあります」


「だよねえ。あそこまで詩をばかにするフローリンデとか、見たくなかった……」


「詩は、あなたも興味ないでしょう」


 トラバントが嫌そうに言ったので、私はばっと顔を上げる。


「好きだよ。たとえば、『深き闇にしたたりて、澄み渡りし音にて迷妄を祓うもの』」


 トラバントが、少しだけ目を見開く。

 彼はゆっくりと、詩の続きを囁いた。


「……『闇にほどけず、千年の時をそこで過ごした古の琴、その名は真』」


「『真をかき鳴らすもの、その名は理。酩酊の中でこそ耳を澄ませ、盲目者ども』。――大酒飲みの詩人、極東のメイヤーンの詩。気持ちがくらーくなったときに、でも、もうちょっと踏ん張ろうかなって気になるから好き」


 私が言うと、トラバントはしばらく考えこむ。


 ――なんだろ。メイヤーンは女らしくなかったかな。


 私が心の中で首をひねっていると、シロが答えた。


 ――ヒジョーに人間らしくていい詩だと思うがのー。っていうかメイヤーン、実は下戸だった覚えがあるのう。


 ――えっ、ほんと!? っていうか、千年前のひとだよ? 知ってるの!?


 シロが答える前に、トラバントが口を開いた。


「……セレーナ。僕が手伝ってあげます。今夜はフィニスさまの部屋にいなさい」


「いいの? トラバント。……ん? は? はああああああ!? い、今、なんて……?」


「今夜は、フィニスさまの部屋に、いなさい!!」


 はっきりきっぱり言われて、私は死んだ。

 ……嘘です。

 生きてます。

 生きてますけど爆発した!

 頭が! 完全に!!

 私はうろたえて足を踏みならす。


「まままままま待ってよぉ、わ、私、そりゃ、盟約者だけど、でも、ほら、それだけ? だし? 確かにフィニスさまとは普段から同室だけど、寝室は別! 別だから!! そんなの実質別室じゃないですか!! だけどホテルはそこまで部屋数も寝台の数もないんだよ!!」


「今さら色々隠さなくてもよろしい。フィニスさまもあなたもダダ漏れなんですから」


「何が漏れてるの!? 願望!? 欲望!? 私の願望はフィニスさまの手袋の縫い目になることだけど、どのへんから漏れてた!!??」


「それは正直知りたくなかったですね。なんで縫い目か。まー。フィニスさまもそれなりに俸禄もらってますし、またそろそろ出世するでしょうから、愛人のひとりやふたりや三人くらい居ても問題ないですよ」


 ふ、ふ、ふあーーーーーー!!!!

 ま、真面目な顔してさらっと! さらっと愛人って言った!!

 私がフィニスの、愛人!?

 愛人、兼、用心棒の男装騎士!?

 まっずい、ちょっと萌えるな、その設定!!

 

 ……いやいやいや。待って、待って。

 そういう問題じゃないんだ、今は。


 私がもだえている間にも、トラバントは真面目に続ける。


「見てわかったでしょう。フィニスさまの婚約者はぶっちゃけ頭がおかしい。フィニスさまは自分の好みってものが一切無いからギリギリ付き合ってられますが、僕なら頭がおかしくなりますね。フィニスさまだって一生おかしくならないとは限らない。

 フィニスさまには、フィニスさまの気持ちそのものを大事にする人間が必要です。……情熱に突き動かされながらも、真と理を知る人間が」


 なんだろ。すっごい、褒められているような……。

 でも、素直に気持ちよくはなれないような。

 ものすごく複雑な気分。


 私は少し考えたのち、トラバントを見上げた。


「ねえ、トラバント。その愛人、トラバントじゃダメなの?」


「今、なんて!?」


「トラバントが!! 愛人になれば!! いいのでは!!??」


「デカい声できっぱりはっきりそんなことを言うな!! ホテル中に響き渡りますよ!! 大体どういう発想ですか! 僕は騎士で、男ですよ? フィニスさまのことは尊敬してるし、愛らしいひとだなーとは思いますが、何をどう間違ったら愛人になれますか!?」


「その気持ちがあればいけるのでは!? 私、応援するよ!!」


「するな!!!! やめろ、そこで真剣な顔になるの!! ……ったく。一体なんなんですか、あなたは。僕はてっきり、フィニスさまとそうなりたいのかと思ってました」


 トラバントは本気で戸惑ってるみたいだ。

 私はちょっと笑った。


「違うよ。だって愛人とかって、男性側がしっかり管理しないとトラブルのもとだもん。フィニスさまって優しすぎるからできないでしょ、そういうの」


「引くほど冷静ですね、あなた」


 実際トラバントは引いている。

 でも、こっちは二度目だからなあ。

 心だけなら、トラバントよりも年上なのだ。

 私は続ける。


「だから私、愛人にはなりたくない。私は騎士がいいの。あのひとのために命を賭けて、あのひとを救って死ねればいい。そういう立場を、人生を賭けて選んだの」


「なるほど。――そこまで心に決めているなら、思いを全うするしかないでしょうね」


 つぶやいたトラバントの顔は、ちょっと暗かった。

 なんでだろう、と首をかしげながら私は言う。


「うん。だから、愛人にはトラバントが」


「なりません。僕じゃあのひとは心安らがない」


「そう?」


「そう。現実として、今日のフィニスさまは疲れ果ててるはずです。愛人云々のことは忘れて、ちょっと部屋に行って世間話でもしていらっしゃい。廊下で誰にも会わないよう、僕が見張っててあげますから」


 そう言われると、断りづらいな。

 私もフローリンデの話が聞きたいし。

 お話だけなら大丈夫だよね?

 私の心臓、もつよね。


「……ありがと、トラバント」


 私はおそるおそる、そんな返事をしてしまった。



□■□



「えーと……フィニスさま、います?」


 言ってから、まぬけなセリフだな~と思う。

 夜も更けたこの時間に部屋にいなかったら、問題ですね。

 それこそ、婚約者の部屋にいるとかだったら、あは、は、あはははははははははは。

 お花畑を考えよう、苦痛を逃がすぞ、美しい花、美しい花、美しい花、青い空、青い空、青い空、羽をいっぱい背負ったフローリンデ、その手を取るフィニス、死のう。

 ええい、もう!!

 なんでごく自然に死にたくなってるの!!

 一度死んだんだから、飽きなさいよ!!


 そのとき、がちゃり、と、扉が開く。


「…………」


「あっ、フィニスさまですか。ひえっ!!」


 言い終える前に、腕をつかまれた。

 部屋に引きずりこまれ、扉が閉まる。


 ――暗い。

 机の蝋燭以外の明かりは消えている。

 そんな薄闇の中、私は。

 男のひとの腕に抱かれている。


「…………」


 彼は、何も言わない。

 抱きしめる力だけが、強い。

 私の体、こわばる。あえぐ。ふるえる。


 正直、こわい、と思った。

 でも、すぐに、知ってる、と、思った。


 この腕を、知ってる。

 何度も、私を運んでくれた腕だ。

 泣いちゃったときに、抱きしめてくれた腕だ。

 私、この腕が、やさしいことを、知っている。


 ――だから、いいや。

 ふう、と息を吐いた。

 熱い息だった。

 だいじょうぶ。この腕になら、ころされても、いいし。

 ほかのすきなことしてくれても、いい。


 ……私、だめだなあ。あたまとけてるなー。

 わかってる。まだ、ぎりぎり、わかってる。

 自分のあたまがとけてるって、わかってる。

 フィニスは、どんな顔してるんだろ。

 顔、見たいな。


 私はそうっと顔をあげる。

 抱きしめる力が強すぎて、姿勢を変えるのは難しかった。

 それでも、闇の中にぼんやり、私を抱いているひとの顔は見えた。

 

 長いまつげの下から、彼の瞳が私を見ていた。

 少しうるんでいるみたいだった。

 熱く、うるんで。

 

 ――あ。

 どうしよ。

 ばちん、と繋がっちゃった。

 あなたの気持ち、わかっちゃった。

 たぶん、私も同じだから。


 あのね。

 私、今、いきなり、ものすごく、あなたに、口づけたい。

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